第27話 天才作曲家は(隣人の)奮闘(ノイズ)と(自らの)焦燥(リミット)に耳を澄ます
月曜日の夜から火曜日の朝にかけて、俺は完全にスタジオ(本物)に缶詰状態だった。マスターキーボードの前に座り続け、DAWソフトの画面と睨み合う。頭の中ではまだ形にならないメロディとコードが嵐のように渦巻いていた。
(違う。これじゃない)
柊さんへの啖呵。アンチへの回答。そして春日さんへの挑戦状。勢いで書き始めた第二弾楽曲の方向性は定まったはずだった。「魂」。『アストロラーベ』の絶望を超え、『Luminous』の希望をも打ち破る、矛盾した今の俺の魂。コンセプトは明確なのに指から紡ぎ出される音はどうにもしっくりこない。
CmMaj7(希望と絶望)。E7(破壊と衝動)。Am(新たな扉)。昨日見つけたこれらの「感情(コード)」は間違っていないはずだ。だが、それらを繋ぐメロディがありきたりなフレーズしか出てこない。まるで俺自身の「過去」の焼き直しをしているようだ。
(『Kanataは変わった』か)
アンチたちの言葉が脳裏をよぎる。
(変わったんじゃない。変われないんだ。俺は結局、あの『アストロラーベ』の呪縛から一歩も抜け出せていないのかもしれない)
焦燥感が募る。納期は来週末。あと一週間もない。それなのに、肝心の「核」
が見つからない。
コンコン。
不意に左の壁(502号室)から控えめな音が聞こえた。
(春日さんか?)
俺はキーボードから手を離し、壁に耳を澄ます。
「……師匠? もしかしてまだ、起きてますか?」
壁越しにくぐもった小さな声。
「あの、今ちょっとだけ音出してもいいですか? すぐ終わるんで!」
(ああ、そうか。あいつも、戦ってるんだったな)
俺が出したあの無茶な宿題(黒歴史の続き)と。
「ああ。構わん」
俺は壁に向かって答えた。どうせこっちも煮詰まっている。
「!ありがとうございます!」
数秒の沈黙の後、壁の向こうから音が聞こえ始めた。チープなPCの内蔵音源。Logic体験版のピアノの音だ。俺が昨日ダメ出しした『Cマイナー練習曲(改訂版)』のフレーズ。
(ストリングスのベロシティは……まだぎこちない。だが昨日よりは強弱がついてる……ドラムのハイハットは……クオンタイズ(補正)覚えたか。ちゃんとリズムに合ってる……転調(E7→Am)の、繋ぎは……! ボイシング(和音構成)変えてきたな。俺が言った通りに)
春日さんはたった一晩で俺が出した技術的なダメ出しをほぼ完璧にクリアしてきていた。声楽科のはずなのにこの恐るべき吸収力。
だが俺が本当に驚いたのはそこではなかった。彼女が修正してきたのは技術(テクニック)だけではなかったのだ。
(メロディが違う。昨日、俺が聴いたやつとさらに変わってる)
特にAマイナーに転調した後の展開。昨日までは俺(Kanata)の『アストロラーベ』のフレーズを引用(コピー)していた部分。そこが完全に彼女自身の「オリジナル」のメロディへと書き換えられている。それは拙い。荒削りだ。だがそこには俺(過去)にも俺(Kanata)にもない春日さんだけの「色(音)」が確かに鳴っていた。
切なくて、……でも、どこか暖かくて力強いメロディ。
(……なんだ、これ……こいつ俺の、『魂』に応えるどころか俺の『魂』を塗り替えようとしてやがる……!)
