第2話 妹と朝食と始まり
新聞配達員の朝は早い。
腕時計の指し示す時刻は午前4時で、道を照らす明かりは頼りないオレンジ色の街灯のみである。
すがすがしい早朝の空気が息を吸うたびに肺を満たすのが気持ちいい。
背中に新聞を大量に入れることだけを考えて設計されたバックパックを背負い、指定されたルート通りに一軒一軒を回っていく。
あと一時間ほどで明るくなってくる時間帯だから、それまでには終わらせたい。
毎朝のルーティーンをこなせなくなってしまうから。
* * * * * *
扉が開く音がして振り返ると、パジャマ姿の俺の妹がそこにはいた。
エリー・クトルシェ、異世界転生先での俺の妹兼天使。
年齢は俺より3歳年下の10歳で、メイドになるために日頃からメイド服を着て生活している。
しかし、その性格はメイドとは程遠いおてんば娘。
毎朝朝食のスープを音を立てて飲むことで母に叱られ、家の中を走り回っては、一日一回はどこかの角に足の小指をぶつけて涙で目をいっぱいにする。
そんな妹に俺はなかなかに気に入られているらしく、遊び相手になってほしいと言われたり、今日あったことを楽しそうに話してくれたりすることが毎日のようにあるのだった。
俺が前世で一人っ子だったこともあってかそんなエリーがとにかく愛しい(そんな曲もあったような)。
新聞配達から家に帰った俺は、最高のコンディションでエリーの寝起き顔を拝むために豆からコーヒーを入れて、本を読みながら起きてくるのを待つ。
寝顔を見るために部屋に起こしに行くことも考えたこともあったが、気が引けるところがあったのか、ドアノブに手をかけたところで手が止まった。
これがこの世界に転生してきてからの俺の日課になっていた。
「おはよう、エリー」
「ん-。おにいちゃん、おはよー。今日もお仕事終わって帰ってきたの?」
「あぁ、エリーが起きて一人じゃ寂しいだろうからね」
本当は寝起きの眠そうな顔が見たいだけだけど。
「お母さんももう出かけたの?」
「俺が帰ってきたときにはまだいたけど、いつの間にか出てったみたいだ」
「お母さん何か言ってた?」
「いや、特にはなかったな」
「じゃあ、今日もわたしがご飯作るね」
そう言うとエリーはキッチンに向かい、エプロンを棚から取り出して身に着ける。
その姿を毎日見ることができるのも兄の役得というものだ。
母は町のパン屋で働いていて、いつも俺が帰ってくるのと入れ違いに出かけていくことが多い。
そのため、母が休みのとき以外はエリーが、メイドになるための修行として朝ごはんを作ってくれる。
ちなみに父は隣国への出張中らしく、俺が新聞配達員としての初仕事のときに手紙を送ってくれたこと以外ではまだ関わりがない。
「スクランブルエッグとウインナーとサラダでいい?」
エリーがキッチンから顔を出して尋ねる。
「エリーが作るものなら何でもいいよ」
「なんでもいいが一番困るんだけどなぁ」
そのセリフは朝食でも使われるのか。
「あと、おにいちゃん最近優しすぎる気がするんだけど、何かあったの?」
「そうか? そんなことないと思うけどな」
「前は遊びに誘っても、毎日はさすがにって感じだったのに、今週とかずっと鬼ごっこしてくれてるじゃん」
どうやら妹からすると俺の性格が変わって見えるらしい。
そう感じるのは転生してきたのが世間に疲れた社会人だから当たり前なのだが、少しエリーへの好意が隠しきれていなかったのかもしれない。
このままの態度でエリーに接し続けているといつか気持ち悪がられてしまうのかという恐怖に駆られる。
「まぁ、俺も働き始めたしな」
「何それ、ぜんぜん答えになってないよ」
動揺で意味の分からないことを言ってしまった。
「わたしは遊んでくれるのうれしいけどね」
エリーは再び朝食の準備を始める。
これからは、エリーに嫌われないギリギリのラインを見極めていかないとな。
そういえば、エリーは俺の性格が優しくなったと言っていたが、俺が転生してくる前も兄としてのアルベール・クトルシェは存在していたということだろうか。
もしそうだとすれば元々のアルの意識はどこに行ってしまったのだろう?
