第23話 天才作曲家は覚醒の歌声と迫る締切に震撼する


 日曜日、夜八時。俺は自室(スタジオ偽装解除済み)のデスクの前でPC(Kanata用)の画面を睨みつけていた。画面に映し出されているのは『白亜凛音』のYouTubeチャンネル。『まもなく配信開始』の文字がカウントダウンタイマーと共に明滅している。


(歌枠か)


 昨日、春日さんが目を輝かせながら「絶対見てくださいね!」と言い残していった彼女の初めての「歌枠」配信だ。デビュー配信での『Luminous』初披露は俺

(Kanata)の完璧な編集(ゴッド・エディット)を経た「完成品」だった。だが今夜は違う。生歌(ライブ)だ。今の春日さんが俺との「レッスン」を経てどれだけ「化けた」のか、あるいは「化けていない」のか。それを俺自身の耳で確かめる必要がある。


 ピコン。スマホに智也からチャットが届いた。


『よお彼方。昨日はご愁傷様。モンスター・テイミング(弟子育成)は捗ったか?』


(煽ってやがる)


『うるさい。それより聞いただろ。昨日の俺の部屋でのレッスン』  


(昨夜、春日さんが帰った後、智也に電話で一部始終を報告させられた。「面白いから全部話せ」と)


『聞いた聞いた。お前、ついに「黒歴史(パンドラの箱)」開けたんだって? しかも彼女(春日さん)、お前の「魂の音(Daug)」に気づいただけじゃなく「修正(オルゴール)」までしやがったと』


『ああ』


『彼方。お前マジでヤバい才能(モンスター)隣に飼ってるぞ。どうするんだこれから』


『分からん。俺にも分からん』


 本当に分からなかった。春日さんのあの底知れない「耳」と「感覚」。あれはもはや「声楽科」のレベルじゃない。俺(Kanata)と同じ「作曲家(クリエイター)」側の人間だ。  


(俺は彼女に「音楽(ルール)」を教えて本当にいいのか?)  


(彼女がもし「本物」の力を手に入れたら俺(Kanata)の「居場所」は……)


『おい彼方?生きてるか?まあとりあえず今日の「歌枠」聴いてみようぜ。彼女(春日さん)がどっちに転ぶか少しは見えるだろ』


『ああ』


 画面のカウントダウンがゼロになる。配信開始のファンファーレ(安っぽいSE)。そして画面に『白亜凛音』の銀髪のアバターが現れた。


『(VC)こんりおーん!あなたの心に響く音!白亜凛音です!みんな、来てくれてありがとー!』


『(地声)こんりおーん! あなたの心に(以下略)!』  


(来た。地獄のデュアルボイス……いや待て)


 俺はPCの音量を少し絞り、壁(物理)に意識を集中する。  


(昨日までのパニックじみた絶叫ではない。落ち着いている。いや違う。腹が据わっている)


 金曜日のデビュー配信(生対談)を乗り越えた「自信」か。それとも昨日、俺(彼方)の「黒歴史(魂)」に触れた「覚悟」か。理由は分からない。だが、壁越しに聞こえる「春日美咲」のオーラが明らかに昨日までとは違う。


 コメント欄もデビュー配信の成功を受けて凄まじい勢いだ。


『こんりおーん!』


『天使、降臨!』


『Luminous、100回聴いた!』


『Kanata先生との殴り合い(魂)、最高でした!』


『(VC)ふふ。みんなありがとう! デビュー配信見てくれたんだね! Kanata先生との……えっと『魂の殴り合い』!私もすっごく緊張したけど、先生の『鏡』の言葉、胸に響きました!』


『(地声)……(うん。響いた。そしてムカついた)』  


(おい。心の声(本音)が漏れてるぞ)


『(VC)それでね!今日はみんなに私の『今』の歌を生で届けたいなって思って!初めての『歌枠』やっちゃいます!』  


コメント欄が『うおおお!』『待ってました!』と沸き立つ。


『(VC)まずはもちろんこの曲から!私とKanata先生の始まりの曲。聴いてください。『Luminous』!』


 イントロが流れ出す。俺が三日三晩かけて完璧に作り上げたピアノとストリングスの旋律。俺はヘッドホン(今夜はイヤーマフはない)の音量を上げた。  


(来い、春日さん。お前の『魂』を俺の『鏡(オケ)』に映してみろ)


『(VC)♪――(Aメロ)』  


(!)  


俺は息を呑んだ。


(合ってる。音程がほぼ完璧に合っている!)


