第5話 残るのは
灰色の空の下、二人の監査官が立ち止まったのは巨大な灰白の建物の前だった。
大理石を思わせる無機質な外壁は、角ばった幾何学で構成されており、正面には法章と剣を模した警察庁の紋章が掲げられている。エントランスには守衛が立ち、入り口に続く階段は掃き清められたように整っていた。
カインとノエルはその建物を見上げていた。
「ここが警察庁ですか」
見上げたノエルの目に映るのは、まるで宮殿のような巨大建築だった。彼女の声には純粋な驚きと感嘆が混じる。
「正しくは警察庁の下部組織のさらに下部組織だな。警察庁直属魔道犯罪捜査本部フィルスタート支部の拠点だ」
その巨大さは“下部組織”とは名ばかりで、レガードの中央監査庁舎にも劣らない規模だった。ノエルの表情に自然と苦笑が浮かぶ。
「これが下部組織の拠点…?うちの事務所と比べて……」
「比べるな」
カインはそれ以上を言わせないように、足を進めた。
ノエルも小走りでその後を追いかける。二人の足音が、堅牢な建物の中へと吸い込まれていった。
「先輩、わざわざここに来たのって例の端末の押収品がないかの確認ですよね?」
「そうだな。ただし捜査資料に記載がなかったところを見るとおそらくは……」
「おや、嫌な奴と出会ってしまったな」
ロングコートを羽織った長身の男が彼らの前に立ちはだかった。鋭く整えられた髭と、洗練された装飾のバッジが目を引く。皮肉めいた笑みを浮かべたその男は、嫌味なほど堂々としていた。
「デントリエスか…なるべく会いたくはなかった」
「私もだよ、ヴァルメル監査官。そちらのお嬢さんは?」
視線をノエルに向けると、彼はまるで舞台俳優のような芝居がかった仕草で一礼した。
「こんにちは、お嬢さん。私はディートフリート=デントリエスだ。」
「昨日より監査補佐官として働いている、ノエル=アスカリナです!よろしくお願いします!」
デントリエスはノエルの姓を聞き、カインの顔を見た後納得したような表情をした。
「ああ、アスカリナさんのご息女か、確かに目鼻立ちがお父様と良く似ている。お父様はご健勝かな?」
「…失礼ですが、父をご存知なのですか?」
ノエルは昨日のカインとの問答を思い出す。
監査官の敵は影響力の高い人物、団体である。で、あれば警察もそうではないだろうか。
「探りを入れているのか?」と、考え始めたところで、まるで先読みしていたかのようにデントリエスは柔らかく笑った。
「勿論だとも。アスカリナさんとは社交の場で頻繁に話していてね。趣味の話から仕事の話まで」
言い切ると不意に、にやりと歪む笑み。
その裏に何があるのか、ノエルは一歩引く。
「ご息女は監査官になったのか。立派なことだな、アスカリナ家もこれで安泰だろう」
彼の言葉はまるでノエルの努力を否定するかのように響く。カインの影に半歩身を引くノエル。
「おやおや、随分今回の新人には甘いじゃないか。“同僚殺し”の君にしてはどういう風の吹き回しだい?」
「その髭と同じくらいセンスがない異名のことは知らないし、俺は仕事のできないやつは嫌いなだけだ」
一瞬だけ虚を突かれたかのようにデントリエスの目が見開く。
次の瞬間にはまた目を細めて、元の不気味で柔らかい笑顔に戻った。
「冗談がうまいな。しかし彼が言うなら優秀というのは本当のようだね。失礼したノエル殿」
またしても芝居がかったお辞儀をして、彼は求人案内の紙をノエルに手渡した。
「もし、監査官に嫌気がさしたなら警察で働くことをお勧めしよう。これだけ捜査官がいても、いつでも人手不足だからね」
ノエルが受け取ると、デントリエスは満足そうに手を離した。
カインは明らかに「こんなものをいつも持ち歩いているのか」という表情をしており、受け取ったノエルは「堂々と捜査協力機関の人材を引き抜こうとするのか」といった表情をしていた。
デントリエスはその表情の背後を知ってか知らずか、しかし全くもって知らんぷりを決め込んでいる。
「失礼ついでにノエル殿の質問をなんでも答えようじゃないか。警察支部の先輩社員説明会だ」
高らかに笑うデントリエスだが、カインは完全に呆れていた。
しかし、ノエルは何を思ったのか少し考えた後口を開いた。
「質問ではないのですが、お願いがあって」
「なんだね、言ってみなさい。」
「アパートデレシア放火殺人未遂事件の件で保護中のカナリア=ノーランドさんとカシオ=ノーランドさんの病室の警備を強化していただけませんか?おそらく捜査官や監査官を名乗る人間も何名か行き交う中でもしダグラスさんが犯人でない場合、初めに狙うのは出火元に近かったこの2名のはずです。だから…」