考えられるのは、アルの魂が前世の俺の体に入れ替わりで入っているというどこかで見た展開だが、そうすると地面に頭を打ち付けて気絶した体に入るアルがあまりにも可哀想ではないか。
今このことを考えてもしょうがないのは分かっていても、この体の本当の持ち主に思いを馳せずにはいられない。
「はい、朝ごはんできたよー」
いつの間にか朝食の準備を終わらせ、目の前に座っていたエリーの声で一気に現実に引き戻される。
スクランブルエッグ、ウインナー、サラダにパンとスープも用意されている。
「いただきますするよ!」
エリーが手を合わせて言う。
「スープは音たてるんじゃないぞ」
「おにいちゃん、いつもはそんなこと言わないのに。お母さんに毎日言われてるからわかってるよ」
「それならいいけどな」
「じゃあ」
「「いただきます」」
こっちの世界に来てから毎日のように幸せを感じている。
この朝食の時間はその象徴のようなものだ。
新聞配達の仕事にもストレスを感じることはなく、今はすべてが充実しているといってもいい状態だ。
平和という言葉がこれほど似合う生活があるとは今まで想像すらしていなかった。
「ズズズズーー」
平和だった。
まだ、平和だった。
* * * * * *
新聞配達員の朝は早い。
腕時計の指し示す時刻は午前3時で、自宅を出発して背中の新聞の重みを感じながら一件目の配達場所を目指して歩いている。
すがすがしい早朝の空気が息を吸うたびに肺を満たすのが気持ちいい。
新聞配達員になることを職業選定の儀で誓ってから、俺は翌日に説明を受けるために王国新聞の販売店を訪れた。
王国新聞はこの国で発行されている唯一の新聞で、国王の公認を得ているため国民が大きな信頼を寄せるメディアである。
これは、販売所の所長を名乗るおじさんが言っていたことだ。
ちなみにセフトラスタ国(略してセフト)にはテレビやラジオは存在しておらず、王国新聞と町ごとに数か所設置されている掲示板で一般の国民は情報を得ている。
販売店では新聞とチラシをまとめて順番に並べる作業を行っていたため忙しそうだったが、所長は休憩時間に仕事内容を簡潔に説明してくれた。
新聞配達員は基本的には新聞を配ることのみが仕事であり、午前4時までに販売所で新聞を受け取り、遅くても6時までには配り終えなければならない。
それ以外には月一回の訪問による集金がある。
以上の二つさえこなすことができれば国が決めたノルマを達成したこととなり、給料が支払われる。
配達ルートの一件目に到着し、ポストに新聞を入れる。
今日の一面は国王の病気と王位の継承についての話題だった。
ここ最近の国民はこの話題で持ちきりらしい。
新聞配達を一週間して町を回っていると、様々なことに気づく。
特に気になったのは窓がある建物が一つも見られなかったことだ。
このことは何か理由があるとしか考えられないから、いつかエリーか母に聞いてみよう。
他にも見たことのない鳥を見かけたり、暗い町とは対照的に明るく輝く場所が遠くに見えたりした。
何気ないことから異世界情緒を感じさせられる。
背中の新聞が半分くらい減ったところで、後ろから誰が走ってくる音が聞こえた。
この時間帯に人を見かけるのは初めてだが、俺と同じように仕事中なのだろうか。
足音がどんどん近づいてくる。
急いでいるのか、はぁはぁという息遣いも聞こえる。
新聞を取り出すためにバックパックのファスナーを開ける。
「こんにちは」
思考が停止する。
話しかけられたと気づいたときには肩を掴まれていた。
振り向くとサングラスをかけた男が目の前にいる。
「じゃなくて、今はこんばんはか。それとも朝だからおはよう?」
街灯の明かりが逆光になって、男の顔ははっきりと分からない。
「どっちでもいいけどさ。早くそれくださいよ」
男は俺のバックパックを指さしていた。
♦感謝♦
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