 もちろん俺が編集(エディット)したあの「完璧な」マスター音源にはまだ及ばない。ところどころ僅かに揺れる箇所はある。だがあの地獄のレコーディング初日(Aメロだけで一時間)や壁越しに聴こえていた絶望的な練習(マイナス30セント地獄)とはまるで別人だ。


 (なぜだ?たった数日で何があった?いや、分かってる。俺とのレッスンか。彼女は、俺が教えた「和音を聴く」感覚と、見せた「黒歴史の音」を自分の中で勝手に融合させやがったんだ)


『(VC)♪――(Bメロ)』


 声に「迷い」がない。以前のような音程を探り探り歌う弱々しさが消えている。自分が今鳴っている「和音(コード)」に対してどの「音(メロディ)」を当てるべきか、確信を持って歌っている。


(そして、声に魂が乗ってやがる)  


 金曜日のレコーディングで俺が最後に引きずり出したあの剥き出しの「感情」。あれが今度は「技術(ピッチ)」という裏打ちを得てより鋭く、深く、俺の鼓膜を揺さぶってくる。


 コメント欄も気づき始めていた。


『あれ? 生歌だよな?』


『音源と変わらなくね?』


『いや違う。音源より、なんかエモい?』


『CD超えた!?』


『(VC)♪――(サビ)』  


(来た)


 俺が編集で完璧に作り上げた「天使」の歌声。だが今、生で響いているのはそれとは違う。もっと生々しく、不完全で、だが、だからこそ胸を打つ「人間(春日美咲)」の歌声だ。


(ちくしょう。どっちが本物なんだ?俺が作った完璧なLuminousか?彼女が今歌ってる不完全なLuminousか?)


 曲が終わる。コメント欄は『神』『鳥肌』『涙腺崩壊』の嵐。俺も柄にもなく少しだけ目頭が熱くなっていた。


『(VC)はぁ、はぁ……。き、聴いてくれてありがとう!』  


(息が上がっている。魂を燃やしやがったな)


『(VC)ふぅ。じゃあ、もう一曲だけ歌ってもいいかな?』  


 コメント欄が『おおおお!』『もう一曲!』と期待に沸く。


(何を歌う気だ?まさかアストロラーベ原曲に挑戦するのか?いや、それはまだ無理だ)


『(VC)えっとね。これは、私の大切な『師匠』が、昔作ってくれた特別な曲なんだ』


「!?」


 俺は椅子から飛び上がりそうになった。  


(おい!馬鹿!やめろ!師匠!?今、師匠と言ったか!?お前、それKanataじゃなくて彼方(俺)のことだろ!?)


 コメント欄が『師匠?』『彼方師匠?』『誰?』と混乱している。  


(まずい!大学のローカルな噂が配信まで侵食してきた!)


『(VC)あ、いや! ごめん! えっと!』  


 春日さん(凛音)も自分の失言に気づき慌てている。


『(VC)その、『先生』! そう! 私が個人的に師匠って呼んでるアレンジの『先生』が、昔作ってくれたピアノの曲で!』  


(苦しい!苦しすぎる言い訳だ!)


『(VC)とにかく聴いてください! 『アストロラーベ』、ピアノ・バージョンです』


(歌うのか。あれ(魔改造版)を)  


 俺は再び椅子に深く座り直した。  


(まあいい。Luminousがあれだけ歌えたんだ。あれならもう事故にはならないだろう)


 流れ出したのは、俺(彼方)が作った、あのシンプルすぎるピアノ伴奏。そして春日さん(凛音)が歌い出す。


『(VC)♪――(Aメロ)』  


(ああ、安定してる。Luminousで掴んだ「和音を聴く」感覚がこっちにも生きている)


『(VC)♪――(Bメロ)』  


(ん?)  


 俺は眉をひそめた。  


(なんだ?今、一瞬違う音が混ざらなかったか?)


『(VC)♪――(サビ)』  


(!)  


 俺は確信した。  


(こいつ、俺が作った譜面から逸脱してやがる!)


 俺が「初心者向け」に徹底的に「簡略化」したはずのメロディライン。その隙間に、春日さんはアドリブ(即興)でフェイク(装飾音)を入れ始めたのだ。しかもそのフェイクが、俺(Kanata)が『アストロラーベ(原曲)』で使っていた、あの複雑で難解なメロディの断片と酷似している。


(嘘だろ。こいつ、原曲の味をもう知っちまったのか?俺は「原曲オケは聞くな」と言ったはずだぞ)


 曲が終わる。コメント欄は『!?』『アレンジ違う?』『アドリブ!?』『うますぎる!』と、興奮と混乱の坩堝だ。


『(VC)ふぅ。聴いてくれてありがとう』  


 春日さん(凛音)は、なぜか少し悪戯っぽい声で言った。


『(VC)今のアレンジ?ふふ。私の『師匠(秘密)』にナイショでちょっとだけ

『魂(スパイス)』、足してみちゃった』


「っ!」


(こいつ!俺に挑戦してやがる!)


 俺はPCの電源を叩き切るように落とした。  


(ダメだ。もうダメだ。俺はとんでもない怪物を目覚めさせてしまった)


 ピコン。スマホに柊さんからメール。  


 件名:『Re: 緊急:Kanataブランドの、今後の方向性について(第二弾楽曲)』


(ああ、そうだ。これもあったんだ)


 俺は笑うしかなかった。  


(望むところだ。アンチも弟子もまとめて俺の本気で黙らせてやる)


 俺はスタジオ(本物)のマスターキーボードに手を伸ばした。俺の「本当の戦い」が、今始まる。

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