第17話 天才作曲家は(自分自身の)信者(アンチ)と(本物の)弟子(デシプル)を(勝手に)手に入れる

 土曜日、正午。俺は死んでいた。いや、昨夜の「壁越し・二重音声(デュアルボイス)・生対談」という拷問(ミッション)をコンプリートし、ソファ(偽装工作用)に沈み込んでいた智也を夜明け前に叩き出し、文字通り「泥」のように眠っていた。


(……静かだ)


 俺はリビングで目を覚ました。左の壁(502号室)から物音が聞こえない。  ……ああ、そうか。あいつも昨夜の「デビュー配信(殴り合い)」で燃え尽きて死んだように眠っているんだろう。  


(俺の平穏が戻って……)


 ピンポーン。


(……撤回する)


 俺はよろよろと立ち上がりインターホンのモニターを見た。そこには……春日さんが立っていた。いつものよれたジャージじゃない。大学用の清楚系(お出かけ)スタイルだ。ただ目がウサギのように真っ赤に腫れ上がっている。  


(泣きすぎだろ、あいつ)


 そして、その手には、……タッパーではなかった。デパ地下の高級そうな紙袋が握られている。


 俺はチェーンロックをかけたままドアを開けた。


「なんだよ。土曜の昼だぞ」


「師匠ーーーーーっ!!」  


 俺がドアを開けた瞬間。春日さんはその場で崩れ落ちるように土下座した。  


(は!?)


「あ、ありがとうございましたあっ!昨日は本当にありがとうございましたあっ!」


「お、おい、春日さん。やめろ。廊下だぞ。誰か見たらどうする」


「昨日(金曜)の壁ドン(激励)がなかったら……私、いえ、私の『推し』は死んでましたあっ!」


(まだ、その『推し』設定続けるのかお前は……もうバレバレなんだよ)


「わかった。わかったから立て。……で、なんだその紙袋は」


「これです!」  


 春日さんは、ガバッと顔を上げその高級そうな紙袋を俺に突きつけてきた。


(有名パティスリーのロゴだ)


「昨日の『お礼』です!私が今買える一番いい、『ケーキ(本物)』です!」


(……『炭(カーボン)』じゃ、ない)  


(……『塩(ソルト)』でも、ない)  


(……『ブルーベリー(闇)』でも、ない)  


(こいつ、ついに『学習(ラーニング)』したのか……!)


「ああ。……まあ、貰っとく」  


 俺が紙袋を受け取ると春日さんはさらに別の封筒を差し出してきた。


(なんだ今度は)


「……それとこれ!」


「……?」


「私の『お仕事』の初めての『お給料(アドバンス)』です!」


「は?」


「授業料(月謝)です!私を正式に師匠の弟子にしてください!」  


封筒には、「月謝」と、書かれている。


(こいつマジか……『白亜凛音』のデビューで稼いだ金を『天音彼方』にレッスン料として払うつもりか……それ俺(Kanata)が稼がせた金を俺(彼方)に払うって……それもうマネーロンダリング(資金洗浄)か何かか?)


「いらん」


 俺は封筒を突き返した。


「えー!なんでですか!?」


「俺はプロじゃない。ただの学生だ。金なんか取れるか」


「(……『Kanata』としては、プロだが)」


「ケーキは貰う」


「師匠……!」  


 春日さんの目が感動で潤んでいる。  


(あ、ヤバい。また好感度上がったっぽい)  


(面倒くさい)


「……じゃあ俺は寝る」


「あ! 待って師匠!今日この後レッスンは!?」


「やらん。……(こっち(俺)の『魂』が燃え尽きた)」


「えー!」


 俺は春日さんの抗議を無視しドアを閉めた。リビングのテーブルに高級ケーキ

(モンブラン)が置かれる。  


(まあ、悪くない戦果だ)


 俺はスタジオ(本物)の椅子に戻りPC(Kanata用)を起動した。  


(さて。戦果の確認だ)


          ◇


 俺は息を呑んだ。『白亜凛音』のYouTubeチャンネル。昨夜のデビュー配信のアーカイブ(切り抜き)。


 同時接続、二十万。アーカイブ再生数、一夜にして百万回。


 そして配信直後に投下された、『Luminous』の公式ミュージックビデオ(MV)。  ……再生数、三百五十万回。


「……(バケモノか)」


 コメント欄、賞賛の嵐。


『伝説の始まり』


『歌声、神。Kanata、神。殴り合い、神』


『「鏡」発言、鳥肌立った』


『Kanata先生、怖すぎ、優しすぎ、尊すぎ』


 ……ピコン。柊さんからチャットだ。


『Kanata先生。おはようございます。「殴り合い」、拝見しました』


『(……やめろ、その、挨拶)』


『Luminous、各種、音楽チャートすべて一位を獲得しました。新記録(レコード)です』


『あなたの「鏡」発言、ネットニュースにもなっていますよ。「新人VtuberにKanataが送った魂のエール」と』


『……フフ。あなたは「魂で、関わりたくない」と言っていたのに。……皮肉ですね』


「……(うるさい! 事故だ!)」  


俺は柊さんのチャットを閉じた。


 だが、本当の「地獄」はここからだった。俺は、『Kanata』の公式X(旧Twitter)のアカウントを開いた。……通知が止まらない。俺のフォロワーが一夜にして三十万人増えている。


