君にしか言わないこと。

夜の11時。

カウンター席に置かれたラテの縁から、ふわりと蒸気が上がる。


「遅い時間に来る人って、だいたい決まってますよね。」

自分でも驚くぐらい自然に声が出た。

2日連続で来てくれたから、つい話しかけたくなったのかもしれない。


「……そうかも。」

彼女――理沙は笑った。

手を温めるみたいにカップを包むその指先が、少し疲れているように見えた。


「お仕事、大変なんですか?」

「うん。デザインの修正って終わりがなくて。」

「でも好きなんですよね、きっと。」

「なんでそう思うの?」

「楽しそうだから?、後はこんな時間にお店に寄る余裕なんてないはずだから。」


一瞬、理沙の動きが止まった。

それからゆっくりラテの表面を見つめて、少し照れたみたいに肩をすくめる。


「……見抜かれたかも。」


そう言った声が、昨日より近い。




「澪ちゃんはわかるの?自分の“好き”とか、“やりたいこと”とか。」

突然の逆質問に息が詰まる。


「……わかりません。」

「そっか。」

「でも、わからないのに焦っても、わからないままじゃないですか。」

「それはそうだね。」

「だから私は、今わかることから大切にしようって思ってます。」


自分でも驚くくらい正直な言葉だった。


「今わかること、って?」

理沙がこちらを見る。

その視線の熱に、喉が少しだけ詰まる。


しばらく迷ってから答えた。


「理沙さんと話すのが、 好きです。」


その瞬間、エスプレッソマシンの蒸気が音を立てて、ふたりの沈黙を包み込んだ。


「……なんかそれずるいな。」

理沙は笑いながらも、目の奥に何かを隠しきれていなかった。

照れとも、喜びとも、迷いともつかない揺れ。


でもまだ、この距離を離したくない。


「じゃあさ。」

立ち上がりながら理沙が言う。

「明日も来たら、ちゃんと話してくれる?」

「……何をですか?」

「“今わかること”の続きを。」


聞き返す間もなく、理沙は入り口のベルを鳴らして夜の街へ出ていった。


温めていたはずのラテは、気づけば冷めていた。

だけど胸の奥だけは、熱くて落ち着かないままだった。


―――――

窓に映る自分の顔は、いつもより少しだけ大人びて見えた。


誰かに会いたくて夜を選ぶなんて、そんな日が来るなんて――思ってもみなかったのに。

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君とラテに沈む夜。 芙乃 @Funozukuri

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