第20話 天才作曲家は黒歴史(パンドラ)の箱を開け、魂(レッスン)の扉を叩く

「お前に俺の『黒歴史(トラウマ)』、見せてやる」


 俺は言った。自分で言った言葉の重みに内心で舌打ちしながら。目の前で春日さんが俺の手を握りしめたまま固まっている。彼女の大きな瞳が、不安と、それ以上の強い好奇心で俺を射抜いていた。


(ああ、もう後戻りはできない)


 俺は掴まれた手を振りほどき、自室(スタジオ偽装済み)の奥、あの「黒い防音カーテン」の前に立った。智也との偽装作戦(ミッション)は、ここで破棄(アボート)だ。


 シャッ、とカーテンを開ける。現れたのはクローゼットなどではない。俺が、そして智也が必死で隠そうとした、「Kanata」の城のさらに奥。俺が、「天音彼方」だった頃の亡霊が眠る場所。


「わ……!」  


 春日さんが息を呑んだ。


 そこには壁一面に設置された金属製のラックがあった。だが中身は空っぽの部分が多い。下段の方にだけ数台の古びたシンセサイザーと、埃(ほこり)をかぶったエフェクター類が無造作に置かれている。その横には、大量の段ボール箱。いくつかは蓋が開いており、中にはおびただしい数の手書きの楽譜やノートが詰め込まれていた。

俺は段ボールの一つに手を伸ばした。中から、黄ばみかけた五線譜の束を取り出す。そこには今の俺(Kanata)のデジタルで整然とした譜面とは似ても似つかない、殴り書きのような激情的な音符が、インクのシミと共に刻まれていた。


「これは……『曲』?」


「……曲、だったものだ」  


 俺はそれを春日さんに渡した。彼女はおそるおそるそれを受け取る。楽譜のタイトルは掠れて読みにくい。  


『――慟哭の――』  


(うわ。中二病かよ、昔の俺)


「すごい……!なにこれ……!」  


 春日さんの目が輝いた。音楽家としての本能がそこに込められた「熱量」を読み取ったのだろう。


「この和音!このメロディ!破綻してるのにギリギリで繋がってて……! 胸が締め付けられる……!」  


 彼女はその場で楽譜を読みふけり始めた。


(分かるのか。お前に)  


(俺が昔、……誰にも理解されなかった、……この剥き出しの、『魂』が)


「……師匠!この曲、誰の曲なんですか!? Kanata先生……じゃないですよね? もっとこう、荒々しくて、……痛い感じ……!」


「……俺のだ」


「え?」


「俺が昔、……高校生の頃に書いてたやつだ」


「師匠が……!?」


 春日さんは信じられないという顔で俺と楽譜を交互に見た。  


(そうだろうな。今の俺(天音彼方)の「無気力な大学生(ペルソナ)」からは想像もつかないだろう)


「なんで……!なんでこんなすごい曲が『黒歴史』なんですか!?」  


 彼女の純粋な疑問。それが俺の一番痛い場所を抉(えぐ)った。


「……うるさいからだ」  


 俺は吐き捨てるように言った。


「この曲(音)は、うるさすぎる。俺の勝手な感情(ノイズ)が多すぎるんだ」


「え……?」


「音楽は、『鏡』だ。奏者や、聴き手が自由に心を映せる完璧な『器』であるべきだ」  


(俺(Kanata)が昨夜、生配信で言った「嘘」)  


(いや、俺が自分自身に言い聞かせてきた「建前」)


「こんな作者(俺)の汚い『魂(エゴ)』がダダ漏れの曲(ノイズ)は誰も幸せにしない」  


 俺は春日さんから楽譜をひったくり段ボールに投げ返した。


「だから『黒歴史』だ。……分かったか」


 シン、と静まり返る部屋。春日さんは俯(うつむ)いたまま何も言わない。  


(ああ、クソやっちまった。こいつ(春日さん)に俺の一番醜い部分を見せちまった……ドン引き、されたか)


「……あの」  


 数秒後。顔を上げた春日さんの目には。……涙が浮かんでいた。  


(……は?)