 そしてそのリプライ欄。


『先生!昨日は最高でした!』


『凛音ちゃんのこと、よろしくお願いします!』


『「鏡」発言、感動しました!』


 ……ここまでは、いい。問題は、その、下に、あった。


『……あれ?でも、Kanata先生』


『昨日の凛音ちゃんへの、アドバイス(鏡発言)、なんかおかしくないですか?』


『先生の初期の代表曲、『アストロラーベ』。あれ、どう聴いても「鏡(器)」じゃなくて先生の「魂(自我)」が暴れまくってる曲ですよね?』


『「魂はない」とか言ってましたけど……あの曲、魂の塊じゃないですか』


『もしかしてKanata先生、昨日の凛音ちゃんへの言葉、……嘘……?』


(……!)


 俺は背筋が凍った。  


(『古参』のファンだ……気づきやがった……俺(Kanata)が昨日苦し紛れについた嘘(鏡理論)と……俺(Kanata)の過去の作品(アストロラーベ)との致命的な「矛盾」に……!)


『Kanata先生、変わりましたね』


『昔のギラギラした魂(曲)好きだったのに』


『今のKanataは「信者」には優しいけど、……昔のファン(アンチ)は捨てるんだ』


『……失望しました』


(……あ……ヤバい)


 俺の、「苦し紛れの、一言」が。『白亜凛音』という「最高の成功」を生み出すと同時に。俺(Kanata)の「過去」の信奉者を「アンチ」へと変貌させていた。


「……(面倒くさい)」  


(俺は、ただ静かに曲作ってたかっただけなのに)  


 俺はPCの電源を落とした。


 ……月曜日。俺は重い足取りで大学の講義室に向かっていた。  


(どうせまた、高木(あいつ)に「師弟」とか言われるんだろ……胃が痛い)


 講義室のドアを開ける。


「師匠! おはようございます!」  


(来た。春日さんだ)  


 俺が席に着くと同時に春日さんが隣に座る。  


(あれ? 高木も智也もまだ来てない)


「ああ」


「師匠! 私、土日ずっと考えてました!」


「……(何をだよ)」


「師匠(彼方)が教えてくれた、『和声学(G7→C)』のこと!」


「……(ああ。あの地獄のレッスンか)」


「それと!」  


 春日さんは目をキラキラと輝かせ……そしてとんでもない爆弾を落としてきた。


「私の『推し(凛音)』が歌ってる、『Kanata』先生のデビュー曲、

『Luminous』のこと!」


「……(ああ)」


「あの曲のBメロ!」


「……(ん?)」


「G7(ソシレファ)じゃなくて、Fm(ファ・ラ♭・ド)? ……みたいなちょっと悲しくて切ない響きがしませんでしたか!?」


「…………っ!?」


 俺は持っていたシャーペンを床に落とした。  


(こいつ……気づいた……俺(Kanata)があの曲に仕込んだ『マイナー・サブドミナント(Fm)』の響きに)


(嘘だろ……一週間前まで、『ド』の音すら合わなかったポンコツが)  


(俺(彼方)の「基礎練(G7→C)」と、俺(Kanata)の「実践(Luminous)」をたった数日で、自分(あたま)の中で比較、分析しやがった……!)


「あ、あの、師匠……?どうしました?顔色悪いですよ?」  


 春日さんが俺の顔を覗き込む。  


(近い)


「……(お前)」


「……(お前、本当に誰なんだ……)」


 俺の隣で……俺が「凡人(ポンコツ)」だと思い込んでいた女が。俺が「天才(Kanata)」として、仕掛けた、「罠(コード)」を解き明かし始めていた。


「……彼方。お前、何作ったんだよ」  


いつの間にか後ろの席に座っていた智也が俺だけに聞こえる声で……戦慄したように呟いた。


 (俺が作ったモノ……?俺は『白亜凛音』という神(アイドル)を作ったつもりだった……だが俺は同時に『春日美咲』という……本物(ガチ)の『弟子(モンスター)』を作ってしまったのか……?)


 俺の胃痛はまったく別の種類(フェーズ)の痛みへと変わろうとしていた。

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