第13話 天才作曲家は(壁一枚隔てた)生対談(ヘル)の準備をする
俺は崩れ落ちた。床にではない。精神的に、だ。
『白亜凛音のデビュー配信』
『Kanata先生(あなた)との、「生対談(ライブトーク)」』
柊さんから送られてきたこの二つの絶望的な単語の組み合わせ(マリアージュ・オブ・ヘル)を俺はスタジオの椅子の上で反芻(はんすう)していた。
「(生対談?俺と、あいつが?)」
来週、金曜日。あいつ(春日さん)は十中八九自室(502号室)から配信する。 俺(天音彼方)はここ(501号室)のスタジオからVC(ボイチェン)で参加する。
壁一枚隔てて(築年数が古く、歌声は通る)。隣人同士がお互いの「最強の仮面(Kanataと白亜凛音)」を被って生放送(ライブ)で、対談する。
「(……地獄か?)」
想像しただけで眩暈がした。まず物理的な問題。「音」だ。
あいつ(春日さん)が502号室で「こんりおーん!」と叫ぶ。その声は二つのルートで俺の耳に届く。ルートA:ネット回線(VC)を経由し、俺のヘッドホンに「白亜凛音」の声としてほぼ遅延ゼロで届く。ルートB:物理的な「壁」を振動させ、俺の左耳に「春日美咲の地声」としてわずかな遅延(ゼロコンマ数秒)を持って届く。
(ダメだ。俺の絶対音感(耳)がそのわずかな「遅延(ディレイ)」と「音質の違い(地声とVC)」を異物として認識しバグる。俺は対談中に間違いなく発狂する)
逆も然りだ。俺がここ(501号室)でボイチェン越しの「威厳ボイス(Kanata)」で喋る。
「ああ。Kanataだ」
その声がもしこの防音室の「壁」を透過して、あいつ(春日さん)の高性能な配信マイクに乗ったら?
『(……あれ? 今、隣の部屋からKanata先生と同じ(ような)声が……?)』
(終わる。終わるぞ)
「……はぁぁぁぁぁぁ」
俺はここ数日で一番深いため息をついた。
(無理だ。このミッション物理的に不可能(インポッシブル)だ)
俺はスマホを掴み唯一の「共犯者(バディ)」にSOSを発信した。
『夏目 智也』。
『助けてくれ。また死んだ』
チャットを送ると五秒で既読がついた。
『どうした、師匠サマ(笑)。今度は何をやらかした』
『壁越し生対談』
『……は?』
俺は柊さんとのやり取りをそのままスクショして智也に送りつけた。……三十秒、沈黙。……一分、沈黙。
ピコン。
『……ぶっふぉwwwwwww!!!』
『(↑カツ丼噴いたの意)』
『お前、マジか!壁越しに生でKanataと白亜凛音やるのか!』
『地獄じゃん! いや最高(サイコー)かよ!』
(こいつ絶対に楽しんでる)
『笑い事じゃない!どうする!?物理的に無理だ!』
『ああ。確かに。お前のそのプロ用スタジオと春日さんのポンコツ配信環境じゃ音漏れまくるな』
『だろ!?』
『しょうがねえなぁ』
智也から電話がかかってきた。
「もしもし」
『もしもし、彼方? ……お前、本当に面倒くさい案件引き寄せる天才だな』
「うるさい。どうすればいい」
『まず、お前(Kanata)だ』
智也の声が真剣な「ビジネスモード」に切り替わった。
「いいか。お前の声が壁を抜けるのが一番マズい。……お前、配信(対談)当日どこで喋る気だ?」
「どこってこのスタジオ(DK)だが」
『ダメだ。そこ防音室とはいえ壁一枚隔ててすぐ隣だろ』
「じゃあ、どこで」
『リビングだ』
「……は?」
『スタジオ(DK)と、リビングを仕切ってる防音扉あるだろ。あれを閉めろ。……そしてリビングの一番502号室から遠い壁……。つまりお前の部屋の玄関側で喋れ』
「……(なるほど)」
「機材はどうするボイチェンもPCも全部スタジオだぞ」
『ノートPC持ってないのか?』
「ある。大学のレポート用のショボいのが」
『それでいい。VCソフトだけ入れとけ。……ボイチェンは?ハード(機材)か?』
