第42話 天才作曲家は(暴かれた)秘密(シークレット)と(新たな)関係(リレーション)の狭間で

 金曜日の午前中。俺は自室(スタジオ)の椅子に深く沈み込み、ノートPC(Kanata用)の画面に表示される情報をどこか他人事のように眺めていた。


 『Anima』。


 午前零時のリリースからわずか数時間で音楽配信サイトのあらゆるチャートを席巻していた。X(旧Twitter)のトレンドは『#Anima』『#Kanata新曲』『#白亜凛音覚醒』といった関連ワードで埋め尽くされ、俺(Kanata)のアカウントへのメンションと、白亜凛音のチャンネル登録者数は見たこともない速度で増加し続けている。


『神曲』


『魂の叫び』


『Kanata完全復活』


『凛音ちゃんの歌声が別人レベル』  


 流れてくるコメントは概ね俺が意図した通りの反応だった。アンチ(古参ファン)たちが問題視していた「魂」の不在。それを、『Anima』は完璧に打ち砕いたようだ。彼らの声は今のところ熱狂的な賞賛の波にかき消されている。


(……成功、か)


 だが、俺の心は晴れなかった。成功の代償は小さくなかったからだ。俺は隣の席……昨夜、春日さんが座っていたパイプ椅子に目をやった。彼女はいない。午前零時のリリースを見届けた後、どこか夢見心地のような、それでいて決意を秘めたような複雑な表情で自分の部屋(502号室)に帰っていった。帰る間際、彼女は一言だけ、こう言ったのだ。  


「ありがとうございました、……Kanata先生」


と。  


『師匠』ではなく、『Kanata先生』と。


(やはり、バレた)


 確信した。俺の秘密(Kanata)はもう彼女の前では裸同然だ。昨夜の俺の言動、スタジオの光景、そして『Anima』そのものが動かぬ証拠となってしまった。問題はこれからどうするかだ。彼女は俺の正体を知った上でどう接してくるのか。そして俺は彼女にどう向き合えばいい?


 コンコン。  


 壁がノックされた。春日さんだ。俺は身構えた。ついに問い詰められる時が来たのか?


「師匠……じゃなくて彼方くん! 大学行きますよ!」  


 壁越しに聞こえてきたのは、意外にもいつもと変わらない……いや、いつもより少しだけ明るく吹っ切れたような声だった。そして呼び方が『彼方くん』に変わっている。


(どういうつもりだ?)  


 俺は混乱しながらもスタジオを出て玄関に向かった。ドアを開けると大学へ行く準備を整えた春日さんが少し照れたような、しかし穏やかな笑顔で立っていた。


「おはようございます、彼方くん」


「……ああ、おはよう」


「行きましょう!」  


 彼女は俺が何か言う前にさっさとエレベーターホールへと歩き出した。俺はその背中を戸惑いながら追いかけるしかなかった。


 エレベーターの中。気まずい沈黙が流れる。俺はどう切り出すべきか言葉を探していた。だが、先に口を開いたのは彼女の方だった。


「『Anima』、すごい反響ですね」  


 彼女はスマホの画面(おそらく音楽ニュースサイト)を見ながら、他人事のように言った。まるで自分が歌った曲ではないかのように。


「……ああ」


「ファンの皆さんも、すごく喜んでくれてるみたいで嬉しいです」


「そうか」


「……彼方くん」


「なんだ」


「ありがとうございます」


「……何がだ」


「全部、です」


 彼女は顔を上げ、俺の目をまっすぐ見た。


「私の……ううん、『白亜凛音』の、……デビュー曲を作ってくれて。そして、

『Anima』っていう魂の曲を歌わせてくれて」  


 その目は真剣だった。感謝と、尊敬の色が宿っている。だがそこに『Kanata』への熱狂的な崇拝の色はもうなかった。


「……別に。仕事だからな」


 俺はぶっきらぼうに答えるしかなかった。


「それでも、です」


 彼女は微笑んだ。


「私、彼方くんに出会えて本当によかった」  


(やめろ。そんな顔でそんなことを言うな)  


