第18話 天才作曲家は覚醒する弟子と牙を剥く過去に挟撃される
「(マイナー・サブドミナント(Fm)?)」
「(こいつ、気づいた)」
月曜日、二限。「和声学Ⅲ」。俺の血の気が引いていく。目の前で春日さんが、一週間前まで「ド」の音すらまともに取れなかったあのポンコツが、俺(Kanata)の最新作(Luminous)の最もキモとなるコード進行を耳コピで看破しやがった。
「あ、あの師匠? どうしました? 顔色悪いですよ?」
春日さんが俺の顔を覗き込む。
(近い)
(お前のその無邪気な目が、今俺の秘密(アイデンティティ)を暴こうとしてるんだぞ)
「彼方。お前、何作ったんだよ」
いつの間にか俺の後ろの席に座っていた智也が、俺だけに聞こえる声で戦慄したように呟いた。
(俺が作ったモノ?)
(俺は『白亜凛音』という神(アイドル)を作ったつもりだった。だが俺は同時に
『春日美咲』という本物(ガチ)の『弟子(モンスター)』を作ってしまったのか?)
「いや」
俺は床に落ちたシャーペンを拾い上げ、必死に平静を装った。『天音彼方』の仮面を被り直すんだ。
(そうだ。こいつはただの声楽科の学生。俺(彼方)はただの作曲科の隣人)
「よく気づいたな、春日さん」
「え!?」
「ああ。Fm(ファ・ラ♭・ド)だ。G7(ソシレファ)の代わりに、あえてFm(マイナー・サブドミナント)を使うことで、サビ(ドミナント)への期待感をよりエモーショナルに高める常套手段だ」
俺はあえて「教科書的」なつまらない解説をしてみせた。
(どうだ。これで満足か)
(これで「へえ、彼方くん物知りなんだね!」で終わるはずだ)
だが。春日さんの反応は俺の予想を超えていた。
「(エモーショナル……)」
春日さんは俺のそのつまらない「解説」を目を輝かせながら手元の五線譜に猛烈な勢いで書き込み始めた。
「そっか! 『G7(ドミナント)』が『(家に)帰るぞ!』っていう強い意志だとしたら、『Fm(マイナー・サブ)』は『(家に)帰りたいけど帰れないかも』っていう『切なさ』の響きなんですね!」
「っ!」
(こいつ俺が今言った『理論(言葉)』を一瞬で自分の中の『感情(心)』に翻訳しやがった)
(違う。こいつはアホ(ポンコツ)なんかじゃない。こいつは俺(Kanata)と同じ「音」を「感情」で聴くタイプの本物だ)
「じゃあ! じゃあ師匠!」
春日さんが興奮して俺に詰め寄る。
(近い! マジで近い!)
「あの『Luminous』のラスサビ!」
「(ラスサビだと?)」
「あそこ、Fm(マイナー・サブ)じゃなくて、もっとこう世界が開けるようなでもちょっと不思議なあのコードはあれは何ですか!?」
(『Daug(オーギュメント)』のことか。俺が、あの曲で一番こだわった『希望』と
『不安』を同時に表現したあの和音にこいつも気づいたのか!?)
「彼方。もうやめとけ」
後ろの智也が俺の肩を叩いた。
(これ以上お前が本気で答えたら、お前が素人じゃないことがバレるぞ)
「あー! 見つけた!」
最悪の(いや、最高の)タイミングで高木が教室に入ってきた。
「おー! やってんな師弟コンビ!今日も朝からイチャイチャ(レッスン)かよ!」
「ひゃっ!?わ、高木くん!違うよ!」
「違わねえだろ!つーか春日さん!」
高木が俺たちの前の席にドカッと座った。
「俺聴いたぜ! お前の『推し』!『白亜凛音』!」
「え!? 聴いてくれたの!?」
「おうよ! ヤバかったなあれ!『Luminous』だっけ?あれ聴いちゃったらもう、お前……いや、凛音ちゃんが前に歌ってた『アストロラーベ(ピアノVer.)』がなんか霞んじまうな!」
「!」
俺の胃がキリッと痛んだ。
(高木(こいつ)、何も知らずにとんでもない爆弾落としていきやがった)
「そ、そんなことないよ!」
春日さんがなぜか慌てて反論した。
「『Luminous』は『プロ(Kanata)』の神の曲だよ! でも『アストロラーベ(ピアノVer.)』だって、すごく心のこもった、……『特別』なアレンジだもん!」
「…………」(俺と智也)
「(あのアレンジ(俺が作ったやつ)をそこまで言うか)」
「(彼女にとって、あのピアノVer.はそれだけ特別なのか。……まあ、気持ちは分かるが)」
智也が内心で呟く。
「ひゅーひゅー! 熱いねえ春日さん! なんだよ、そんなに必死になって!」
高木が状況をよく理解しないまま茶化すように言った。
「ち、違うってば!」
「うるさい。講義始まるぞ」
俺はもう限界だとばかりに、議論を強引に打ち切った。
だが、俺の左隣(春日さん)からは、「(師匠のアレンジ、本当に素敵だったな……)」という純粋な尊敬のオーラが。俺の後ろ(智也)からは、「(お前、厄介なファン(モンスター)育てちまったな)」という呆れのオーラが。俺の胃を確実に削り始めていた。
◇
その日の夜。俺は自室(スタジオ)でPC(Kanata用)に向かい頭を抱えていた。
(どうなってやがる。春日さんの才能(耳)、開花しすぎだろ。俺(彼方)が下手に
「和声学(餌)」を与えたせいで、あいつ(モンスター)が『本物(Kanata)』の味を覚えてしまった)
(土曜の「自宅レッスン」、どうする。あいつ絶対あの『Daug(オーギュメント)』の正体聞いてくるぞ。俺(彼方)はどう答える? 「平凡な音大生」のフリをしたままどうやってあの『Kanata』の高等テクニックを説明するんだ?)
