EP 8

『ウロボロス、完遂(パナマ運河の轟沈)』

1944年1月、パナマ運河地帯、夜陰。

赤道直下の湿った暗闇の中、米海軍の哨戒艇がガトゥン湖の入り口をゆっくりと航行していた。彼らにとって、太平洋戦争は遥か西の出来事だ。本土の「裏庭」であるこの運河が、日本の攻撃対象になるなど、誰も本気で考えてはいなかった。

その哨戒艇の遥か沖合、カリブ海の暗黒に、3隻の巨大な「怪物」が息を潜めていた。

伊四〇〇型潜水艦。

坂上(東條)が、歴史をねじ曲げてまで優先建造させた「潜水空母」である。

艦長は、伊四〇〇の甲板で、搭載機「晴嵐(せいらん)」の最終チェックを睨みつけていた。

「(本当に、総理の言う通りになるのか……?)」

彼らの任務は、常軌を逸していた。パナマ運河のガトゥン閘門(こうもん)を、ドイツからもたらされたという『特殊徹甲弾(成形炸薬)』で破壊する。

「発進準備、よし!」

「プロジェクト・ウロボロス、最終フェーズに移行!」

防水格納筒が開き、圧縮空気でカタパルトが唸る。

月明かりすらない新月の夜、漆黒に塗られた「晴嵐」が、次々と闇に吸い込まれていった。計6機。人類史上、最も大胆不敵な戦略的奇襲が始まった。

同時刻、東京、総理大臣官邸。

坂上真一(東條英機)は、執務室で目を閉じたまま、サイフォンの湯が沸騰する音だけを聞いていた。彼は眠っていない。21世紀のイージス艦長として、彼は今、頭の中のCIC(戦闘指揮所)で、パナマへ飛ぶ6機の「晴嵐」と「同期」していた。

(頼む……間に合ってくれ)

彼がこの作戦に固執したのは、理由がある。

マリアナ決戦だ。

史実では1944年6月。米軍は圧倒的な物量(空母15隻基幹)でマリアナに襲来する。

だが、その物量の大半、特に大西洋で新造されたエセックス級空母群は、このパナマ運河を通って太平洋に集結するのだ。

(あの大動脈を、今、切れ)

パナマ、午前3時。

「晴嵐」編隊は、ジャングルの上をレーダー網の隙間を縫って超低空で飛行。ついに目標、ガトゥン閘門の上空に到達した。

「全機、突入! 狙うは第三閘門、ただ一点!」

隊長機が急降下を開始する。

米軍の対空砲火が、ようやく火を噴いた。だが、遅い。

「トツゲキ!」

6機の「晴嵐」は、坂上が「ドイツ情報」として与えた「成形炸薬弾」を投下。

それは、従来の爆弾とは全く異なる原理で機能した。

爆弾は、分厚いコンクリートの閘門に突き刺さった瞬間、内部の火薬を「指向性」を持って爆発させた。超高温・高圧のメタルジェット(金属流)が、一瞬にして閘門の鋼鉄とコンクリートを貫通し、内部構造をズタズタに引き裂いた。

ゴゴゴゴゴ……!!

地響き。

最初は小さな亀裂だった。だが、ガトゥン湖の莫大な水圧が、その亀裂を一気に押し広げた。

ドッゴオオオオオオオン!!!

閘門は、爆発というより「圧壊」した。

世界最大の人工湖であるガトゥン湖の膨大な淡水が、滝のようにカリブ海へと流れ込み始めた。

「晴嵐」のパイロットは、眼下で世界地図が文字通り「書き換わっていく」光景を、呆然と見下ろしていた。

ワシントンD.C.、ホワイトハウス。

緊急の電話が、ルーズベルト大統領を叩き起こした。

「……何だと? 言い直したまえ」

「パナマ運河が……破壊されました。ガトゥン閘門、機能停止。復旧の目処、立たず。最低でも、半年は……」

大統領は絶句した。

これは軍事的敗北ではない。米国の「威信」の崩壊だ。

そして、政治的にも最悪のタイミングだった。1944年、大統領選挙の年だ。

共和党の対立候補(デューイ)は、このニュースを待っていたかのようにラジオで叫んだ。

「現職大統領は! 我が国の裏庭であるパナマ運河一つ守れなかった! こんな人物に、戦争の指揮を任せておけるでしょうか!」

米国民の間に、「FDR(ルーズベルト)疲れ」と「戦争疲れ」が、一気に広がり始めた。

東京、官邸。

夜が明けようとする頃、短い電文が届いた。

『ウロボロス、完遂。大動脈、切断セリ』

坂上は、震える手でコーヒーを淹れた。

「(やった……)」

彼の脳裏には、21世紀の海図が浮かんでいた。

大西洋で建造中の新型空母「ホーネット(II)」「ワスプ(II)」「ベニントン」……それら太平洋艦隊の主力が、今、パナマの「通行止め」によって、足止めを食らった。

彼らが太平洋に到着するには、南米のホーン岬を大回りする、数ヶ月の「遅延」が必要になる。

「(マリアナだ……)」

坂上は、壁の地図のマリアナ諸島(サイパン・テニアン)を強く指差した。

「米軍の攻撃は、これで最低でも数ヶ月は遅れる。あるいは、戦力を不十分なまま、強行してくる」

彼は、八木博士と堀越二郎に、開発中の「電探」と「新型迎撃機」の即時量産を命じるため、受話器を取った。

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