第36話 天才作曲家は(秘密の)砦の内側で(才能の)原石(データ)と向き合う

本日は2話投稿です。こちらは1話目です。

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「その、壊れかけた『魂(データ)』、俺が救ってやる」  


 俺が差し出した手を、春日さんは涙で濡れた目でしばらく見つめた後、おそるおそる掴んだ。思ったより小さな手だった。


 俺は彼女を立たせ、そのまま502号室……彼女の本当の『城』の内部へと足を踏み入れた。玄関先で垣間見たカオスな空間が目の前に広がっている。ぬいぐるみ、クッション、そして壁一面の吸音材。生活空間と仕事場が無秩序に同居していた。


「あ、あの、どうぞ……。散らかってますけど」  


 春日さんはまださっきの衝撃(カミングアウトとその反応)を引きずっているのか、どこかぎこちない様子で、俺を部屋の奥……あの『白亜凛音』の壁紙が貼られたPCデスクへと促した。ゲーミングチェアが部屋の主の不在を物語るように、中途半端な角度で止まっている。


「PC、これか」


「は、はい! 私の配信用の……」  


 俺はゲーミングチェアに腰を下ろした。座り心地は悪くない。だが、俺のスタジオの椅子とは比べ物にならない。トリプルモニターの配置も、マイクの位置も、お世辞にもプロ仕様とは言えなかった。  


(本当にこんな環境であの配信を……?)  


 ある意味、感心した。


「それで、データは……これか」  


 画面には、エラー表示が出かかったLogic体験版のプロジェクトファイル。


『Kasuga_DEMO_Ver02』。


 俺が以前聴いて戦慄したあのデモだ。  


 俺はキーボードとマウスに手を伸ばす。彼女が隣で固唾を飲んで見守っている気配を感じる。


「……あの、師匠」  


 春日さんがおそるおそる口を開いた。


「なんだ」


「……さっきのこと、……本当に、最初から……?」  


 彼女の声が震えている。自分の最大の秘密が筒抜けだったという事実を、まだ完全には受け止めきれていないのだろう。


「……ああ」


 俺は画面から目を離さずに短く答えた。今更、嘘をついても仕方ない。


「な、なんで……黙ってたんですか……?」  


 責めるような響きではない。純粋な疑問と、少しの寂しさが滲んでいた。


「……言う必要、ないと思ったからだ」


「で、でも……! 私、師匠の前で、凛音ちゃんのファンだって嘘ついたり、Kanata

先生のこと、すごいって言ったり……! 全部、知ってたんですよね……!?」


「……まあな」


「恥ずかしい……! 穴があったら入りたいです……!」  


 彼女は顔を真っ赤にして、その場にしゃがみ込みそうになった。


「……別に」  


 俺は続けた。


「……どっちも、お前だろ」


「え……?」


「騒がしいのも、ドジなのも、歌がまだ下手なのも。ファンだって嘘ついてたのも。……全部含めて、春日美咲(おまえ)だろ。……俺は、別に、……嫌いじゃない」


「!」


 春日さんが顔を上げた。その目は驚きと、……そして、安堵の涙で再び潤んでいた。


「師匠……!」


「……うるさい。それよりデータだ。直すぞ」  


 俺は照れ隠しのように再びPC画面に向き直った。  


(まずい。また余計なことを言ってしまった)


 俺は破損しかけたプロジェクトファイルに意識を集中させた。  

Logic(体験版)の自動バックアップ機能を探る。……あった。数時間前のバックアップが残っている。  


(よし、これなら、完全に消失は免れたか)  


 バックアップファイルを開く。昨日俺が聴いたVer.2の状態に近いデータが、無事に表示された。


「データ、生きてたぞ。昨日の夜の状態には戻せる」


「!本当ですか!?よかった……!」  


 春日さんが心底ホッとしたように胸を撫で下ろした。


「だが問題は根本的な解決になってない。このPCじゃこれ以上この曲を作り込むのは無理だ」


「そ、そんな……。じゃあ、やっぱり……」


「……俺の部屋(スタジオ)に持ってくるか?」


 俺は半ば自棄になって提案した。  


(もういい。ここまで来たら同じだ)


「え!?いいんですか!?」


「ああ。……ただし、俺の部屋の『ルール』には従ってもらう」


「ルール?」


「……詮索しない。質問しない。……俺が『触るな』と言ったものには絶対に触らない」


「は、はい! 分かりました!」  


(これで、なんとかなるか?)


 俺は春日さんのプロジェクトデータを、自分の(空の)USBメモリにコピーした。


「よし。行くぞ」


「はい!」


 俺たちは再び廊下を挟んで俺の部屋(501号室)へと向かった。今度は俺が彼女を俺の「本当の城」へと招き入れる番だ。扉を開ける。偽装工作(ハイド)は、もうない。黒いカーテンは取り払われ壁一面のシンセサイザーとラック機材がその威容を現していた。


「…………」  


 春日さんは部屋に入った瞬間息を呑み完全に固まった。  


(だろうな)


「し、師匠……」  


 彼女の声が震えている。


「……これ、……なんですか……?」


「言ったはずだ。詮索しない、と」  


 俺は彼女の隣をすり抜け、スタジオ(本物)のメインPC(Kanata用)の前に座った。


「早く来い。お前の『魂』、……今度こそ『本物』の音で鳴らしてやる」  


 俺はUSBメモリをPCに差し込んだ。


 春日さんはまだ、部屋の入り口で立ち尽くしたまま目の前の信じられない光景と、俺の背中を交互に見つめていた。彼女の頭の中で何かが繋がりかけている、……そんな予感がした。


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