ここまで聞いてデントリエスとカインは目を合わせる。
そして両者同時に笑い出した。
何か自分が不思議なことを言ったかとノエルは赤面したがそれをデントリエスが手で静止する。
「ヴァルメル監査官、君が気にいるのも納得したよ。この子は大物だ。」
「だろ、ここまで啖呵が切れるんだからな。」
わけもわからず、はてなマークでいっぱいのノエルだがカインがその回答を出す。
「これだけ大きな支部と大量の捜査官を持ってしても警察とは常に人手不足だ。つまりは今回の事件に対しての捜査官もあまり割けていないんだよ。それを警備につけろってことはつまり、『お前たちは、聴取と警備だけやってろ。捜査は私たちに任せな!』って意味に聞こえるぞ」
「え!そんなつもりは!先輩が言い出したんじゃないですか!昨日!」
「あれは普段から警察に角が立ちまくってる俺がいうから説得力があるだけでお前が言ったらお笑いだぞ、しかもこの支部の実質的なNo.3に…」
カインの笑い声がフィルスタート支部の廊下に響き渡る。
「いいだろう、その話に乗った。」
引き続き笑うカインをよそ目にデントリエスは照明でも当たったかのように話し始める。
「ただし、新人教育にかまけて半端な捜査をするようなら容赦なく現場は捜査官が貰い受ける。それでも構わないかな?い」
ノエルが答える前にカインが口に出す。
「必ず、俺たちで事実を明らかにする。警察は病院のベッドで寝ておくんだな」
「そうか、とりあえずこれはサービスだが、現場の押収物は八階の大会議室4にあるから確認してくるといい。ただ、目当てのものはないだろうがね」
「それでは!」と、高らかに笑いながら踵を返すデントリエス。
それはまるで舞台袖に捌ける役者のようであった。
「なんでしょう、不思議な方ですね」
「微妙に気持ち悪いが勝つんだけどな、微妙に舞台じみた動きするし、なんなんだろうな。優秀なんだけどな」
二人は並んでエレベータへと向かって歩き出す。その背中には、妙に息の合った空気が流れていた。
「そういえば、デントリエスさんは私たちが端末の押収品を探していることをわかっていましたよね。無いってことは…」
「警察も同様に調べたが、手掛かりになるような情報はなかったってことだな。だがまぁ、他にも気になることがあるけどな」
「他にも?」
「実際に見てから説明するよ」
八階の重厚な会議室の扉がゆっくりと開かれる。
中は一面ブルーシートが敷かれ、透明な袋に封入された押収品がずらりと並んでいた。まるで見本市のように整然と整えられたその光景は、異様な静けさを放っていた。
「あいつが関わっているなら徹底的に押収していると思ったが……ここまで多いとはな」
大会議室を埋め尽くすように並べられた封入物の数々。中央にだけ細い通路が一本通されていた。
「この量を調査するのは骨が折れますね」
「すべては見ない。俺が見たかったのはこいつだ」
そこには半分以上が溶けかけている鉄の輪っかのようなものがあった。
「これは?」
「これは、コンロのバーナーリングだな。コンロを使う時の鍋を置くところだな。火元のものと…その隣」
カインは両手にバーナーリングを持ち、ノエルに見せる。
「これが先輩の探していたものですか?」
「そうだ、少し見ていろ。」
そういうとカインは目を閉じ、少し考えるかのようにしてゆっくりと息を吸い込んだ。
「監査官カインが要請する。
光魔法よ
眼前のリング2つに付着する魔力残滓に対して
赤く光れ」
『承認しました。』
レガードが無機質に告げるとリングが赤く光り出した。
「眩しっ…」
思わず目を瞑るノエル。
カインはそれに気にせず説明を始める。
「これな、おかしいんだよ。」
「何がですか。」
「考えてみろ、魔力使用の制限が解除される15歳以上になるまでに才能あれどそれなりに魔法操作は学習する。しかしこれはどうだ。まるでひっくり返したバケツみたいだ。」
「火災と考えれば魔法同士がぶつかり合って広がった可能性もありますよ。」
「勿論その可能性もあるが二口コンロのバーナーリングが両方とも真っ赤っか。常人ならわざとやったとしか思えない。」
「やはりダグラスさんの犯行なのでしょうか。」
カインはそこまで聞くとバーナーリングをブルーシートに置いた。
見せたかったものは見せたと言わんばかりに満足げに他の物品の物色を再開している。
ノエルがその背中を追う。
「肝心なところを明言しないのは私を試しているんですか?」
「口より手を、いや目を動かすんだな。昨日の日報通り端末も見つけなきゃいけないからな。しかしまぁ、それらしいものはあれど決定的なものがないな。」