「師匠」


「なんだよ」


「私、今の師匠の言葉、……それこそ『嘘』だと思います」


「……!」


「だって、……その楽譜、……泣いてました」


「……は?」


「『本当は誰かに聴いてほしい』って、……『俺(わたし)の魂ここにあるぞ』って、……楽譜(音)が泣いてました」


「…………」  


(こいつ……何を、言って……)


「でも、……分かりました」  


 春日さんは涙を拭い……そして、笑った。俺が今まで見たことのない、……強く優しい、笑顔で。


「師匠(彼方)が、『魂』、そのものだったんですね」


「……っ!?」


「Kanata先生が言うような『完璧な鏡を作るために、師匠は自分の『魂(黒歴史)』をここに封印してただけだったんですね」


(違う……違う、違う、違う……!こいつ俺のトラウマ(言い訳)を勝手に美談にすり替えやがった!)


「……師匠!」


 春日さんが再び俺の手を掴んだ。  


(近い!)


「やっぱり私、師匠の弟子になります!」


「……(だから、それはもう聞いた)」


「私、……師匠のその、『封印された、魂(黒歴史)』全部受け止めて、……歌えるようになります!」


「……は?」


「私、『Luminous』も大好きです!でも、それだけじゃダメだって分かりました!」


「……(何がだよ)」


「私、……師匠(あなた)の、『魂(全部)』を歌える『器(鏡)』になります!」


「だから、……作曲、教えてください!」


「『魂』の作り方を!」


「…………」  


 俺はもう、……何も言えなかった。  


(こいつ、……本気(マジ)だ……俺(Kanata)の、「アンチ」にも、「信者」にもなるんじゃない……俺(天音彼方)の「共犯者(バディ)」になろうとしてやがる)


(ああ、もう、……面倒くさい)  


(だが……逃げられない)


 俺は掴まれた手を振りほどき代わりに段ボールの中から一番マシな昔の楽譜を引っ張り出した。  


(……ピアノの練習曲、か。これならまだ毒(エゴ)は少ない)


「春日さん」


「! はいっ!」


「これ、読めるか」  


 俺はその手書きの楽譜を突きつけた。


「……(目が試されるぞ)」


 春日さんはゴクリと唾を飲み込み……そして五線譜を睨みつけた。……数秒。  ……数十秒。


「……(Cマイナー……。……テンポは、……Adagio(アダージョ)……)」  


(読めてる……さすが、声楽科(音大生)か)


「……よし」  


 俺は偽装アカウント(University)のノートPCを起動し……DAWソフト(音楽制作ソフト)の一番シンプルなやつを立ち上げた。  


(Logic(ロジック)の体験版。これなら学生(言い訳)が立つ)


「座れ」


「は、はい!」  


 俺は小さなMIDIキーボード(25鍵)を春日さんの前に置いた。


「俺が教えるのは、『魂』の作り方じゃない」


「……え?」


「『音楽(ルール)』の作り方だ」


「……音楽(ルール)……?」


「そうだ。お前がその『ルール(理論)』を完璧にマスターした時」  


 俺は春日さんの目をまっすぐ見て言った。


「お前の、『魂(歌)』は誰にも止められない『本物(マジ)』になる」


「……っ!」  


 春日さんの目が……決意に満ちた。


「まずは、この『Cマイナー(黒歴史)』をこのPC(ゴミ)に……一音残らず打ち込んでみろ」


「え!? 私が!?」


「できなければ弟子(話)は終わりだ」


「ひゃっ!? わ、分かりました!やります!」


 俺の、「秘密」と、「過去」と、「未来」がぐちゃぐちゃに混ざり合った奇妙な「作曲レッスン」が……今、始まった。  


(ああ、クソ。……胃が痛い)



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