(無理だ。そうだ。土曜はまた仮病を……)
ピコン。
思考が中断された。柊さんからチャットだ。
俺はチャットを開いた。
『Kanata先生。ネットの「もう一つ」の流れはご覧になりましたか?』
「は?」
『あなたの「古参ファン」を名乗る一部の、いえかなり大きな声(ノイズ)です』
(!)
俺はX(旧Twitter)の検索窓に『Kanata』と打ち込んだ。
「Luminous 最高」
「Kanata 鏡理論」
……そして。
『Kanata 失望』
『Kanata アストロラーベ』。
(なんだこれは)
俺は、昨夜確認したあの「アンチ化」したファンの流れが、一夜にしてとんでもない巨大な「うねり」になっているのを目の当たりにした。
『Kanataは変わった。日和った』
『「魂はない。鏡だ」? ふざけるな。俺たちが愛したのは『アストロラーベ』のあの
剥き出しの「魂(Kanata)」だったんだ』
『Luminousは確かに良い曲だ。だがあれは「白亜凛音」の曲だ。俺たちの
「Kanata」の曲じゃない』
「(面倒くさい)」
(何を今更)
(俺はずっと前から『器』を作ってただけだろ)
だが、そのアンチたちの「神輿」として祭り上げられている「モノ」を見て、俺は凍りついた。
『聴き比べろ』
『これが本物(Kanata)が作った「Luminous」(完璧なミックス)』
『そしてこっちが、凛音ちゃんが前にアップした「アストロラーベ(ピアノVer.)」
(素人のアレンジ)』
『どっちが「魂」感じる?』
『俺は、後者だ』
「…………は?」
『(アストロラーベ(ピアノVer.)の方が、Kanataの初期衝動の匂いがする)』
『(Luminousは綺麗すぎてプロの「仕事」すぎて魂がない)』
『(このピアノVer.をアレンジした「謎の音大生」の方がよっぽど「本物(Kanata)」の魂を継承してるだろ)』
『(Kanataは終わった。俺はこのピアノVer.をアレンジした「彼方師匠」を探す)』
「…………」
「(『彼方師匠』?)」
(あ、高木か?いや、大学の掲示板(噂)か!大学の「天音彼方=春日さんの師匠」というローカルな噂がネットの海に流れ出て『Kanata』のアンチ(亡霊)と最悪の化学反応(ドッキング)を起こしてやがる!)
ピコン。柊さんから最後のチャット。
『Kanata先生。事態は最悪です』
『あなたの「アンチ」が、あなたの「偽物(=天音彼方)」を、「本物」として担ぎ始めています』
『これはあなたの「ブランド」の崩壊を意味します』
『Kanata先生。今すぐにこの「アンチ」たちを黙らせる「本物」の「魂(あなた)」の曲を書く必要があります』
『「Luminous」を超える「アストロラーベ」のような、あなたにしか書けない「魂」の曲を』
『白亜凛音の「第二弾・オリジナル曲」として今すぐにです』
「…………」
俺はPCを閉じた。
(冗談じゃない。『Luminous』で彼女(春日さん)をやっとデビューさせたばかりだぞ。『アストロラーベ』のような超絶技巧の曲?彼女に歌えるわけ……)
(いや、待て。彼女、今日、『Fm(マイナー・サブ)』気づきやがったな)
ドン、ドン。
左の壁が叩かれた。
(春日さんか)
「師匠ー! 聞こえますかー!」
「(うるさい)」
「私、今分かりました! 『Luminous』のラスサビ!あの『不思議な響き』!」
「(まさか)」
「あれ『Daug(オーギュメント)』ですよね!?『D(レ)』の音を半音上げた!
『G7(ソシレファ)』の『ファ』の代わりに使ってるあれですよね!?」
「…………っ!!」
俺はスタジオの椅子から転げ落ちた。
(こいつ、俺(Kanata)の「魂(アストロラーベ)」を歌えるようになっちまうのか!?)
俺の胃痛はもはや痛みを通り越し無になっていた。
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