 俺の心臓が妙にうるさく鳴った。


 チン。一階に到着する。俺たちは大学へ向かう道を並んで歩き始めた。以前のような師弟(仮)の距離感ではない。もっと対等な、それでいてどこか探り合うような不思議な距離感。


「あ! 彼方! 春日さん! おはよー!」  


 前方から能天気な声が聞こえてきた。高木とその後ろでやれやれと肩をすくめる智也だ。


「聴いたぜ、『Anima』! ヤバいな、あれ!」


 高木は興奮気味に駆け寄ってきた。


「つーか、白亜凛音! 歌、めちゃくちゃ上手くなってね!?デビュー配信の時と別人じゃん!」


「あ、ありがとう!」


 春日さんはあくまで『白亜凛音のファン』として、嬉しそうに答える。


「なあなあ、あれってさ、やっぱり例の『彼方師匠』効果なのか!?」


 高木が俺の肩を馴れ馴れしく叩く。


「お前が春日さんにコッソリ教えたテクが巡り巡って『推し』に伝わった、みたいな!?」


(こいつの勘違い回路は、もはや芸術の域だ)  


 俺が呆れていると智也が口を開いた。


「まあ、彼方の指導が良かったのかもしれないけど、一番は本人の努力だろ。……なあ、彼方?」  


 智也は俺に助け舟を出すように、意味深な笑みを向ける。


「……ああ。そうだな」


 俺は曖昧に頷いた。


「だよな!いやー、それにしてもKanata!やっぱ天才だわ!俺、アンチの『魂がない』とか言ってたやつら、マジで許せねえ!」


 高木は拳を握りしめている。


「『Anima』こそ、本物の魂だろ!」


「そうだな」


「でさ! ちょっと気になったんだけどさ!」


 高木は好奇心丸出しの目で俺と春日さんを交互に見た。


「『Anima』って曲、……なんかネットで噂の彼方師匠がアレンジしたっていう『アストロラーベ(ピアノVer.)』の雰囲気にちょっと似てないか?」


「!?」  


 俺と春日さんの動きが同時に止まった。  


(こいつ……!何に気づきやがった!?)  


 高木は音楽に関しては素人のはずだ。だが、彼の妙に鋭い(そして的外れな)指摘が核心を突いてきていた。


「え? そ、そうかな…?」


 春日さんが動揺を隠せない様子で答える。


「いや、似てるって!なんか、こう、……切ないけど、力強い感じとか! コード進行とか分かんねえけど! 俺ピンと来たね!」


 高木は得意げに胸を張った。


「もしかしてKanata、……あの『彼方師匠』のアレンジにインスピレーション受けて、『Anima』作ったんじゃねえの!?」


「「…………」」(俺と春日さん)  


(……ある意味、正解だ)  


(俺(Kanata)が、俺(彼方)のアレンジ(を経た春日さんのデモ)に、影響を受けたのは、事実だ)


「……ははっ」


 隣で智也がついに噴き出した。


「渉、お前、…マジで天才かよ」


「だろ!?俺、分かっちまったんだよ!Kanataと彼方師匠の間には、何か『魂』で通じ合うものが…!」


「うるさい! 行くぞ!」  


 俺は高木の暴論を遮り、春日さんの腕を(無意識に)掴んで早足で歩き出した。


「ひゃっ!?」


「お、おい、彼方!?」  


 後ろで高木と智也が何か叫んでいたが、無視した。


 大学の校門が見えてきたところで、俺は掴んでいた腕をはっと離した。


「わ、悪い…」


「う、ううん…大丈夫…」


 春日さんは顔を赤くして俯いている。


 気まずい沈黙。俺たちの「秘密」はまだ誰にも暴かれていない。だが、その秘密が生み出す波紋は確実に俺たちの日常を、……そして関係性を変え始めていた。


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