八月のハーレー(3)

「照れ屋さんなんだあ」

「そうそう、俺に似てね」

「どこがあ」

 なんて、もっぱら女の人と楽しんだのは、お父さんの方だった。

 お父さんは、どうもこの女は脈ありだなと不埒ふらちな下心を催すが、危ういところでしまった、今日は息子と遊ぶことが第一義なのだと、馬鹿なりになんとか思い出した。

 女の人たちとはそのまま別れた。

 お父さんと息子は、波打ち際で、地味に棒倒しをした。

 つまらない遊びだけれど、お父さんと一緒にいるんだと思うと、息子はあまり退屈しなかった。それから、砂で変なお城を作ったりもした。いや、作るのを楽しむのではなくして、作ったものを蹴って壊すのが楽しいのだ。きゃっきゃっと、お父さんも喜んでいるようだった。というか、むしろ、お父さんの方が……。

 でもそのうち飽きてきたお父さんは、コンビニから強盗した金でゴムボートを借りてきて、これで沖に見えるあの岩の所まで行こうと。

 それもなかなか男心をくすぐられる遊びで、息子に異存はなかった。

 ゴムボートは緩やかな波にのって出航する。

「ひゃあ、このままアメリカまで高飛びだーい!」

 お父さんが、おもちゃみたいなかいを頭上に掲げながら叫ぶと、息子も真似して高飛びだーいなんて言ったのだが、お父さんはどうやら本気だったようで、目指す岩場はとっくに通り越し、ふと浜辺の方を振り返ると人影が豆粒のようだった。

 したら突然、はあとお父さんが溜息をつき、頭を抱えた。

「しまった、俺、アメリカがどっちの方向にあるか、知らねえんだった……。畜生、もっと勉強しときゃあ良かったなあ」

 その悔恨の言葉は真剣そのものだった。

 ここにきてようやく、息子は、まじでこの人やばいかもしれんと不安になり、同時に、お母さんの優しい笑顔が頭に浮かんだ。

 実際、お父さんも最初はただ岩場を目指していたに過ぎないのだが、ボートを漕ぐうち、もしかこのまま海からならば国外脱出できるかもしれんと、なんか急に思いついたのだった。

 お父さんは馬鹿なのだ。

 するとやにわに息子がぜえぜえ苦しがり出した。

 喘息の発作である。

 お熱があるのにはしゃぎ過ぎたせいだ。

 お父さんは、息子の喘息の現場に立ち会ったことがなかったため、必要以上に焦ってしまった。

「おい大丈夫か!」

 おろおろした。

 息子は胎児のように丸まって、ひゅうひゅう息を切らせながら、お出かけバッグの中に吸入器があるんだけど、それがあれば楽になることをお父さんに伝えた。

 お出かけバッグは海の家のロッカーの中だ。

「ようし分かったあ」

 お父さんは、おもちゃみたいな櫂で浜へと懸命にゴムボートを漕ぐのだが、その時、ひゅうと息子の難呼吸とは違う音がして、何かと思ったら、ゴムボートの空気が抜け始めたのだった。

 もともと、岸辺でちゃぷちゃぷと遊ぶことを目的に作られたボートなので、ちゃちな作りなのは当然といえば当然だったのだが、お父さんは怒り心頭で。

「畜生、売店のあの親父め、つかませやがったな」

 というか、そんなゴムボートでアメリカまで行こうとした方が、圧倒的に悪い。

「お父さん、苦しいよ」

 息子は切なげに言う。

 お父さんはもうたまらなくなって。

「ようし俺に任せろ」

 お父さんは、息子をおんぶするとじゃぶと海の中に入って、しかし人を背負って海を泳ぐのは、よほどの達人でも難しいものだ。

「うぎゃあ」とお父さんは溺れてしまった。

「助けてお母さーん!」

 息子はつい叫んでしまい、するとお父さんは嫉妬の念にかられ、こんちくしょう、父親パワーを見せてやるのだあ、父権復活!

 お父さんは不良に特有の無闇な根性で、無茶苦茶に手足を動かし、どうにかこうにか水面へ這いあがった。

 とはいえ、このままでは二人とも溺れるのは必須であったが、海水浴場にはちゃんと監視員がいて、二人がおもちゃのゴムボートで沖に向かった時点で異変に気づき、それこそアメリカまで行けそうな救命ボートで既に救助にきていた。

「もう大丈夫ですよ、さあ早く捕まって」

 と、ぴちぴちのビキニパンツをつけたマッチョなお兄さんが、お父さんに手を差し出す。

 助かった。

……のだが、これではお父さんはまるで面目が立たず、息子に会わす顔がないってんで、どりゃ、一本背負いで監視員のお兄さんを海へ投げ落としてしまった。

 救命しにいったのに襲撃されたのは、後にも先にも、お兄さんにとってこれが唯一の経験だった。

「お前はお父さんが助けてやるからな!」

 お父さんは、救命ボートを力の限り漕ぐのだった。

 また襲撃されてはいけないので、少し距離を置いて、お兄さんが平泳ぎでその後に続いた。


 そうして無事、浜辺に帰還できたお父さんと息子なのだが、吸入器を吸っても、息子の呼吸は正常に戻らなかった。簡易の吸入器だけでは、効く時と効かない時があるのだ。そういう時は、病院の専用の吸入器か点滴を打てば、どうにか治まる。

「そうか病院かー!」

 お父さんは再び息子をおんぶすると、まさに脱兎の如く、病院目指して走り出すのだった。

 でも、この辺には果たして病院があるのかすら、分かっていなかった。

 無駄に十分ほど走ってから、息子が掠れる声で救急車に来てもらって……と、お父さんに告げた。

「おお、ナイスアイデア、お前は頭がいいぜ」

 お父さんは息子を街路樹のポプラの木陰に横たわらせ、しかし自分の携帯は支払いの滞りのために使えなくなっていたので、道行く男子学生を脅して携帯を奪うと、慌てて電話をかけたのだが、消防署の奴はふざけていて、ただいま十四時をお知らせしまーすとか、訳の分からないことをぬかしやがるのだ。

「この野郎、こっちは息子の命がかかっているのだ、いい加減にせんとぶっ殺すぞワレ!」

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