俺は無意識に自分のスタジオのマスターキーボードの前に戻っていた。壁越しに聞こえる春日さんの拙いピアノの音。そのメロディに導かれるように俺の指が再び鍵盤の上を滑り出した。
(そうだ……俺が、探していたのは、……これだ)
春日さんが鳴らした、「新しい扉(Am)」。その先に俺が見つけられなかった「答え(メロディ)」。それを俺は今、壁の向こうの「弟子(モンスター)」から受け取ってしまった。
俺は我を忘れ鍵盤を叩き続けた。春日さんのメロディに俺(Kanata)の「和音(コード)」を重ねていく。CmMaj7。E7。Am。そして、その先へ。二つの「魂(音)」が壁一枚隔てて奇妙なセッションを繰り広げている。
どれくらい時間が経っただろうか。左の壁の音が止んだ。俺もハッと我に返り鍵盤から手を離した。
(まずい。また、没頭しすぎた)
コンコン。壁が叩かれる。
「……師匠?今のピアノ……」
春日さんの戸惑ったような声。
「……もしかして、私の曲に合わせて弾いてくれてました……?」
(バレたか。いや、それよりも)
「悪い。うるさかったか」
「ううん!全然!むしろすごく綺麗で……」
壁の向こうで春日さんの声が途切れた。
(綺麗?俺が今、弾いたのは俺の新しい『魂(答え)』の一部だぞ……こいつにはそう聴こえたのか)
俺の中に今まで感じたことのない奇妙な「感情」が芽生え始めていた。嫉妬でも焦燥でもない。もっと穏やかで暖かい。
(……こいつとなら、……あるいは)
俺は、その感情を振り払うように立ち上がった。
「もう寝る。お前も早く寝ろ」
「あ、はい! おやすみなさい、師匠!」
俺はスタジオの電気を消し、リビングのソファ(ベッド代わり)に倒れ込んだ。
(……疲れた)
だが不思議と気分は悪くなかった。脳内ではさっきまで弾いていた新しい曲のフレーズが鳴り止まない。
(行ける……これなら間に合う)
◇
火曜日、放課後。大学の図書館。俺は約束通り春日さんと向かい合って座っていた。目の前には、分厚い「和声学」の教科書。
(面倒くさい。だが、約束は約束だ)
「それで師匠!この『借用和音』っていうのは……」
「ああ。それはだな」
俺は教科書のページをめくりながら説明を始めた。できるだけ『天音彼方』の仮面を保ちながら。
だが俺はすぐに気づいた。春日さんの「目」が、昨日までとは明らかに違うことに。彼女は俺の説明をただ聞いているだけじゃない。教科書の譜例を指で追いながら頭の中で実際に「音」を鳴らしその「響き」を理解しようとしている。
「……なるほど!だから、あの時(C→E7→Am)、あんなに『ドラマティック』に聴こえたんですね!」
「(!まだ、昨日の転調の話覚えてやがったか)」
「この、『E7』っていうのが、……本来のキー(Cマイナー)にはない『借用和音』で、次の『Am』への『ドミナント』の役割をしてる。だからあんなに『扉が開く』感じが!」
(ダメだ。こいつもう、『理論(ルール)』まで吸収(モンスター)し始めてやがる)
俺の説明はすぐに終わった。いや、終わらされた。彼女は俺が教える前に教科書を読み進め自分で勝手に理解していく。
「師匠!この『ナポリの和音』ってなんですか!?すっごく綺麗……!」
「……(ああ、もう、勝手にしてくれ)」
俺は早々に教えるのを諦め自分の課題(対位法のレポート)に意識を切り替えた。
(こいつにはもう『師匠』はいらないのかもしれない。必要なのはただの『壁(ライバル)』か)
図書館を出る頃には外はもう暗くなっていた。
「師匠! 今日もありがとうございました!」
春日さんが深々と頭を下げる。
「明日までに修正版のデータ、送りますね!『魂』、込めます!」
「……ああ。期待してる」
俺は初めて本心からそう言った。
帰り道。一人、夜道を歩きながら、俺はスマホを取り出した。柊さんへのメールの下書き。
『ボーカル・エディットは、最小限にします』 『彼女は、歌えます。俺が、歌わせてみせます』
(ああ……俺はもう逃げられない……俺(Kanata)の「魂」の曲……春日さんの「魂」の歌……どっちが本物か勝負だ)
俺はメールを送信した。来週末。締切(デッドライン)は、もうすぐそこまで迫っていた。
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