第21話 天才作曲家は(黒歴史の)楽譜(データ)起こしと(才能の)片鱗(モンスター)に戦慄する

「……まずは、この、『Cマイナー(黒歴史)』をこのPC(ゴミ)に一音残らず打ち込んでみろ」


「え!?私が!?」


「できなければ弟子(話)は終わりだ」


「ひゃっ!? わ、分かりました!やります!」


 土曜日、午後。俺の部屋(スタジオ偽装済み)。俺が高校時代に書いた手書きのピアノ練習曲(という名の、感情の掃き溜め)の楽譜がローテーブルの上に広げられている。そして、その楽譜と俺のノートPC(偽装アカウント起動済み・Logic体験版)を睨みつけ固まっているのは俺の一番弟子(仮)にして最大の(勘違い)アンチ(仮)である春日さんだ。


「えっと師匠。……この、『ロジック』ってやつ……どうやって音入れるんですか?」  


 春日さんがおそるおそるPCの画面を指差す。画面にはDAWソフト特有の無数のボタンと空っぽのピアノロールが表示されている。  


(ああ、そうか。こいつ声楽科だったな。楽譜は読めてもPC(打ち込み)は初心者か)


「マウス、使え」


「は、はい!」


「そこの鉛筆ツールでピアノロールの鍵盤(ドレミ)とグリッド(拍)に合わせてクリックして音符(ノート)を置いていくんだ」


「鉛筆……。あ、これですか?」  


 春日さんが慣れない手つきでマウスを操作するカチッ。画面に短い緑色のバー(MIDIノート)が一つ表示された。『ド』の音だ。


「あ!できた!……次、『ミ♭』……えっと、ここかな?」  


 カチッ。


「次、『ソ』……」  


 カチッ。


(遅い、遅すぎる……!)  


 俺(Kanata)ならこの程度の8小節のフレーズ、キーボード(本物)で弾けば10秒。マウス(打ち込み)でも30秒で終わる。だが春日さんは一音、一音、楽譜と画面を交互に見比べながら、まるで地雷原を進むかのように慎重に音符を置いていく。


「(ああ、もう、見てられない)」  


 俺、彼女の後ろから身を乗り出しマウスを持つ彼女の手に自分の手を重ねた。


「!?」  


 春日さんの肩がビクッと跳ねた。


「……ここだろ、『ミ♭』は」  


 俺は彼女の手を半ば強引に動かし正しい場所に音符を置く。


「次、『ソ』。……その次、『ド』。……テンポ、Adagio(ゆっくり)なんだから、音価(長さ)も合わせろ」  


 カチ、カチ、カチ……。俺が誘導することでようやく最初の一小節が完成した。


「……あ、あの、師匠……」  


 春日さんが顔を真っ赤にして俯いている。  


(ん? どうした)


「ち、近いです……」


「……ああ?」


 言われて気づいた。俺はローテーブルに置かれたPCを操作するために彼女のすぐ真後ろに回り込みかなり密着した状態になっていた。俺の腕が彼女の肩に触れている。シャンプーの甘い匂いが(鍋パの、ブルーベリー臭とは違う)……ふわりと香る。


「……っ!」  


 俺は慌てて身を引いた。  


(ヤバい。無意識だった。音楽(レッスン)に集中しすぎて物理的な距離感を忘れてた)


「わ、悪い……」


「う、ううん!大丈夫!……あ、ありがとう、ございます……。なんとなく分かりま

した!」  


 春日さんはまだ頬を赤らめながらも再びPCに向き直った。  


(気まずい……ラブコメ的なイベントが発生してしまった。俺の人生に必要ないイベントだ)


 俺はローテーブルから少し離れたソファに腰を下ろし、腕を組んで彼女の作業を見守ることにした。  


(手は出さない。口も出さない……こいつがどこまでやれるか見極めてやる)


 春日さんは最初の数小節こそ苦労していたがすぐに恐るべき速度でDAWの基本操作を吸収し始めた。ショートカットキー(コピー&ペースト、クオンタイズ)を俺が一度教えると二度目はもう自分で使いこなしている。


(こいつ、……飲み込み早すぎないか?……ただのポンコツじゃなかったのか)


 そして彼女が楽譜の四小節目まで打ち込み終え再生ボタンを押した瞬間。俺は再び戦慄することになった。


 ピロリン……♪(PCの内蔵音源の、チープな、ピアノの音)


