第10話 天才作曲家は(自分自身の)編集技術(ゴッドイーター)に嫉妬される
月曜の朝。俺が文字通り「泥」と化していた長時間の睡眠から覚醒したのは、けたたましいアラーム音ではなくスマホのチャット通知音だった。送信元は柊詩織。
(……来たか)
俺は、ゾンビのようにベッドから這い出し、スタジオの椅子に座る。日曜の早朝に、俺(Kanata)が春日さんの「感情」と、俺(Kanata)の「完璧な技術」を融合させて作り上げたデビュー曲『Luminous(ルミナス)』の最終マスター音源。あれに対する判定(ジャッジ)だ。
柊さんのレスポンスは常に迅速かつ、冷徹だ。俺は乾いた喉にミネラルウォーターを流し込みチャットを開いた。
『Kanata先生。Luminous、拝聴しました』
(いつもの、定型文だ)
『……フフ』
(出た。不吉な笑いだ)
『あなたの作曲技術が「天才」であることは、重々承知していましたがまさかあなたの「ボーカル・エディット(歌唱修正)」の技術が、ここまで「変態」の領域だったとは、見抜けませんでした』
「……は?」
変態?
『あの金曜日の時点での「素材(ラフテイク)」も、スタジオ側から共有されていました。……あれは正直聴くに堪えないひどいものでしたね』
(だろうな)
『それをこの二日間で、これほどの「完璧な歌」に仕立て上げるとは。……正直少し恐怖を覚えました。彼女の「感情」は一切殺さず、ピッチとリズムだけを神の手のように修正する。……あなたのその技術(スキル)、社外秘(しゃがいひ)にしておきたいレベルです。本当によくやりました。素晴らしいの一言です』
……ピコン。続けて柊さんから別のチャットが転送されてきた。送信元はあの霧島玲奈マネージャーだ。
『柊さーーーーん!そしてKanata先生ーーー!(涙)。き、聴きました!ルミナス! なにあれ!神!神ですか!?私、正直金曜日の凛音ちゃんの歌(Aメロで一時間かかったやつ)を聴いて、デビュー半年延期した方がいいんじゃないかって本気で悩んでたんです!なのに!なのに!送られてきた完成品!なんですかあの「天使」は!本当にあれ、うちの凛音ちゃんの声ですか!?(号泣)Kanata先生は、魔法使いか何かですか!? 私、もう、先生に一生ついていきます!』
「ふん」
俺はスマホの画面を閉じ、背もたれに体重を預けた。霧島さんの分かりやすい絶賛。そして柊さんの最大級の(歪んだ)賛辞。
(「変態」か。最高の褒め言葉じゃねえか)
作曲家『Kanata』としてのプライドが、完璧に満たされた。俺は重い体を引きずり、三日ぶりの(熱い)シャワーを浴びるためにスタジオを出た。今日は火曜日。大学の講義がある。
◇
「師匠! おはようございます!」
大学のカフェテリア。俺が学食のAランチ(生姜焼き定食)を死んだ魚の目で食べていると、真横から元気すぎる挨拶が飛んできた。春日さんだ。なぜかトレーには俺と同じ、ガッツリ系のAランチ(しかも、ご飯大盛り)が乗っている。
「お前、その呼び方やめろって言ったよな」
「ダメです! 師匠は、師匠ですから!」
春日さんは、俺の正面の席にドカッと座った。
(こいつ大学での「清楚系」の仮面、俺の前だと完全に捨ててないか?)
