第6話 天才作曲家は(自分の)アレンジに(自分で)嫉妬する

 日曜日、午後八時。俺のスタジオは決戦の時を迎えていた。モニターには動画配信サイトのトップページ。『白亜凛音』のチャンネル。そこには今まさに公開設定されたばかりの動画が鎮座していた。


【歌ってみた】アストロラーベ / Kanata【白亜凛音(新人Vtuber)】


「…………」


 俺は再生ボタン(三角マーク)の上でマウスカーソルを彷徨わせたまま、硬直していた。胃がキリキリと音を立てて痛む。分かっている。中身は俺が作った『アストロラーベ(魔改造・初心者向けVer.)』だ。春日さんは俺が送ったピアノ伴奏(MP3)に合わせて昨日まで壁越しに練習していた。


 (……音程は合っていた。ギリギリ聴けるレベルにはなっていた)


 だが、問題はそこじゃない。これは俺『Kanata』の曲だ。それを超大型新人『白亜凛音』が「歌ってみた」として世に放つ。そのアレンジが、あの『無』のようなダサいピアノアレンジだったと知れたら。


 俺のリスナーは耳が肥えている連中が多い。「原曲レイプだ」「アレンジがゴミ」「Kanataへの冒涜だ」そんなコメントで、動画が炎上する可能性は、十分すぎるほどあった。そうなればデビュー前の『白亜凛音』のキャリアに傷がつく。そして、俺がこれから提供するデビュー曲『Luminous(ルミナス)』にもケチがつく。


「(……クソ。なんで俺が俺のせいで、俺が胃を痛めなきゃならんのだ)」


 俺は意を決して再生ボタンをクリックした。


 ――ジャラーン……。


 流れ出すあまりにも単調な俺(天音彼方)が弾いたピアノのイントロ。  


(……ダメだ。聴いてるだけで恥ずかしい。コード進行が単純すぎてむず痒い……!)


 そして、春日さん(凛音)の声が入ってくる。


『♪――(Aメロ)』


 ……。  (……お)


『♪――(Bメロ)』


 (……歌えてる)


 俺は目を見開いた。壁越しに聴いていた時よりもずっといい。ちゃんとレコーディング用のマイク(おそらく、そこそこ良いコンデンサーマイク)を使ったんだろう。  彼女の声の持つあのシルクのような高音域の倍音が、余すところなく録音されている。


 そして音程。完璧とは言えない。まだところどころ微妙にフラット(低く)している。だが俺が作った「魔改造版」のシンプルな和音(コード)が、彼女の歌声をまるでガイドレールのように正しい道筋から外れないよう支えている。


『♪――(サビ)』


(……悪くない)  


(いや、むしろ……)


(……めちゃくちゃ、良くないか?)


 俺は自分が作った「ダサいアレンジ」であることを一瞬忘れていた。そこにあったのは『Kanata』の難解なメロディではなく、ただひたすらに春日さんの「声の魅力」だけで殴りつけてくるような純粋な「歌」だった。


 ……ピコン。動画の再生中にスマホが震えた。智也からチャットメッセージだ。


『おい、彼方。今、聴いてる……ぶはっ! ダメだ! 笑いが止まらん!なんだこのアレンジ! 「俺が考えた最強にシンプルなアストロラーベ」かよ!』


(うるさい。こっちは真剣なんだ)


『だが、悪いな彼方。俺、これ好きだわ』


『は?』


『いや、マジで。原曲(お前が作ったやつ)は、カッコよすぎて正直カラオケじゃ歌えねえなって思ってたけど、これなら歌える』


『あと、春日さん……いや、白亜凛音。声、ヤバいな。透き通りすぎだろ』


『「Kanata」と「白亜凛音」、これ、ガチで伝説の始まりになるんじゃねえの?』


(智也のヤツ)  


 俺はスマホの画面を睨みつけながら、口元が緩むのを抑えきれなかった。


 俺は動画のコメント欄をおそるおそる開いてみた。公開からまだ十分。すでに、数十件のコメントが殺到している。


『うおおおお! 神曲キター!』


『声、天使すぎ。ガチで。耳が幸せ』


『あれ? オケ、原曲と違います? ピアノだけ?』


『↑思った。ピアノアレンジ? にしてはシンプルすぎ?』


『でも、凛音ちゃんの声にめちゃくちゃ合ってない!?』


『Kanataの曲ってオケが難解で歌が埋もれがちだけど、これ歌が主役って感じで、俺は好きだぞ』


『わかる。声の良さがダイレクトに来る』


『(以前のゲリラ配信を知ってる勢)↓』


『↑おいw やめろw』


『↑奇跡だ……! 音程が、合っている……!(涙)』


『↑マジで!? あの地獄のオンチ(天使)が!?』


『練習したんだな……(号泣)』


「…………」


 炎上はしていない。どころか。アレンジの「ダサさ」を指摘する声はほとんどない。それどころか俺の「魔改造」が結果として、春日美さんの「声の魅力」を最大限に引き出すことに成功してしまっていた。


