第24話 天才作曲家は(新たな)魂(アストロ)の設計図(コード)を描き始める
日曜日、夜。俺はスタジオ(本物)のマスターキーボードの前に座っていた。指が震えている。怒りか、興奮か。あるいはその両方か。
(『師匠にナイショで、魂(スパイス)足してみちゃった』)
脳内で昨夜の春日さんあの悪戯っぽい声がリピートされる。あの時、彼女(春日さん)がアドリブで入れたフレーズ。あれは間違いなく俺(Kanata)の『アストロラーベ(原曲)』のBメロの最も特徴的なパッセージだった。
(いつの間に聴きやがった。俺は「原曲オケは聞くな」とあれほど……いや、違う。聴くなと言ったのは「オケ(伴奏)」だ。「歌」を聴くなとは言っていない。あいつ、俺(Kanata)の歌を耳コピであのレベルまで再現しやがったのか)
背筋がぞくりとした。春日さんの才能(モンスター)は俺の想像を遥かに超える速度で進化している。俺(彼方)が教えた「基礎(ルール)」を土台にして、俺(Kanata)の「応用(魂)」を勝手に吸収し、自分のものにしようとしている。
(面白い、面白いじゃねえか)
俺はキーボードの電源を入れた。モニターには空っぽのDAWソフトの画面。ここから、新しい「戦い」が始まる。
柊さんからのメール。
『(アンチを黙らせる)「アストロラーベ」のような「魂」の曲を、白亜凛音の「第二弾」として、今すぐに』
(無茶を言う。『アストロラーベ』は、俺の高校時代のトラウマ(どろどろ)の塊だ。あんな曲もう二度と書けるか。それに、今の春日さんにあれはまだ歌えない)
(だが)
俺は昨夜の『アストロラーベ(ピアノVer.)』のアドリブを思い出す。
(あいつはもう、『Luminous』のあのシンプルな世界の住人じゃない。もっと複雑で……もっと激しい「魂」の歌をあいつ自身が求め始めてる)
(なら俺(Kanata)がやることは一つだ)
俺は鍵盤に指を置いた。Cマイナー。俺の「黒歴史(ピアノ練習曲)」と同じキー。
(あの曲(黒歴史)じゃない。だがあの曲(ころ)の「魂(熱量)」は……今の、俺(Kanata)の「技術(スキル)」で再構築(リビルド)できるはずだ)
アンチ(過去)が求める「Kanataの魂」。弟子(未来)が求める「本物の音楽」。
(その二つを同時に満たす「答え」を俺が今ここで叩きつけてやる)
指が動き出す。Cマイナーのアルペジオ。だが、それはあの「黒歴史」のようにただ暗く沈むだけじゃない。一瞬、光(メジャー)が差す。春日さんが見つけたあの「ミ♮(ナチュラル)」の響き。いや、違う。もっと複雑な……。
(Daug(オーギュメント)か?いや、それも違う。もっと浮遊感のある……それでいて切ない……)
俺は鍵盤の上で新しい「和音(コード)」を探していた。それは俺が今まで使ったことのない……それでいて俺の心の奥底でずっと鳴っていた「音」。
……CmMaj7(シーマイナー・メジャーセブンス)。暗さ(マイナー)と明るさ
(メジャーセブンス)。絶望と希望が同時に存在する……矛盾した響き。
(これだ)
俺は笑みを浮かべた。
(この響きなら『アストロラーベ』の「絶望」も『Luminous』の「希望」も……そして、俺自身の「矛盾(嘘)」もすべて表現できる)
俺は、猛烈な勢いで鍵盤を叩き始めた。メロディが溢れてくる。それは『アストロラーベ』のように難解で暴力的ではない。だが、『Luminous』のようにただ優しく美しいだけでもない。
繊細で……壊れそうで、……それでいて強い意志を持ったメロディ。
(春日さんの「声」で歌われるべきメロディ)
どれくらい時間が経っただろうか。気づけば窓の外は白み始めていた。
(……朝か)
俺はPCの画面を見た。そこには一曲分のラフスケッチ(メロディとコード進行)が完成していた。タイトルはまだない。だが俺は確信していた。
(これが、俺(Kanata)の「答え」だ)
◇
月曜日。大学。俺は必修の「対位法」の講義で生まれて初めて居眠りをしていた。
(徹夜明けだ。仕方ない)
……ガタッ。
隣の席に誰かが座る気配。
(春日さんか。どうせ、また、「師匠!」とか、騒ぐんだろ)
「おい、彼方。起きろ」
(ん? この声は)
俺がうっすらと目を開けるとそこには呆れた顔の智也がいた。
「なんだよ、智也か」
「『なんだよ』じゃねえよ。お前、昨日の夜からまた音信不通だったろ。……まさかとは思うが」
智也が、声を潜める。
「『第二弾』、書いたのか?」
「ああ。ラフだけな」
「マジかよ。早すぎだろ。お前本当に人間か?」
俺たちがヒソヒソと話していると。
「おはよー!彼方くん!夏目くん!」
噂の人物、春日さんが今日はなぜか少し緊張した面持ちでやって来た。そして俺の前の席に座った。
(……あれ?隣じゃ、ないのか)
「おはよう、春日さん」
「昨日の凛音ちゃんの歌枠、すごかったな!」(智也)
「あ、う、うん! ありがとう! 夏目くんも、聴いてくれたんだ!」
「おうよ!彼方も聴いてたぞ。……感動して泣いてた」
「なっ!? 智也てめえ!」
「え!?彼方くん泣いてくれたの!?」
春日さんが顔を赤くして振り返る。
「智也のデタラメだ」
「えー、そうなの……?」
(危ない。智也のやつ、余計なことを)
俺が智也を睨みつけていると春日さんが何か意を決したように俺に向き直った。
「あの、彼方師匠」
「(師匠はやめろ)」
「なんだ」
「その……昨日の配信……見てくれましたか?」
春日さんが少し不安そうに上目遣いで聞いてくる。
(来たか。探りを入れてきた。ここで「見てない」と答えるのは不自然だ。「気が向いたらな」と言った手前)
「ああ。少しだけな」
俺はあくまで面倒くさそうに答えた。
「! ほ、本当ですか!?」
春日さんの顔がパッと明るくなった。
「あ、あの! それで、その……昨日の凛音ちゃんの『アストロラーベ(ピアノVer.)』のことなんですけど……!」
「ああ」
「き、気づきました? あそこ、なんか原曲と違うフレーズ歌ってませんでしたか?」
春日さんがあくまで「配信を見ていた一視聴者」として俺に同意を求めるように聞いてくる。
(来た。アドリブの件だ。……さて、どう言い訳する気だ?)