「師匠! 顔色、少し戻りましたね! ちゃんと寝ました?」
「……ああ。さっき、起きた」
「よかったーやっぱり師匠(彼方)は、私の『メンタル師匠』ですから!健康でいてもらわないと!」
「メンタル、師匠?」
「そう!」
春日さんは白米(大盛り)を美味しそうに頬張りながら熱弁を始めた。
(こいつ、意外と食うんだな)
「私、気づいたんです!私には二人の『師匠』がいるって!」
(……ああ。その話知ってる。日曜に玄関先で聞いた)
「一人は彼方師匠!『実践・メンタル』の師匠!もう一人は『理論・テクニック』の師匠! ……あの金曜日にお会いした、『プロ』の先生です!」
「(どっちも、俺だ)」
俺は生姜焼きを噛み締めながらこのカオスな状況を、どう受け流すべきか必死に思考を巡らせていた。
「それでね!師匠(彼方)!」
「なんだ」
「私、あの『プロ』の先生にも言われたんです!『和音(コード)を聴け』って!」
「へえ」
「彼方師匠もこの前、講義室で全く同じこと言ってましたよね!?」
「まぁ、音楽の基礎だからな」
「やっぱり!すごい!彼方師匠はプロの先生と同じ『真理』にたどり着いてたんだ! 天才!」
「(だから、同一人物だって……)」
「そこで相談です!師匠(彼方)!」
春日さんが身を乗り出してきた。
「私、その『和音(コード)』をもっと勉強したいんです!彼方師匠に和声学を教えてもらいたいです!」
「和声学を?俺が?なんで」
「だって彼方師匠は作曲科でしょっちゅう難しい顔して譜面(課題)やってるから!」
「……(それは、お前の隣室からの騒音に集中力を削がれてるだけだが)」
「お願い! 私、『白亜凛音』として……あ、いや、えっと……」
(おい。今、自爆しかけたぞ)
「私の『歌』のために、もっと理論が知りたいの!」
「だから、それは大学の講義で……」
「ダメです!講義は難しい!師匠(彼方)にマンツーマンで教えてもらいたいの!」
(……面倒くさい。面倒くささが金曜のレコーディングの疲労を上回ってきやがった)
俺がどうやってこの(ある意味、熱心すぎる)弟子(仮)を振り払おうか悩んでいた、その時。
「よお! やってんな、師弟コンビ!」
高木がトレー(カツカレー大盛り)を持ってやって来た。その後ろにはもちろん智也(ペペロンチーノ)もいる。
「わ、高木くん!夏目くん!お疲れ様!」
「おう!つーか彼方!お前、生きてたのか!金曜から一切連絡つかねえし!」
「ああ。死んでた」
「だよな!……ってえ?死んでた!?」
「まぁまぁ、渉」
智也が高木を押しのけ俺の隣に座った。
「こいつ、デカい仕事をやり遂げたんだ。今はそっとしておいてやれ」
智也は俺の顔(クマ)と春日さんの顔(やる気満々)を見比べて、ニヤニヤが止まらない、といった顔をしている。
(こいつ絶対に楽しんでやがる)
「で? 今度は何の話してたんだよ?」
高木が俺の向かい(春日さんの隣)に座る。
「あ、えっとね!私、彼方師匠に『和声学』を教えてもらおうと……!」
「和声学!?うわ、マジメか!」
「それとね!」
と、春日さんが何かに気づいたように声を潜めた。
「私、日曜日に高木くんたちに話した、『プロの先生』の話……あるでしょ?」
「ああ! あったな!業界のスゴイ人!」
「うん。……その『プロの先生』と彼方師匠……どっちが、すごいかな、って……」
「(……は?)」
俺は飲んでいた水(セルフサービス)を噴き出しそうになった。
(おい、何を言い出すんだ、お前は)
(俺(彼方)と、俺(Kanata)を比較するのか?俺(本人)の前で!?)
俺の隣で智也が「ブフッ」と吹き出し、ペペロンチーノの麺が鼻から出そうになっている。
「えー? どっちが、すごいって……」
何も知らない高木は、本気で悩み始めた。
「そりゃ、春日さんが言う『プロ』が誰だか知らねえけど……。やっぱ『プロ』の方がすごくね?」
「うーん、そうかなぁ……」
春日さんは、なぜか不満そうだ。
「だって、彼方(こいつ)はただの俺たちと同じ学生だぜ? ちょっとピアノが上手いだけの(多分)」
「(高木。お前のその認識、ある意味ありがたい……)」
「でも!」
春日さんが、反論する。
「彼方師匠は、私が一番辛かった時……。チャットで私を救ってくれたんだよ!」
「(やめろ。その話、掘り下げるな)」
「はぁ!?チャットで救う!?何それ!愛の告白でもされたのか!?」
「ち、違う そうじゃなくて!メンタル的なアドバイス!」
「うわー、アツい!やっぱお前らデキてんじゃん!」
「(こいつ(高木)の脳内、恋愛かカツカレーしかないのか)」
「……私はね」
春日さんが、真剣な顔で、続けた。
「『プロの先生(Kanata)』は、……神様みたいだった。すごく遠い絶対的な存在。怖かったけど完璧だった」
「(フッ。だろうな)」
