第19話 天才作曲家は覚醒した弟子に過去の楽譜を渡す

「(『Daug(オーギュメント)』ですよね!?)」


 月曜、夜。俺はスタジオの床に転げ落ちたまま動けなかった。左の壁(502号室)から俺の返事を(壁ドンで)催促する春日さんの興奮した声が響いている。


「師匠ー!聞こえてますかー!合ってますよねー!?」


「(うるさい! 合ってるよ!)」


(こいつ、マジか。『Fm(マイナー・サブドミナント)』に気づいただけでも奇跡だと思ったのに)  


(俺(Kanata)が、あの曲(Luminous)にたった一箇所たった二拍だけ仕込んだ

『Daug(オーギュメント)』のあのフックに耳コピだけで気づきやがった)


 俺は床に大の字になったままPC(Kanata用)の画面を睨みつけた。柊さんからの最後のメール。  


『(アンチを黙らせるため)「アストロラーベ」のような、「魂(タマシイ)」の曲を白亜凛音の、「第二弾(セカンド)」として今すぐにです』


(無茶苦茶だ。『アストロラーベ』は俺の感情(トラウマ)の塊だ。あんな難解で独りよがりな曲、デビューしたての彼女(春日さん)に歌えるわけが……)


 ドン、ドン!


「師匠ー! 無視しないでくださいよー!」


(ああ、もう、うるさい!)  


 俺は壁に向かって叫び返した。


「合ってる! Daug(オーギュメント)だ!もう寝る!静かにしろ!」


「ひゃっ!? あ、ご、ごめんなさい!おやすみなさい、師匠!」


 シン。  


(ようやく静かになった)


 俺はスタジオの暗闇の中で天井を見つめた。『Kanata』のアンチ。『春日さん』の覚醒。


(二つ、同時に来やがった)


(土曜日。レッスンどうする。『Daug(オーギュメント)』に気づいた相手に俺(彼方)はもう「平凡な音大生」のフリを続けられるのか?いや、無理だ。だが正体を明かすわけにはいかない)


(どうする。どうやって俺(彼方)は、俺(Kanata)の秘密を守りながら、彼女(春日さん)の才能(モンスター)を育てちまうんだ?)


 俺の胃痛はもはや痛みを通り越し無になっていた。


       ◇


 運命の土曜日。午後一時五十八分。俺は自室(501号室)で先週とはまったく違う、「偽装工作」を施していた。


(ダメだ。『夜逃げした親戚のガラクタ(布)』作戦はもう通用しない。彼女(春日さん)の「耳」はもう「ガラクタ」と「本物(プロ機材)」を音で聞き分けるレベルに達し始めている)


 俺は智也に泣きついた。


『どうする。彼女、「Daug(オーギュメント)」に気づいた』


『は? マジかよ。モンスター育てちまったな、お前』


『土曜、来る』


『分かった。作戦変更だ』


 智也の新たな作戦。それは『偽装(ハイド)』ではない。『誤認(ミスリード)』だ。


「よし」


 俺は部屋を見渡す。奥のスタジオ(DK)を隠していたあの「北欧風フリークロス(生成り色)」は取り払った。


(見せる。あえて俺の『城(スタジオ)』を、見せる!)


 だが、「全部」ではない。智也の指示はこうだ。


『いいか彼方。お前が「Kanata(プロ)」だとバレる決定的な「証拠」だけを隠せ』


『(証拠?)』


『お前のその壁一面の「ヴィンテージ・シンセ」とか「高級ラック機材」だ。あんなの学生(素人)が持ってたら即死だ』


『だが「PC」と「スピーカー」と「マイク」は、見せろ』


(どういうことだ)


『春日さんはお前を「ちょっとすごい音大生」だと思ってる』


『なら「ちょっとすごい音大生が持ってそうな機材」だけを見せるんだよ!』


 俺は智也の指示通り。壁一面の「ヤバい」シンセ群とラック機材群には改めて「黒い防音カーテン(遮光一級)」を「(これはただの壁です)」という顔で吊るした。


(よし。これで部屋(DK)が狭く見える)


 だがデスクの上。PC(Kanata用)は『Amane Kanata (University)』の偽装アカウントで起動。スピーカー(Genelec)はあえて置いたまま。マイク(コンデンサー)もあえてスタンドに立てたまま。


『(いいか? 春日さんが聞く)』


『(「きゃー! 師匠! このスピーカーとマイク、プロみたい!」)』


『(そしたらお前はこう答えろ)』


『(「ああ。バイト代、全部突っ込んで、中古で買った。作曲科(おれたち)は、耳

(これ)が命だからな」)』


(完璧だ)  


(『Kanata(大金持ちの天才)』じゃない)  


(『天音彼方(音楽バカの苦学生)』という完璧な「偽装(ペルソナ)」だ!)


 ピンポーン。


(来た!)  