「……まあな」
俺は知らないフリで短く答える。
「あ、あれ! 実は!」
春日さんが、声を潜め、必死の形相で続けた。
「私が師匠に昨日教わった『音楽(ルール)』の話を……凛音ちゃんにファンメールで送ってみたら……!彼女、影響されちゃったみたいで……!」
「……は?」
「師匠が作ってくれたあの特別なアレンジなのに……! 私が余計なこと(ファンメール)しちゃったせいで、……凛音ちゃんに、勝手なことさせちゃって……! 本当に、ごめんなさい!」
彼女は、アレンジ主である俺(彼方)に向かって、深々と頭を下げた。
(……よし。謝罪の対象は合ってる。だが言い訳は破綻寸前だ)
「別に。構わん」
俺は、内心の呆れを押し殺して言った。
「え?」
「むしろ良かったぞ。あれ」
「!」
春日さんが顔を上げる。その目は驚きと喜びで見開かれていた。
「お前の……いや、凛音ちゃんの挑戦、ちゃんと聴こえた」
「師匠……!」
(まずい。また好感度上げちまった)
「だが」
俺は続けた。ここからが本題だ。俺(彼方)が俺(Kanata)の「未来」のために、やらなければならないこと。
「あれは、まだ『遊び』だ」
「え?」
「お前……いや、凛音ちゃんが本当に『魂』で歌いたいなら、『遊び(アドリブ)』じゃダメだ」
「?」
「『設計図』から、彼女自身が作るんだ」
「設計図?」
「『作曲』しろってことだ。……お前も、手伝ってやれ」
「!!!!」
春日さんの息を呑む音が聞こえた。智也も隣で固まっている。
「む、無理です!私、声楽科で、ピアノも打ち込みも昨日師匠に教わったばかりで……!私が、凛音ちゃんの作曲なんて……!」
「関係ない」
俺はカバンからUSBメモリ(ダミー用……いや、この際本物を使おう)を取り出した。大学の課題提出用にこの前フォーマットしたばかりの空のメモリだ。
「昨日の『黒歴史(Cマイナー)』のデータ、このメモリに入れてやる」
「え?」
俺はノートPC(偽装済み)にUSBメモリを差し込み、昨日のレッスンで作ったLogicのプロジェクトファイルを探し出した。ファイル名は
『Kasuga_Lesson_Ver01.logicx』
これだ。中身は俺の黒歴史だが拡張子はLogic体験版のもの。よし。これをUSBメモリにドラッグ&ドロップでコピーする。……数秒でコピーが完了した。
「ほらよ」
俺はUSBメモリを抜き、春日さんに手渡した。
「それ持って帰ってお前なりに『続き』を作ってみろ。……凛音ちゃんの新曲のデモとしてな」
「続き、ですか!? 私が凛音ちゃんの新曲の……!?」
「ああ。お前の『魂』で」
(俺(過去)の魂に、お前(未来)の魂をぶつけてみろってことだ)
彼女はそれをまるで宝物のように両手で受け取った。
「できるか?」
俺は試すように聞いた。春日さんは一瞬迷いそして強く頷いた。
「はい! やってみます!師匠(あなた)の『魂』に、……そして、凛音ちゃんの期待に応えられるように!」
(よし)
これでいい。これで俺(彼方)は、彼女(春日さん)に「時間稼ぎ」をさせた。彼女がこの無茶な「宿題(作曲)」に悪戦苦闘している間に。
俺(Kanata)は柊さんに、そしてアンチ(過去)に、叩きつける「本物」の『第二弾(答え)』を完成させる。
俺はノートPC(偽装済み)の画面の下で、密かに拳を握りしめた。俺の二つの「戦い」が、今、同時に動き出した。
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