「でも、『彼方師匠』は違うの」
春日さんがまっすぐ俺(彼方)の充血した目を見た。
「彼方師匠は隣にいてくれる。私がダメダメな時も、壁越しに聴いててくれる。……私の一番の理解者だと思う」
「……っ」
(いや、壁越しに聴いてるのはお前の騒音に苦しめられてるだけだ……そして、その『神様(Kanata)』が、お前の一番の理解者(俺)なんだが)
俺は何も言い返せなかった。
(情報が、渋滞しすぎている)
「ひーっ! ひーっ!」
隣で智也がついにテーブルに突っ伏して、笑い死にそうになっている。
「(智也……! 後で、殺す……!)」
「……な、なんだよ、智也。ツボ、浅すぎだろ」
高木がドン引きしている。
「と、とにかく!」
春日さんが顔を赤くして仕切り直した。
「私は、彼方師匠にも教えてもらうの!和声学!」
「はぁ。もう、好きにしろ」
俺は観念した。こいつのこの「思い込み」はもう誰にも止められない。
「やったー!……あ、でもその前に!」
春日さんが、何か思い出したようにスマホを取り出した。
「私、その『プロの先生(Kanata)』に、お礼のメール送らないと!」
「……は?」
「あ、いや、えっと、マネージャーさん経由で、なんだけど……。昨日、その『プロの先生』が編集してくれた、私の『デビュー曲』の完成品聴かせてもらったんだ!」
「お! マジで!」
高木が身を乗り出す。
「春日さん、デビューすんの!? どこで!?」
「あ! い、いや、えっと、それは……まだ、秘密で……!」
(ドジ。墓穴、掘りすぎだろ)
「まぁいいや! で、どうだったんだよ、そのデビュー曲!」
高木が聞く。
俺も気になっていた。俺(Kanata)が完璧に仕上げたあの『Luminous』。あいつ(春日さん)はどう感じたんだ?
俺が生姜焼きを食べる手を止め待っていると。春日さんはなぜか俯いて黙り込んでしまった。
「春日さん?」
智也が異変に気づいて声をかける。
「……あのね」
春日さんは小さな震える声で言った。
「すごかった。すごすぎて……。私、怖くなった」
「……は?」
「だってあれ、私の『声』じゃないみたいだったんだもん」
(……!)
俺は心臓が掴まれたように冷たくなった。
「私、金曜日、本当にひどかったの。音程も、リズムも、全部ズレズレで……。泣きそうだった」
「(……知ってる)」
「でも、完成した曲は……『完璧』だった。私の、ダメダメな部分が全部消えてた」
「……」
「ねぇ、彼方くん」
春日さんが、不安そうな目で俺(彼方)を見た。
「これって、ズルかな?」
「『プロの先生』が魔法みたいに私を『上手』にしてくれた。……でも、これって本当の私なのかな?」
「私、この『完璧な曲』でデビューして……。みんなに『歌が上手いね』って褒めてもらっても……。それ、私嘘ついてるみたいで……」
(……シリアスモード、来た)
(しかも、一番、面倒くさいアイデンティティの問題だ)
俺(Kanata)の完璧な「編集(エディット)」技術が。皮肉にも歌い手(春日さん)本人を追い詰めていた。
「あー。なんか重い話だな」
さすがの高木もカツカレーの手を止め困った顔をしている。
智也が俺の顔をチラリと見た。
(……『お前(Kanata)がやりすぎたせいだぞ』。……目が、そう言っている)
(クソ)
俺は残っていた白米をかき込んだ。これは俺(Kanata)が撒いた種だ。なら、刈り取るのは俺(彼方)の仕事だ。
「春日さん」
「……は、はい」
「それは、ズルじゃない」
「え……?」
「それは、『プロ』の、仕事だ」
俺は空になった食器をトレーに乗せながら言った。
「お前を輝かせるのがそいつ(プロの先生)の仕事だ。……お前は、最高の『素材(声)』を渡した。そいつは最高の『技術』で応えた。……それだけだろ」
「……」
「嘘だと思うなら、上手くなればいいだろ」
俺は立ち上がった。
「その『プロの先生(俺)』がいなくても、文句なしの完璧な歌、歌えるようになればいいだろ」
「……っ!」
「和声学、だろ。教える」
「……え?」
「今週の土曜。午後。……俺の部屋、来い」
「ええええええ!?」
春日さんと高木の絶叫がハモった。
「(あ、ヤバい。面倒くさくなって、とんでもないこと言った……!)」
俺は智也の「お前、バカか?」という冷たい視線を背中に浴びながら。
「師匠! いいんですか!? やったー!」という春日さんの歓声と、「マジかよ! 部屋!? 俺も行く!」という高木の叫び声から逃げるように食堂を後にした。
俺の平穏は、完全にもうどこにもなかった。
—――――――――――――――――――――――――—――――――――
ここまで読んでくださって、ありがとうございます!
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