アラサー男の週末異世界キッチンカー出店記
真黒三太
ラーメン
坪数にすれば、いかほどだろうか?
長方形をした狭苦しい店内は、壁際へせせこましいカウンターが据え付けられており、しかも、カウンター上は番号で仕切られていた。
客たちが、それぞれ割り振られた番号前で立ち食いすることにより、かろうじてこの劣悪物件における食事スペースと移動スペースを両立させているのである。
「お次、15番の方!」
番号を呼ばれれば、客側が店内奥の提供口まで赴く。
何しろ狭い店内なので、水も配膳も全てがセルフ。当然、注文は食券式。
客の専有面積から料理提供に至るまで、あらゆる面で最高効率を追求しているのがこの店というわけだ。
さて、自分の番号が呼ばれたので、当然提供口に向かうわけだが……。
初見の客は、トレーに乗せられたラーメンを見て大いに驚くこととなる。
何しろ、この店で提供しているラーメン……スープの量が尋常ではない。
どんぶりにすりきりで、なみなみと醤油スープが注がれているのだ。
当然、表面張力などという頼りなき力でどんぶり内にスープを維持できるはずもないので、下には受け皿が敷かれていた。
具材は、四枚の薄切りチャーシューと少量のメンマがぷかりと浮かび、中央部を多めの青ネギが彩っている。
結果として、麺がほとんど見えなくなっており……見た目のリッチさは、実態以上のものとなっていた。
これが、この店で提供しているラーメン。
お値段……750円なり。
インフレが進んでいる昨今、この値段をキープしているだけでもひとつの売りとなるが、実はまだ、終わりではない。
「ライスの盛り方はいかがいたしますか?」
なんと! ライスが無料でついてくるのだ!
しかも、大盛りも無料である。
ここまでくると、750円というお値段が、圧倒的セールスポイントとして客の心を撃ち抜く。
あまりにも……安すぎる!
ラーメン一杯が750円というだけでも相場割れを起こしているというのに、米の価格高騰が叫ばれている今の時代でライスも無料なのだ。
きょうび、居酒屋のサービスランチでもご飯のおかわりは有料が当たり前であることを思えば、信じられぬ安さであるといえた。
もう……このお値段だけで十分な満足感。
ほくほくとしながら、自分の番号が振られたカウンターまで食事を運ぶ。
当然、歩行の際に生じる揺れでなみなみと注がれたスープのいくらかは受け皿に飲まれるわけで、それが非常にもったいなく感じられる。
着席ならぬ着カウンターを果たせば、いよいよ食事開始だ。
まず、最初にすべきこと……それは、卓調と共に置かれている青かっぱ漬けをライスに乗せることであった。
そう、この店は、ライスのみならず青かっぱ漬けまで無料で取り放題なのである。
なんという徹底した利益還元か! 確かに客は狭苦しい中、立ち食いでオールセルフを要求されるわけであるが、結果として浮いたテナント代は、こうして目に見えるボリュームという形で返ってきているのであった。
よく漬け込まれたきゅうりの薄切りをそっと乗せると、純白だったライスに漬け汁が染み込んでいく。
いよいよ、ランチタイムだ。
まず、最初に味わうべきは当然――スープ。
運んでくる道中で少し受け皿にこぼれたとはいえ、まだまだ圧倒的な量でもってどんぶり内を支配している。
これをいくらかすすらないことには、ここでの食事が始まらないのだ。
琥珀色のスープをれんげですくい取れば、なんともいえぬかぐわしき匂い……。
王道をゆく鶏ガラの風味に、根野菜を煮出すことで生まれる香味が合わさっているのであった。
ひと口すすり……目を見開く!
舌を一瞬で目覚めさせる鮮烈な旨味……!
そも、鶏ガラ醤油ラーメンがなぜ王道なのか?