「端末といえば大体は長方形か正方形ですよね。浮遊型、設置型、携帯型などありますが今回は…あっ!」
ノエルが持ち上げたのは、焦げ付いた長方形、薄型の金属の塊だった。
「これが例の端末ではないでしょうか」
「それが…?どうしてそう思う。」
「昨日の使用履歴からおそらく使用目的は屋内での魔法使用用の端末でしょう、その場合浮遊型は接触による事故の可能性、携帯型は作業効率の低下の問題で少しづつですが使われ辛くなっているんです。履歴にあった登録番号から作成されたのはむしろ最近の端末である可能性が高い…であれば設置型に多い長方形デザインかつ、片面のみが著しく溶けて、裏面が黒焦げているこの鉄塊が怪しいと言うわけです。」
「理には叶っているな。もう少し根拠はいるが」
ノエルは待っていたかのように腕を高く上げる。
「であれば、この黒焦げた裏面に何が書かれていたかわかれば、根拠となるはずです!」
「確かに出来れば根拠にはなるが、できるのか?」
「任せてください!」
カインは目を見開いてノエルを凝視した。
「本当か、頼む」
ノエルは頷くと、端末をかざして詠唱を始めた。
「監査官ノエルが要請する
投影魔法よ
私の魔道端末に対して
眼前の対象物品に対して凹凸
および残留している成分を色分けした上で
出力せよ」
『承認しました』
魔導端末の画面に2枚の画像が浮かび上がった。片方は微細な凹凸を捉えた構造解析図、もう一方は焦げた表面に残る成分を色分けして表示している。
「これは?」
「左が凹凸を特徴を抽出したグラフで、右が残留物質を抽出したグラフです!」
「そんなに都合よく抽出できるものなのか?溶けたり、別の物質に変化したりするだろ。」
ノエルが指を左右に振る。まるでそれは「わかっていませんね先輩」と言いたげな表情だった。
若干その仕草にイラッとするカインであったが説明を続けるように手を仰いだ。
「これがですね、できるんですよ。まず基本的に火の魔法で視認不可になった場合でも熱による物質の変化はあれど基本的には突然意味のわからない物質にはなりません。りんごは燃やしても焼きリンゴになり、みかんは焼いても焼きみかんです。だからこそ…」
ノエルが魔道端末を凝視する。
「この長方形の四方にある円形の後はおそらく接着剤でしょう。明らかにここだけやけ残りの物質が違います。そして構造解析図にある中央の部分が…」
言い切る前にノエルは「ペンシル」と呟いた。ノエルの魔道端末が若干光るとノエルの手に魔法で構成されたペンが出現している。
これはノエルの短縮詠唱登録していた空中に魔法のペンを出現させる魔法であった。
「おそらく刻印がされた場所でしょう。削られた場所はそれだけ物質が足りないわけですから。齧ったリンゴに砂糖をかけて焼いても形は元の形には戻りません。そこで特徴量が高いところを線で繋いで、似たような文字に置き換えると…P、R、T、2、4、555!」
「理解した。よくやったぞ、魔法理系オタク。」
カインは淡々とノエルに賛辞?を送った。やぶさかではない顔でノエルはニヤつく。
「その下は『Present For』と、これは『R.Z』ですかね?」
「プレゼント?」
「黒焦げですが残留成分にも同様の兆候があるのでここは刻印の上から見やすいように塗装が施されていたようですね。」
カインはすぐに自身の端末を操作し、記録を検索した。
「ざっと調べてもここ1年間で開発者端末が公にプレゼントされた記録はないな。てっきり、何かの懸賞とかでもらったかと思ったが」
「可能性があるとすれば、ダグラスさんが公でないルートから私的に譲り受けたか、もしくは端末が開発されたのが予想と反して1年以上前のものなんですかね…」
「一つ目の場合、グリークアーツ社及びそれに偽装した人間から渡された可能性がでてくるが、まだそっちは調べられていないな。二つ目は…一年以上前のものの可能性、か……面白いが、だとしたら、なんで長い間事件が起きなかったのに今回こんな大事件が起きたんだ?」
頭を掻きむしるカイン。だがその表情が一瞬で真剣になる。
「一年前か…」
カインは何かを思い出すかのように一瞬だけ遠い目をした。
口元は若干引き攣った様子でノエルはそれが良くない想起であることは容易に理解していた。
「何かわかったんですか」
「いや、まだなんともいえない状態だ。一度捜査状況について聞き込みに行こう」
会議室の窓から差し込んだ日差しはまだ昼前であることを示している。
未だ謎多き端末をただただ光が際立たせるばかりであった。
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