「ああ。ラックに入れてある」
『クソ。じゃあそれだけラックから引っこ抜いてリビングに持ってこい』
「……(面倒くさすぎる)」
『次に、春日さんだ』
「ああ」
『あの子の「地声」がお前の耳に入るのがマズいんだろ』
「ああ。遅延で死ぬ」
『……お前、ヘッドホン何使ってる?』
「Genelecの密閉型モニターヘッドホンとAudezeの平面駆動型(オープンエア)だが」
『オープンエア(開放型)は捨てろ。論外だ。外の音聞こえまくる』
「……(だろうな)」
『その密閉型(クローズド)を使え。……いや、待て。それでも春日さんのあの「うおおお!」っていう絶叫(ボイス)は壁の「振動」で貫通してくる』
「じゃあ、どうする」
『……「二重」にする』
「は?」
『密閉型ヘッドホンの上から……工事用の「イヤーマフ」(防音保護具)を装着しろ』
「…………(……本気かこいつ)」
『Amazonで3000円くらいで売ってるだろ。最強のヤツ、買え。……VCの音はヘッドホンでギリギリ聞こえるレベルまで上げろ。……それ以外の物理音はイヤーマフで全部殺す』
「…………」
(そこまでするのか……ヘッドホンの上からイヤーマフつけて、リビングの隅でノートPCに向かってボイチェン越しの威厳ボイスで喋る俺(Kanata))
(絵面が地獄すぎる)
『……彼方。これがお前が守りたかった「平穏」の代償だ。……諦めろ』
「ああ。……ポチる(Amazonで注文する)」
智也との「極秘作戦会議」を終え、俺は少しだけ安堵しそして倍くらい疲労した。
(これで金曜日(デビュー配信)はなんとかなる、か……?)
(いや、待て……その前に、「土曜日」があった)
……あ。
(違う。「土曜」じゃなくて「水曜(今日)」と「木曜」も、ある)
俺は大学の時間割を思い出した。水曜四限。「音楽史概論」。……春日さんと同じ講義だ。
(昨日の食堂での「師弟」騒ぎの後だぞ……地獄その2、か)
◇
水曜日四限。大講義室。俺が予想した通りだった。俺がいつもの「最後列」に座った五秒後。
「師匠! お疲れ様です!」
春日さんが満面の笑みで俺の「真横」の席に座った。
(昨日まで智也を挟んでたよな?)
(距離感(フィジカル)がバグってる!)
瞬間、教室中の視線が俺たちに突き刺さる。
『おい、マジだ』
『昨日、食堂で天音が「俺の部屋、来い」って、言ったらしいぞ』
『うわ、ガチじゃん。もうヤッたのか?』
『(……ヤってない。和声学だ)』
「……春日さん」
俺は声を潜めた。
「近い。あと声デカい。あと師匠やめろ」
「えー! だって師匠は師匠ですから!ね、夏目くん!」
春日さんは俺のさらに隣に座った智也に同意を求める。
(こいつ、完全に俺と智也と自分を『セット』だと認識し始めてる)
「おう!師匠!今日のご指導はいつやるんだ?」
智也がニヤニヤしながら俺の肩を組む。
(こいつ、俺を売る気だ)
「今日はやらん。俺は金曜(デビュー配信)の準備で忙しい」
「えー!でも、私土曜日まで待てません!」
「我慢しろ」
「だって!私も金曜日すっごく大事な『本番(デビュー配信)』があるんです!」
「……(知ってる。お前のその『本番』のせいでこっちはイヤーマフ買う羽目になってるんだ)」
「そうだ!」
春日さんが何か閃いたように、手を叩いた。
「彼方師匠も金曜日忙しいんでしょ? 『デカい仕事の、締め切り』って言ってた!」
「ああ」
「じゃあお互い頑張ろうね! の、『激励会』しませんか!?」
「……は?」
「今夜!私の部屋で鍋パしましょう!」
「――ぶっ!!」
俺の隣で智也が飲んでもいないペペロンチーノ(幻覚)を噴き出した。
「(鍋パ?)」
「(こいつの部屋(502号室)で?)」
(いや、待て……あいつの部屋……そこは、『白亜凛音』の配信部屋(スタジオ)じゃないのか?)