答えは単純。美味いからだ。
上質な材料を丁寧に煮出せば美味しいスープが生まれるというのは、小学生でも分かる道理。
煮干しと昆布の旨味も煮出しているこれが、昭和の古臭さを感じさせないのは、少量の背脂もスープに仕込まれているからだろう。
背脂チャッチャ系のように、脂でどんぶり内を蹂躙しているというわけではない。
あくまで、少量を溶かし込んでいるだけ。
だが、それが生み出す多幸感ときたら……!
人間……というよりおおよその生物は、油分と脂肪分が大好きなものであり、これを舐めると痺れるような快楽が脳髄に走る仕組みとなっている。
それが、王道鶏ガラスープと合わさることでパンチ力として作用し、かつ、このビジネス街で人気メニューとして君臨するだけの新しさを付与しているのであった。
美味い……このスープだけで、なん口でもすすえる……!
ラーメンというのは、スープ料理。
そのスープを存分に味わえるこのラーメンは、スープ代惜しさに急勾配のスープ節約容器で提供する店も少なくない昨今において、一石を投じる逸品であるといえるだろう。
だが、当然ながらスープだけすすって満足しているわけにはいかない。
まだ、麺も具材もライスもあるのだ。
まずは麺。
中太のややちぢれが入ったこれは、麺そのものの食べ応えを重視する傾向が強い現代のラーメン事情に合わせつつ、スープとの絡みを重視したセレクト。
もちもちとした食べ応えは、小麦本来の美味さを存分に堪能することができ……。
それが、先述の美味なるスープをしたたるほどにまとって引き上げられるのだから、ラーメンの完成形ここに見たりと言って過言ではない。
具材は、先述通り薄切りのチャーシューが四枚ばかりと少量のメンマ、そして多めの青ねぎ。
厚切りチャーシューを売りにしているような店と比べれば、さすがに劣るかといえば……そのようなことはない。
何しろ、食前の状態ではほとんど麺が見えないのだ。
目は、口ほどにモノを食うもの。
トリックアートに騙されたかのごとく、見た目のボリュームが満足感を与えてくれていた。
ならば、目の錯覚にばかり頼っているのかといえば、そんなことはない。
もともと、チャーシューを薄切りにしているのは、麺及びスープとの調和を優先した選択肢。
無論、事前にたっぷりと味が染み込んでいるチャーシューではあるのだが、これがスープをまとい、麺と絡み合うことで肉、汁、麺の絶妙な一体感が生まれるのだ。
メンマとネギの効能は、もはや語るまでもない。
やはりというか味が染み染みなメンマは、濃い味で麺やライスを進ませてくれるし、何より唯一硬質な食感を備えた具材として、食にアクセントを加えてくれている。
ネギの香味とさわやかな辛味は、清涼剤。
ラーメンという旨味の固まりたる料理を食してだらけがちな舌へ、しっかりと喝を与えてくれていた。
そして、これらを味わいながら頬張る白米の、なんと美味きことか……!
炭水化物料理に炭水化物をかけ合わせる……これを忌避する人間の主張、分からぬでもない。
だが、ここはビジネス街であり、戦う男たちの戦場。そしてここは、そんな兵隊たちへ食を提供する場所だ。
求められるのは、料理である以上に食事であること。
ならば、白米によるボリュームアップは正義以外の何物でもなかった。
何より、それぞれが濃い味付けであるラーメンの具材は、当然ながら白米との相性抜群であり、ご飯にとって最良の友たる青かっぱ漬けも取り放題なのだ。
ああ……。
食に没頭する。
気がつけば、小賢しい分析心など霧散しており、ひたすらにスープをすすり、麺をたぐり、米を頬張っていた。
そして、健康に悪いと承知の上でスープを飲み干し――完食。
……ご馳走様です。
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店から出て、しばらく歩いてから振り向く。
立ち食いということもあり、ラーメン屋としては破格の回転率を誇る店であるが、入り口には十名ほどが並んで待っている。
皆、この値段とボリューム……何より味に魅せられているのだ。
顔を上げた先には、看板。
そこに書かれている屋号は『立ち食いらあめん林田』。
相変わらず、美味い店であった。
……経営者が、俺ではなくなった今でも。
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