第28話 天才作曲家は(隣人の)提出物(デモ)と(自らの)過去(ラフ)の間で揺れ動く

 火曜日から水曜、木曜と時間は容赦なく過ぎていった。俺、天音彼方は文字通りスタジオ(本物)に幽閉された囚人のようだった。食事はゼリー飲料。睡眠は椅子の上での仮眠のみ。マスターキーボードとDAWソフトの画面だけが俺の世界のすべてだった。


(違う、これも違う)


 柊さんへのメール。『魂』の曲を書く、『アストロラーベ』を超えるものを来週末までに。そう宣言した手前、後には引けない。アンチ(過去)を見返し覚醒した弟子(春日さん)に示すためにも。だが指から生まれる音はどれもこれも凡庸に聞こえた。俺自身の過去の焼き直し、あるいは世間に溢れるヒット曲の模倣品。CmMaj7(希望と絶望)の響きは見つけたはずなのにそこから先の「物語」が紡げない。


 焦りが募る。金曜日が刻一刻と近づいてくる。『Kanata』としてのプレッシャー。それは顔を隠し匿名になったからといって消えるものではない。むしろ期待値が上がった分だけ重圧は増していた。


 コンコン。木曜日の深夜。壁が、控えめに叩かれた。  


(春日さんか)  


 ここ数日、彼女は静かだった。俺が出した無茶な宿題(作曲)に、本気で取り組んでいるのだろう。壁越しに聞こえる音も、以前のような絶叫ではなく、Logic体験版のチープなピアノの音が途切れ途切れに響くだけだった。


「師匠? 起きてますか?」  


 壁越しの声。


「あの、……できました。データ」


「!」


 俺はキーボードから手を離した。  


(できた? あの『続き』が?)  


 月曜日に渡したたった8小節の俺の黒歴史。そこから先の「魂」を形にしろという、無茶振り。わずか三日で?


「ああ。……ドアの前に置いといてくれ」


「え? あ、はい!分かりました!」  


 ガサゴソとドアポストに何かを入れる音がする。


 俺は数秒待ち、スタジオを出て玄関に向かった。ドアポストには一本のUSBメモリが差し込まれていた。彼女自身のものだろう、可愛らしい猫のキャラクターがついている。俺はそれを持ってスタジオに戻った。


(聴くか)  


 正直、少し怖かった。彼女のあの常識外れの「耳」と「感覚」。それが、三日間という時間を与えられてどんな「答え」を叩きつけてくるのか。俺(Kanata)のインスピレーションを刺激するものか。それとも、俺の才能(プライド)を打ち砕くものか。


 俺はノートPC(偽装済みアカウント)を起動し、USBメモリを差し込んだ。フォルダを開く。『Kasuga_DEMO_Ver01.logicx』。ファイル名まで律儀だ。Logic体験版を立ち上げプロジェクトを開く。


 画面には見慣れた8小節。そして、その先に続く未知の波形データが表示された。  


(……結構長いな。2分近くある。ストリングスとドラムも昨日より格段に増えてる)


 俺はヘッドホン(本物)を装着し、再生ボタンを押した。


 ――ポロロロロン…♪…キラリーン…☆  


 俺(過去)のメロディ。彼女(春日さん)が見つけた光(オルゴール)。


 そして、8小節目の終わり。E7 → Am へのあの大胆な転調。そこから先の彼女の

「オリジナル」。


(!)


 昨日聴いたものとは別物になっていた。『アストロラーベ』の引用(コピー)ではない。完全に彼女自身の言葉(メロディ)だ。だが、昨日感じたあの切なくて暖かいだけの雰囲気じゃない。もっと複雑で陰影に富んだ響き。


(F#m7(♭5)(エフシャープ・マイナーセブン・フラットファイブ)だと!?Amの次になぜその不安定で不穏な響きを……!)


 彼女は俺が月曜に図書館で教えた「借用和音」の知識を、……たった三日で、……自分なりに解釈し、しかも俺の予想の斜め上を行く「使い方」でここにぶつけてきや

がった。ただ明るいだけじゃない。希望の中に不安や迷いが同居している。


 そして、驚くべきは打ち込みの「技術」の進歩だ。ストリングスのベロシティ。ドラムのクオンタイズ。昨日指摘した箇所はほぼ完璧に修正されている。それどころかピアノのアルペジオには微妙な「揺らぎ(人間味)」まで加えられている。  


(まさか、こいつベロシティ・ランダマイズ(強弱の自動ばらつき設定)まで独学でマスターしたのか?)