「あれ?」  


 春日さんが首をかしげる。


「師匠。……ここ楽譜だと、『ミ♭』になってますけど、……音、なんか変じゃないですか?」


「は?」


 俺はソファから身を乗り出し画面(ピアノロール)と楽譜(黒歴史)を見比べた。  四小節目、三拍目。左手の和音。『ド・ミ♭・ソ』。……Cマイナーコード。  


(合ってる。楽譜通りだ)


「何が変なんだ。楽譜通りだろ」


「うーん……。でもなんか気持ち悪いです」  


 春日さんはマウスを操作しその、『ミ♭』の音を半音上げて、『ミ♮(ナチュラル)』に、変えた。『ド・ミ♮・ソ』。……Cメジャーコード。


「……こっちの方がしっくりきませんか?」  


 彼女は再生ボタンを押す。ピロリン……♪


(……!)  


 俺は息を呑んだ。


 (そうだ……違う。俺が高校生の時に書いたこの『黒歴史』はここで一瞬だけ、『光(メジャー)』が差すはずだった……なのに当時の俺はその、『光(希望)』を書けなかった……『絶望(マイナー)』のまま書き殴って終わらせていたんだ)


(こいつ……春日さんは俺が書けなかった『光(ミ♮)』を楽譜(ルール)じゃなく自分(耳)の「感覚(心)」だけで見つけやがった!)


「あ、ご、ごめんなさい!勝手に変えちゃって!」  


 春日さんが慌てて音を元(ミ♭)に戻そうとする。


「いや」  


 俺は彼女を制止した。


「そのままでいい」


「え?」


「いや、そっち(ミ♮)の方が、……いい」  


 俺は自分でも何を言っているのか分からなかった。


(俺は、俺(彼方)は、今、……俺(過去)の『黒歴史(魂)』をこいつ(春日さん)に『修正』させちまったのか?)


「師匠?」  


 春日さんが不安そうな顔で俺を見ている。


「……いや。……続けるんだ」  


 俺はソファに深く沈み込んだ。  


(ダメだ。……こいつは俺の想像を超えてる。こいつを『弟子』にするなんて俺には無理だ……俺がこいつ(才能)に潰される)


 過去のトラウマが蘇る。俺の才能(音)に嫉妬し離れていった友人たちの顔。  

俺の音楽(心)を理解できず否定してきた大人たちの顔。


(音楽(これ)はまた俺から、……何かを奪うのか……?)


 俺が再び心を閉ざしかけたその時。


「師匠!」  


 春日さんが明るい声で言った。


「この曲、……すごく悲しいけど、……すごく、優しいですね!」


「……は?」


「だって、……さっきの、『ミ♮(光)』もそうですけど、……このメロディ必死に上に行こうとしてる」  


 彼女は打ち込み終えた楽譜(データ)を指差した。


「転んでも、転んでも、……『大丈夫だよ』って、……音が言ってる気がします」


「……(何を、言って……)」


「これ、師匠が高校生の時何かにすごく苦しんでて、でも、それでも『負けないぞ』って思った時の曲じゃないですか?」


「…………っ!」  


 俺は言葉を失った。  


(こいつなんで分かるんだ……俺が誰にも言わなかったこの『黒歴史(曲)』に込めた本当の意味(願い)を)


「えへへ。……違いますか?」  


 春日さんが照れたように笑う。


「いや」  


 俺は初めてこいつ(春日さん)に負けを認めた。


「……合ってる」


「! やったー!」  


(ダメだ……こいつからは逃げられない)  


(こいつは俺の『過去(黒歴史)』も、俺の『嘘(鏡理論)』も、……全部見抜いた上で、……それでも俺(音)を信じてやがる)


 俺は立ち上がりローテーブルの前に戻った。春日さんの隣に、今度はちゃんと距離を取って座る。


「春日さん」


「はいっ!」


「続き、やるぞ」


「はい! 師匠!」


「今度は俺(彼方)が『本気(マジ)』で教えてやる」


「……! よろしくお願いします!」


 俺はノートPC(Logic体験版)の画面を指差した。


「まず、この、チープな、『ピアノの音』、変えるぞ」


「え! 変えられるんですか!?」


「ああ。俺の『秘密(とっておき)』の音源、……使わせてやる」


 俺はUSBメモリを取り出した。  


(智也。……すまん。偽装(嘘)、もう一個破棄する)


 俺の「本気(マジ)」の、……そして、極めて危険(デンジャラス)な「作曲レッスン」が本当の意味で始まってしまった。  


(ああ、クソ。胃が痛い。だが少しだけ楽しいかもしれない)


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