 俺は深呼吸を一つ。モニターには今日も私服(清楚系)の春日さんが手ぶらで立っている。  


(よし。タッパー(物理兵器)はない)


 ガチャリ。


「お、お邪魔します!師匠!」


「ああ」  


 春日さんが部屋に入る。そして即座に俺の「スタジオ(偽装済みDK)」に気づいた。


「わ!わ!」  


(来たぞ。智也のシミュレーション通りだ)


「師匠!あの黒いカーテンの奥は!」


「(ん?)」  


(違う。そっち(隠した方)じゃない。スピーカー(見せてる方)に食いつけよ)


「あ、いや、あそこはただのクローゼットだ」


「((とっさの嘘))」


「へえー!あ!それより師匠!」  


(よし。こっち(デスク)に来た)


「このスピーカー!あとマイク!もしかして、先週の『光るガラクタ』の正体ですか!?」


「(ああ。まだそのポンコツ設定、生きてたのか)」


「ああ、そうだ。親戚の夜逃げは嘘だ」


「えー!」


「すごい!やっぱり師匠の機材だったんだ!これ、もしかしてすごく高いやつじゃ?」  


(よし! 完璧にシミュレーション通り!)  


 俺は練習したセリフを吐く。


「ああ。バイト代、全部突っ込んで中古で買った。作曲科(おれたち)は、耳(これ)が命だからな」  


(どうだ。完璧な「音楽バカの苦学生(ペルソナ)」だ)


「…………」  


 春日さんは、俺のその「完璧な演技」を無視(スルー)して。俺のPCモニター(偽装済み)の壁紙(ただの風景写真)を、じーっと見つめて言った。


「師匠」


「なんだ」


「私、『Kanata』先生の、アンチになっちゃうかもしれません」


「…………は?」


 俺は脳がフリーズした。  


(今こいつ、なんつった?Kanata(俺)のアンチになる?)


「あ、いや違うんです!違うんですけど!」  


春日さんが慌ててブンブンと手を振る。


「私、昨日まで『Kanata』先生は神だって思ってました」


「(だろうな)」


「でも、ネット見たら先生の昔のファン(アンチ)の人たちが『Kanataは魂を捨てた』『Luminousは仕事だ』って言ってて」


「(おい。お前そこ(アンチの巣)までチェックしてんのかよ)」


「私、最初は『そんなことない!鏡理論最高!』って思ってたんですけど」


「(ああ)」


「でも、聴き比べちゃったんです」


「(何をだよ)」


「『Luminous』と、『アストロラーベ(原曲)』と、そして師匠(彼方)が作ってくれた『アストロラーベ(ピアノVer.)』を」


「…………」  


(最悪の組み合わせだ)


「分かっちゃったんです」  


 春日さんの目があの「ポンコツ」な目じゃない。俺(Kanata)の「魂(Daug)」に気づいた、あの「モンスター」の目に変わった。


「『Kanata』先生の「鏡理論」は、嘘だ」


「っ!」


「あの人(Kanata)は『アストロラーベ(原曲)』で、あんなに自分の魂(絶望)叫んでた。なのに生配信(デビュー)で凛音ちゃんに、『君が映すんだ』って言った。あれ、ずるいです」


(こいつ気づいただけじゃない。俺(Kanata)の「嘘」まで、完璧に見抜いてやがる)


「だから私、今Kanata先生にすごくムカついてます」


「(マジかよ)」  


(俺(彼方)は今、俺(Kanata)の一番熱心な信者(ファン)に、目の前で「アンチ宣言」されてるのか。カオスすぎるだろ)


「でも!」  


 春日さんは、俺(彼方)の手を、ガシッ!と掴んだ。


「!?」


「私は、『彼方師匠』を信じます!」


「(は?)」


「だって師匠(彼方)は、私(オンチ)のためにあの『アストロラーベ(ピアノVer.)』を作ってくれた!」


「(あれは事故だ)」


「師匠(彼方)は私(ポンコツ)に『G7→C』を教えてくれた!」


「(基礎だ)」


「師匠(彼方)は、『Kanata(あいつ)』みたいに、嘘つかない!」


「((盛大についてるが))」


「だから師匠!お願い!」  


 春日さんは、俺の手を握りしめたまま言った。


「私に『魂』の曲の作り方を教えてください!」


「(は?)」


「私、『Kanata(あいつ)』を見返すような『本物』の曲を作りたいんです!」


「(お前が? 作曲するのか?)」


「私(声楽科)には無理かもしれないけどでも師匠(彼方)がいれば、できる気がするんです!」


「…………」  


 俺は脳の処理が追いつかなかった。  


(アンチ(古参)は俺(Kanata)に『魂(アストロラーベ)』を書けと言う)  


(信者(こいつ)は俺(Kanata)にムカついて、俺(彼方)に『魂(本物)』を教えろと言う)


(どっちも、俺じゃねえか)  


(『Kanata』の問題は、結局、『彼方』の問題なのか)


 俺は、掴まれた手を振りほどけなかった。  


(ああもう、面倒くさい。こいつ(モンスター)は俺(彼方)が育てるしかないのか)


 俺はスタジオ(偽装済み)の奥。あの「黒い防音カーテン(ヤバい機材群)」を睨みつけた。  


(あそこにある)


(俺(彼方)が、昔、『魂(絶望)』で、人間関係(すべて)を壊した、あの頃に書いた、『Kanata』になる前の『本物』の楽譜(スコア)が)


「分かった」  


 俺は春日さんに言った。


「お前に、俺の『黒歴史(トラウマ)』、見せてやる」


「え?」


 俺は立ち上がり、あの「黒いカーテン」に手をかけた。  


(智也。すまん。作戦(偽装)、破棄する)


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