 そして。一番、俺の胃を抉(えぐ)ったコメントが、これだ。


『このピアノアレンジした人、誰?』


『シンプルだけど、白亜凛音の声の「美味しいところ」を全部理解して弾いてる』


『もしかして、これも「Kanata」本人のセルフアレンジだったりして?』


『↑それだ! 天才(Kanata)が新人(凛音)のためにあえて「歌いやすい」バージョンを作ってあげたんだ! うわ、尊い……!』


『↑だとしたらKanataマジで神じゃん……』


「(……違う! 断じて違う!)」


 俺は叫びだしたかった。それは俺(Kanata)が作ったんじゃない!それは俺(彼方)が隣人の騒音公害を止めるために泣く泣く、血反吐を吐きながら、俺(Kanata)のプライドをズタズタにして作った妥協の産物だ!

 なのに。その「妥協の産物」が。俺(Kanata)が、三日三晩、血眼になって作り上げた「原曲(アストロラーベ)」よりも、「声」を引き立てている、だと……?


 (なんだ、この敗北感は)


 俺は今、生まれて初めて。自分自身(の、魔改造アレンジ)に嫉妬していた。

 ドンッ!!!!


 その時、左の壁から鈍い衝撃音が響いた。  


(……出たな)


「うおおおおおおおっっっ!!!!」  


 壁の向こうから、美咲の絶叫が聞こえる。


「やった! やったよー! コメント、荒れてない! むしろ、好評……! うわーん!」


 どうやらあいつも俺と同じようにコメント欄に張り付いていたらしい。


「(うるさい。好評だからって壁を殴るな)」


 俺はヘッドホンを装着し今度こそ自分の「本当の」仕事……次のコンペ曲の制作に、戻ろうとした。


 ……ピコン。また、スマホだ。今度は、柊さんから。  


(うわ。最悪のタイミングだ)


『Kanata先生。お疲れ様です。例の白亜凛音さんの「歌ってみた」。拝聴しました』


 (……来た。ついに、来た。プロ(柊さん)からの、ジャッジメントが)


『……フフ』


 文面はたったそれだけ。  


(こ、怖い! 何が『フフ』だ! 激怒してるのか!? 呆れてるのか!?)


『ずいぶん、思い切ったアレンジでしたね。原曲の複雑な構成をすべて削ぎ落とし、彼女の「声」という一点のみにフォーカスする……。まるで、Kanata先生、あなたがご自身でアレンジしたかのような、的確な「引き算」でした』


 (バレてる。いや、ほぼ確信犯的に俺がやったと疑われている……!)


 俺は冷や汗をかきながら返信を打った。


『さぁ。どうでしょうね』


『運営(霧島さん)からは、「大学の作曲科の友人に手伝ってもらった」と伺っています。……Kanata先生。あなた音大に通っているんでしたね。フフ、本当に奇遇ですね』


 (奇遇で片付ける気ねえだろ、あんた!)


 俺がどう返信すべきか、五秒ほど悩んでいると柊さんから追撃のメッセージが来た。今度こそ本題だった。


『それはそうと、本題です』


『先日お送りした、デビュー曲『Luminous(ルミナス)』のデモ。先方も大絶賛でした』


『つきましてはKanata先生に来週末、レコーディングの「ディレクション」をお願いしたい、と』


 (……ディレクション)  


 レコーディングスタジオで歌い手(アーティスト)の歌唱に対して、作曲家やプロデューサーが「もっと、こう歌え」「そこは、もっと感情を込めろ」と指示を出す監督作業だ。


『……柊さん。以前からお伝えしている通り俺は……』


『ええ。存じています。顔出しNG、ですよね』


『ですから、スタジオにはいらっしゃらなくて結構です』


『白亜凛音さんには、都内のレコーディングスタジオのブースに入っていただきます』


『Kanata先生はご自宅のスタジオからVC(ボイスチャット)でリアルタイムに彼女の歌をディレクションしていただく』


『……これなら問題ないでしょう?』


「……は?」  


 俺は思わず声に出していた。  


(VC越しで、リアルタイムのディレクション……?)


 スタジオワークの中で最も神経をすり減らす作業だ。歌い手のほんの僅かな息遣い、ピッチの揺れ、感情の起伏。 れらをネット回線越し(VC)で正確に聴き取り、指示を出せ、と?


 (無茶苦茶だ……だが確かにそれなら俺の正体はバレない)


「……っ」


 左の壁がまた揺れた。


「(小声)うおおお! 霧島さんからだ! 『デビュー曲、レコーディング決定!』だって!」


「(小声)しかも! 『Kanata先生が直接ディレクションしてくれる』……!?」


「(小声)……ひゃあああああ! ど、どうしよう! 私、Kanata先生と、直接、お歌の、レッスン……!? し、死んじゃう!」


(死ぬのは、こっちだ)


 俺は、スマホを握りしめた。『Kanata』として、VC(ボイチェン越し)で、あいつに指示を出す。その間、俺は自室(501号室)でヘッドホンに全神経を集中させる。


 ……待てよ?