(俺(天音彼方)がそこ(敵地)に入る?……あいつ、正体(凛音)の痕跡隠せるのか? 俺(彼方)が偽装工作(ハイド)したみたいに)
「(面白い)」
俺の作曲家(クリエイター)としての好奇心が胃痛(フィジカル)を上回った。敵の「秘密の城」に潜入できるチャンス。
「……いいだろう」
「え! やったー!」
「ただし、智也も呼ぶ」
「え!?」
「なんで!?」(春日さん)
「異議なし!」(智也)
「二人きりだと高木(あいつ)にまた変な噂立てられるだろ」
(……というのは建前(ウソ)だ……万が一俺が何か『見てはいけないモノ(凛音の痕跡)』を見つけて固まった時。智也(共犯者)がいればフォローできる)
「あ。そ、そっか。そうだよね!分かった!じゃあ、今夜七時!私の部屋来てね!夏目くんも!」
「おう!楽しみにしてるぜ!春日さんの、『闇鍋』!」
「や、闇鍋じゃありません!……たぶん!」
(……『たぶん』、か)
俺の胃は今夜物理的に試されるらしい。
◇
その夜。午後七時ジャスト。俺は智也と二人502号室のドアの前に立っていた。
(隣の部屋なのにチャイム押すの変な感じだ)
ピンポーン。
「はーい!どうぞー!開いてまーす!」
中から春日さんの声が聞こえる。
ガチャリ。俺と智也は顔を見合わせた。
(本当に開いてる)
(不用心すぎるだろ)
「……お邪魔します」
俺たちが足を踏み入れた502号室。そこは――。
「(……狭っ!)」
俺の部屋(501号室)と同じ間取り(1DK)のはずだ。だが体感半分くらいに感じる。
理由(ワケ)は明らかだった。部屋の半分を占拠する大量の「ぬいぐるみ」と
「クッション」。そして壁一面に貼られた大量の「吸音材(スポンジ)」と「防音カーテン」。
「わー!いらっしゃい!ちょっと散らかってるけど座って!」
春日さんがキッチンスペースから顔を出す。
智也が俺の耳元で囁いた。
「おい、彼方。……こりゃ、ひどいな」
「ああ。ひどい」
(この素人感丸出しの防音(?)対策)
(これじゃ音漏れるに決まってる)
だが問題はそこじゃない。俺の視線は部屋の奥。俺の部屋(501号室)で「スタジオ(DK)」があるべき場所。そこに鎮座している「モノ」に釘付けになった。
ゲーミングチェア。トリプルモニター。高性能(っぽい)コンデンサーマイク。そしてモニター(PC)の壁紙。
(……『白亜凛音』のキービジュアル(立ち絵)……!)
「(おい!)」
俺が智也の腕を掴む。
「(あいつ!隠してない!)」
智也も固まっている。
「(彼方。……あれマズいよな?)」
「(マズいどころじゃない!即死だ!)」
俺たちが玄関先で小声でパニックになっていると。
「あ!どうしたの、二人とも?突っ立って」
春日さんが不思議そうにこっちを見た。
「あ、いや、春日さん。その奥のPC……」
智也が当たり障りなく指摘しようとする。
「ああ、あれ!」
春日さんはあっけらかんと笑って言った。
「私の『推し』です!」
「「……は?」」(俺と、智也)
「『白亜凛音』ちゃん!私、この子、デビュー前からずっと追っかけてて!」
(……は?)
「もう声が天使すぎて!私、この子のファンクラブ会員番号一桁狙ってるんだ!」
(……は? は? は?)
俺と智也は顔を見合わせた。
(どういう、ことだ)
(こいつ自分が『白亜凛音』なのに『白亜凛音』のオタク(ファン)やってるフリしてるのか?)
(いや違う)
(こいつ本気(マジ)で言ってる)
(あのドジでポンコツな頭(ブレイン)で……『自分が、白亜凛音であること』を隠蔽(ハイド)するために……『白亜凛音の、熱狂的な、ファンである』という偽装工作(カモフラージュ)を、今、咄嗟に思いついたんだ……!)
「(天才、か……?)」
俺はある意味戦慄した。
(こいつ、俺(彼方)が『Kanata』の痕跡を全部布で隠したのと……真逆(マギャク)の発想で……『白亜凛音』の痕跡を全部『ファン活動』ということにして堂々と開示(オープン)してる……!)
「……ぷっ。……くくく」
智也がついに限界を迎えた。
「ははは! そ、そうか!春日さん『白亜凛音』好きなんだ!奇遇だね!俺も最近気になってたんだよ!」
「え!本当!?夏目くんも!?」
「ああ!あの、『アストロラーベ』の歌ってみた最高だったよな!」
「でしょー!?」
(ダメだ。智也が完全にあいつのポンコツな嘘(偽装)に乗っかって遊んでる)
「鍋、できたよー!……あ、でも、ごめん!白菜買い忘れちゃった!」
(……そっちかよ)
俺は重いため息をついた。金曜日。俺(Kanata)はこの「自分の熱狂的なファン(のフリをした本人)」と壁一枚隔てて生対談(ライブトーク)をする。
俺の胃はもう限界を超えていた
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