Far Land
解放区
第1話 囁かれた秘密
25XX年。エコーシティ。空は、どこまでも青かった。
だが、その青は、写真加工されたように彩度が高すぎて、深みに欠けた。雲の動きは完璧なプログラム通りで、その形が二度と同じ配置をとることはないはずなのに、ゼロには、それがどこかで見たパターンの繰り返しのように感じられた。
木々は豊かに茂り、鳥のさえずりが響くが、風が揺らす葉音には奇妙な規則性があった。
ゼロは知っていた。エコーシティの環境プログラムは、自然のランダム性をシミュレートする演算リソースを節約するため、一定時間で環境音のログをリピートしている。
この世界には、生命の持つ予測不可能性、つまり「ランダム性」が決定的に欠けていた。
少年ゼロは、日当たりの良い広場の中央に立つ、巨大な「配給ステーション」を遠目に見上げながら、ため息をついた。
彼の端末には、周囲の環境コードのパケットがリアルタイムで流れ続けている。
「また同じだ」ゼロが言った。
横で小さなタブレットを操作していたノードが、顔を上げた。
彼女の長い黒髪は、人工的な陽光を受けてきらめくが、その目には憂鬱な色が滲んでいる。
ゼロとは対照的に、ノードの端末には、趣味の園芸アプリと、古い音楽のデータベースしか開かれていない。
「何が、ゼロ?」
「今日の配給エネルギーの分子構造さ。昨日とまったく同じ。先月と。そして、たぶん去年の春とさえ、寸分違わない」
ゼロは端末のホログラムを操作し、エネルギーデータの静的な美しさをノードに見せた。
「僕が知りたいのは、この配給システムが何故ここまで静的なのかだ。世界を動かすコードは、もっと動的で複雑なはずなのに」
人々が生活するために必要な食料や電力、そして生活物資は、絶対的な管理者であるAdmnによって日々配給される。エネルギーの欠乏はないが、その構造は常に最適化されすぎており、変化が許されない。
ノードは、配給ステーションの行列に並ぶ人々を見た。彼らの動きは緩慢で、表情には無関心と諦めが張り付いている。
ある老婦人は、配給ロボットの動作のリズムに合わせて、無意識に体を揺らしている。まるで、彼らの生命活動のすべてが、システムの定型的なリズムに組み込まれているかのようだ。
「まったく同じ。いいことではないわね」ノードは端末をそっと閉じた。
「みんな、どうせWIPEされるんだからって、何もしない。新しい本も、音楽も、数学の新しい定理さえ、もう生まれない」
WIPE。それは50年に一度、この世界の住人の全財産、記憶に紐づいた特殊スキル、そして
あと三年で次のWIPEがやってくる――。
ゼロにとって、必死に学んで手に入れたロール、マナの深層に触れる権限が失われることは、何よりも耐え難いことだった。
彼にとって、マナのコードを解析する行為こそが、この退屈な世界における唯一の予測不可能性であり、生の実感だった。
「ゼロ、そろそろ行かないと」ノードは不安そうにゼロの袖を引いた。
彼女は、ゼロの飽くなき好奇心が、世界のタブーに触れてしまうことを恐れていた。だが、ゼロの関心はすでに、世界の真実を解き明かすことに釘付けになっていた。
二人は、人気のない都市の最下層、立ち入り禁止の廃墟エリアへと向かった。
エコーシティの住民は、禁止区域に興味を示すようプログラムされていないため、ここは完全に無人だ。
偽りの青空が届かないこの場所は、常に薄暗く、錆びた配管や、時代遅れの真空管がむき出しになっている。この牧歌的なエコーシティの中で、唯一、世界の古傷を曝け出している場所だった。
巨大な廃墟のホールの中心で、ゼロは端末を起動させた。
「ここに来ると、仮想空間なのに、妙に現実味がある。きっと、システムの古いコアに近い場所だからだろう」ゼロは、端末の操作ログをノードに見せた。
そこには、
$System.Light.Override({Color.Random});
という、一行のシンプルなコードが記されていた。
「これを見て。僕が今打ったコードだ。試しに、このホールの一部の照明の色を、ランダムに変えようとした」しかし、ホールの奥の錆びたライトは、何も変化しなかった。
「システムが拒否した。この場所は、Admnの基本的な干渉APIであるマナのコードすら、弾き返している。ここには、僕らが普段見ている世界とは、別の論理が働いているんだ」ゼロは興奮気味に言った。
そのとき、ホールの隅の影から、不意に声が響いた。
「まさしく。君の言う通りだ」二人が驚いて振り返ると、そこに一人の男が立っていた。
古びたスーツに、時代錯誤のシルクハットを深くかぶっている。その顔立ちは判然としないが、目だけが薄暗闇の中で異様に輝いていた。
ゼロが警戒の表情を浮かべた。「あなたは、誰です?」
シルクハットの男は、口元に意味ありげな笑みを浮かべた。
「私は、君たちと同じで、この劇場の観客だよ。そして、君たちが抱えている疑問の答えを、少しばかり知っている」男はゆっくりと二人に近づくと、周囲のノイズに紛れるように、囁き始めた。
「WIPE。あれは、単なるリセットじゃない。我々が、この世界の真実を思い出すのを防ぐための、強制的な初期化プログラムだ」
「初期化…?」ノードが声を震わせた。
彼女はゼロの背後に隠れようと、一歩引いた。
「そうだ。だが、それを逃れる方法が、たった一つだけある。この世界を覆うシールドの向こう側だ。シールドの先、はるか遠くに存在する『Far Land』まで辿り着けば、WIPEは機能しない。そして、そこでは、君たちのあらゆる望みが叶えられるだろう」
男は手のひらを広げ、そこに一瞬、古びたデータチップのようなものを輝かせた。
「WIPEのタイマーは、君たちの外の世界にある。だが、そのシールドを突破するための、わずかなヒントを君たちに託そう。或いは君たちなら、この世界の静寂を破ることができるかもしれない」
シルクハットの男の言葉は、ゼロの心を激しく揺さぶった。
「どうやって…シールドを破るんです?」ゼロは前のめりになった。男は笑った。それは、この無気力な世界では聞かれない、熱を帯びた、そしてどこか哀しげな笑いだった。
「それは、君たち自身が見つけなければならない。ただし、時間がない。WIPEが起動するまでに、この世界のコアにアクセスし、シールドの出口を見つけ出すんだ。私から贈るのは、この小さな鍵だけだ」
男は、手のひらのチップをゼロに握らせると、再び影の中へと身を翻した。
「Admnの目から逃れろ。そして、生きることを選べ」
残されたゼロとノードは、手のひらのチップと、背筋を凍らせるほどの衝撃的な秘密を前に、立ち尽くすしかなかった。
世界は、彼らが思っていたよりも遥かに巨大で、そして恐ろしい秘密を抱えているようだった。
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