 あいつ(春日さん)は、スタジオのブースにいる。俺は自宅(501号室)にいる。俺の隣(502号室)は、空室。


(……あれ?)  


(レコーディング当日、俺はあいつの「騒音」に悩まされないのでは?)  


(いや、それどころか。あいつがスタジオにいる間、俺は完璧な静寂の中で作曲に集中できる……!?)


 (……最高か?)


「(小声)ど、どうしよう! 何、着ていこう! あ、Kanata先生、VCだから、見えないか! あでも、霧島さんとかスタッフさんには会うし! やっぱりちゃんとした

服……!」


 (いや、ダメだ。あいつが今からこのテンションで来週末まで騒ぎ続ける気だ。俺の平穏はどっちにしろない)


 俺は柊さんへの返信を打った。


『了解しました。VCディレクション、引き受けます。最高の音源(モノ)にしましょう』


(ただし、それまでに俺の胃が持てばだが)


          ◇


 月曜日。大学。例の動画は週末の二日間で新人Vtuberの「歌ってみた」としては異例の「十万再生」を突破していた。コメント欄は相変わらず「声が天使」「アレンジが優しい」と絶賛の嵐。俺の『Kanata』としての株価(なぜか、『Kanata』本人のアレンジだと思われている)は、爆上がりしていた。


(納得いかん)


 俺が必修の「音楽史概論」で、仏頂面でノートを取っていると。


「彼方くーん!」  


 隣の席に満面の笑みの春日さんが勢いよく座った。ガタン! と、派手な音を立てて。


「……うるさい」


「あ、ご、ごめん! でも聞いて! 彼方くん!」  


 春日さんは、声を潜めて興奮気味に俺にスマホの画面を見せてきた。例の『アストロラーベ(魔改造版)』の動画ページだ。そこには『白亜凛音』という名前と、壁越しに聞き慣れた声の主のアバターが映っている。


(おい、バカ。俺にそれを見せるな!俺がお前の正体を知らないテイなの、忘れたのか?)


「十万再生! いっちゃった!」  


 春日さんは興奮のあまり自分が彼方に決定的な証拠を突きつけていることに全く気づいていない。


 俺はあえて『白亜凛音』のアバターや名前には一切視線をやらず、再生数(100,000)の数字だけをチラリと見て、答えた。


「そうか」(今知ったフリ)


「(こいつ、ドジがすぎるだろ。いつか俺の前以外でもこういうミスで身バレするぞ)」


「これも全部、彼方くんがあの『神アレンジ』を作ってくれたおかげだよ!」


「(……やめろ。『神』とか言うな。あれは『無』だ)」


「私、感動しちゃって! 彼方くんのピアノ、本当にすごいの! 『Kanata』さん本人みたい!」


「(だから、その例えは、心臓に悪いからやめろ)」


「それでね! 私、決めたんだ!」


「……何を?」


「私、彼方くんに弟子入りする!」


「は?」


「私、もっと彼方くんにピアノとか、アレンジとか、歌とか、いっぱい教えてほしい!」


 俺は持っていたシャーペンを、ノートの上に落とした。  


(……弟子?)  


(冗談じゃない)  


(俺は今週末、『Kanata』としてVC越しに、お前に「本物」のディレクションをするんだぞ)


「……無理だ」


「えー! なんで!?」


「今週末、俺、ちょっと……実家の都合で忙しいから」


「あ、そっか……。残念……」  


(よし。レコーディング(VCディレクション)の日はアリバイができた)


「じゃあ、来週から! ね? お願い!」


 春日さんが俺の袖を掴んで拝み倒してくる。  


(こいつ、大学での「清楚系」の仮面、俺の前だと剥がれてきてないか?)


「よお! またイチャついてんな公認カップル!」  


 背後から、高木の声。


「わ、高木くん! 違うってば!」


「違わねーよ! 見ろよ、お前ら!」  


 高木が自分のスマホの画面を俺たちに突きつけてきた。そこには大学の非公式の「掲示板サイト」が表示されていた。


【速報】作曲科の天音と声楽科の春日さん、ガチで付き合い始める 『ソースは、高木渉の目撃情報』 『放課後、防音練習室で二人きりで密会』 『食堂でも、隣同士でイチャイチャ』 『天音が春日さんのために、曲、書いてるらしい』


「…………」


(……高木、お前……!)  


 俺が、殺意の波動を込めて渉を睨むと。


「いや、俺は『二人、イイ感じだったぜ』ってサークルのLINEで言っただけだって! そしたら誰かが尾ひれ背びれつけて……!」  


 高木が慌てて弁解している。


「あ、あわわわ……。ど、どうしよう、彼方くん……! こんな、変な噂……!」

 春日さんが、顔面蒼白になっている。


(……面倒くさい)  


(面倒くささがカンストして、天元突破しそうだ)


 俺は深く、深ーく、ため息をついた。『Kanata』としての、VCディレクション。  『天音彼方』としての、「弟子入り」志願。そして、学内での「公認カップル」の噂。


 俺の平穏な大学生活(と作曲ライフ)は、完全に、修復不可能なレベルで、崩壊していた。


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