 曲は不安定な響きとそれでも前に進もうとするメロディが交錯しながら、……やがて静かに元のCマイナーへと戻り消えていった。


 シン……。俺は、ヘッドホンを外した。言葉が出ない。


(負けた。完全に)


 技術(テクニック)ではまだ俺(Kanata)の足元にも及ばない。だが「魂(アイデア)」の純粋さとそれを形にする「執念」において俺は今、隣の部屋の「初心者」に完敗した。


(俺が書けなかった、「答え」。俺が見失っていた「魂」の在り処。それをこいつが俺の「黒歴史」の続きとしてここに示しやがった)


 俺は、自分のPC(Kanata用)の画面を見た。空っぽの、DAWソフト。  


(……こんなもの、書けるか……こいつ(春日さん)の、「答え」を、聴いてしまった、後で)


 俺は、USBメモリを、握りしめた。  


(これを俺(Kanata)の「第二弾」として世に出すか?……いや、それは違う。これは春日さんの曲だ……だが)


 俺の中に黒い、嫉妬(ジェラシー)とは違うもっと創造的な「衝動」が湧き上がってきた。  


(こいつの「答え」を俺(Kanata)の「技術(すべて)」で塗り潰したらどうなる?こいつの「魂(メロディ)」を俺(Kanata)の「魂(コード)」で抱きしめたらどんな音が生まれる?)


 俺は春日さんのプロジェクトファイル(Kasuga_DEMO_Ver01.logicx)を、自分のPC(Kanata用)に、コピーした。Logic(本物)でファイルを開く。  


(……互換性、問題なし)


 俺はマウスを握りしめ彼女が作り上げたその「拙い宝石(デモ)」に手を加え始めた。ピアノの音色を、俺の「秘密」の最高級音源に。ストリングスを生々しいオーケストラ音源に。ドラムをパワフルなロックサウンドに。そして彼女が置いた一つ一つの「和音(コード)」に俺(Kanata)の「解釈(テンションノート)」を加えていく。


 時間は再び溶け始めた。徹夜明けの疲労も締切(デッドライン)への焦燥も……今はどこかへ消えていた。ただ純粋な「音楽(おと)」を作る喜びだけがそこにあった。それは俺が『Kanata』になる前に失ってしまったはずの「感覚」。


       ◇


 金曜日、午前。俺は完成した「それ」を再生していた。それはもはや『春日さんのデモ』ではなかった。俺(Kanata)の新曲。……いや、違う。俺(Kanata)と春日さんの「共作」。


 タイトルは、『Anima(アニマ)』。ラテン語で「魂」を意味する。


 俺はそのデータを一つの宛先に送った。柊さんへ。  


 件名:『第二弾楽曲 提出』  


 本文:『第二弾、できました。これが、俺の「魂」であり、「答え」です。追伸:ボーカル・エディットは最小限に。彼女なら歌えます』


(よし。送った。これで、俺(Kanata)の、仕事は、終わった)


 俺は深呼吸し今度は大学用のノートPC(偽装済み)を開いた。フリーメールのアカウントにログインする。新規メールを作成。宛先は、春日美咲さん。


(……さて。こっちの「宿題」はどうするか……完成版(Anima)を送るわけには、いかない。だが、あいつの「答え(デモ)」に対する「返事(フィードバック)」は俺(彼方)として返すべきだ)


 俺は言葉を選びながらメールを打ち始めた。  


 件名:『聴いた』  


 本文: 『春日さん。送ってもらったデモ(Kasuga_DEMO_Ver01)、聴いた。正直、驚いた。お前本当に初心者か?特に転調(E7→Am)からの展開。アイデアは面白い。だがまだ粗削りだ。F#m7(♭5)の響きは効果的だがその後のメロディとの繋がりが弱い。もっと滑らかなボイシングがあるはずだ。ストリングスとドラム。打ち込みの技術は格段に進歩したが、まだ「音楽」になっていない。強弱(ベロシティ)とタイミング(クオンタイズ)だけじゃない。「グルーヴ」を意識しろ……もう一度練り直せ。……ただ』


 俺はそこで、少し指を止めた。 そして、最後に一文だけ付け加えた。


『お前の「魂」は、ちゃんと聴こえた』


『……悪くない』


 俺はそのメールを送信した。音源(データ)は添付しない。言葉(アドバイス)だけだ。  


(これでいい。俺(彼方)は、俺(Kanata)とは、違う。俺(彼方)は、あいつの「師匠(ガイド)」だ。答え(完成品)を与えるんじゃなく道(ヒント)を示すだけだ)


 送信ボタンを押した瞬間。俺は猛烈な睡魔に、襲われキーボードの上に突っ伏した。  


(後は、……知らん)



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