『三葉』其之肆
翌日になってお月ちゃんに連絡し、お月ちゃんを通してお父様、つまりは奥摩組の代表取締役社長に取り次いでもらいました。普段、お月ちゃんにお世話になっているお礼と称して宴会の旨を話すと、驚きながらも快く話に乗ってくださいます。
私がお月ちゃんのお父様と詳細を詰めている一方で、おトメさんは何やら宿の方と話し、私に三葉さんが勤めるお店の電話番号を訊いてきました。
「何をするつもりです?」
「会いに行けぬのであれば、向こうから会いに来させるのです。どれだけ店に守られていようが、守られているが為に店の方針に従わねばなりません。
撫子様は先日、金は天下の回り物とおっしゃいましたが、それは間違いではございません。肝要なのは必要な時、必要な場所に使うことでございます」
かくして数日後、週末の夜に奥摩組の春の宴会が雄琴の宿の宴会場にて開催されました。(その日まで何度か花街にリトライしましたが、ことごとく失敗しました)。
お月ちゃんもついでにひっ付いて来たようで、廊下に出て私にお父様を紹介してくださいます。こういった社交ならお得意のものですので、適切に自己紹介を交わしていると、廊下の向こうからズンズンと女性の団体が宴会場に近付いてきます。
一目で水商売の女と分かる派手で露出の高い衣装。なにより輝くような美女ばかり。何人か見覚えのあるお方もいるような、と首を傾げて、思い出します。三葉さんがお勤めになっているお店の皆さんです。
「コンパニオンまで付けて下さるとは、お気遣いに感謝します。若い奴が多いので格別の息抜きになるでしょう。しかし娘の前で鼻の下を伸ばすわけにはいきませんので、私は隅の方で静かに飲んでおきますよ」
「こんぱにおん?」
お月ちゃんのお父様から出た単語に首を傾げます。恥ずかしながら、知らない言葉でした。
廊下から宴会場に戻ったお父様に代わり、お月ちゃんがゴニョゴニョと教えてくれます。どうやら、こういった宴会の場でお酌をしたりするお仕事のようです。
言わば出張型キャバクラ。これもまた水商売の一つだそうです。
「ああ、なるほど!」
ここで点が線に繋がり、おトメさんの作戦を理解しました。
正しく、向こうから来させること。
お仕事はお店の中だけとは限りません。奥摩組のような大会社の名前を出せば、お店も信用して女性を寄こしてくださるでしょう。お金の積み方次第では、その一員として三葉さんに来ていただく望みもある。むしろ、できると踏んでいたからおトメさんはこのように宴会を催したのでしょう。
なるほど上手にお金を使うとはこういうことですか。お店良し、お宿良し、大工さん良し、私も良しの四方良しです。流石は年の功。老獪にして狡猾。こんな手があるとは思いつく以前に知りもしませんでした。
「撫子様、こちらに」
おトメさんに呼ばれましたので、お月ちゃんに別れを告げてスタスタ付いて行きます。
案内されたのは宴会場から離れた別室。ドアの前まで到着すると、おトメさんはうやうやしく首を垂れて身を引きました。
「崩国の娘には、こちらで奥摩組の社長を接待するようにと伝えております。後は撫子様の手腕を存分に振るってくださいませ」
「ありがとうございます、おトメさん!」
思わず身を跳ね上げてしわくちゃの両手を握ります。
「いいえ、そもそもは撫子様と奥摩組の繋がりがあってこそ。良い宿を取っていたこともありました。婆は少しばかり手を加えただけにございます。では何卒お気を付けて。私は部屋で休ませていただきます」
スルスルと廊下を戻っていく小さな、しかし頼もしき背中を見送り、いざ、お部屋のドアを叩きました。了承を得て中に入ると、土間を上がった所に手を突いて頭を下げた女性が控えていました。
「お初にお目にかかります。今宵、お相手を務めさせていただきます、三葉と申します」
崩して肩まで出したお着物をさらに崩さぬなだらかな動きで顔を上げ、三葉さんは私を見て目をパチクリとしました。
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「大和撫子様に、こんなことをお話するのは気が引けるのですが……」
柊さんは視線を伏せたまま、痛みを伴うように話を始めました。
「三葉はおそらく、自分の父親に会うつもりかと」
「お父様ですか? それって、あの、失礼ながら……」
「はい、お客様の一人。それも特定できる人物でございます」
言い辛いことを先回りして言ってくださいました。
「知っての通り、我々崩国は増えることが脅威の妖。今は二百を超えぬよう、厳重に管理されております。夜伽に臨む前には魔術師の煎じた薬を飲み、何があっても孕まぬように対策されております。
しかし、我々にも老いがございますから、数が減った際には子種をいただき、また数を増やすように決められております。その権利が競りにかけられたりもして、この島の維持に回されているのだとか。これは余計なことでした」
なんたる邪悪。
私のお腹の中で形ある嫌悪感がグルグルと泳ぐようでした。
「とにかくそんな事情で、父親の存在は特定されています。特に三葉の父親は特殊な癖を持っていまして、包み隠さず申し上げれば、自らの娘を抱きたがるのです」
嫌悪感が喉元まで登ってきて顔が青くなるのが自分でも分かりました。柊さんも察して下さったのか、一度言葉を止めてくださいます。
「続けても平気でしょうか」
「ええ、聞かねばなりません」
「では、これ以上聞けぬとなれば、いつでも止めてください。三葉の父親は崩国通いに熱心で、私共も常連と認識しておりました。
そして十幾年。若い頃に種をまいた自分の娘が客を取れる歳までなったところで、父親はそれを抱きました。それも再び孕ませる権利を獲得した上で。
客を取れる年齢。妊娠と出産に最低限耐えうる年齢ではございましたが、最低限は最低限。その身体は未成熟で、三葉はかなり苦しんで子を生みました。その負担は深く残り、二人目は望めない躰となってしまったのです。
その分、三葉は自分の一人娘をたいそう可愛がっておりましたが、ある日に現れた三葉の父親は、自分の孫を見たがりました。断ることができないので、三葉は乳飲み子を抱えて、会ったのです。あの男は自分の娘に生ませた孫を見てこう言いました。
これが抱けるようになるまで、あと何年……」
そこで私は手を前にして言葉を遮りました。
邪悪。邪悪。邪悪。
吐き気を堪えるために手を口で覆いました。
殿方の性欲が強いのはそういうものだと理解できますが、これは余りにも歪んでいます。なんたる身勝手。なんたる不誠実。これほどの怒りを覚えたのは初めてでした。
「常連とはいえ、その男の振る舞いは普段から乱暴で、見過ごせぬ段階まで来ておりました。現在は出禁になっております。しかし、二度も権利を落札する富豪にして権力者。いつ出禁が解かれるとも分かりません。
三葉は、その毒牙が愛娘に及ぶ前に、父親を害するつもりなのかもしれません。外の花街に潜り込んだのもその為かと。三葉を見つければ、あの男は何処へでもやって来るでしょうから」
柊さんのお話はそうして結ばれました。煮えくり返る腸を抑え込みつつ、私は背筋を伸ばし、真っすぐ柊さんを見て啖呵を切りました。
「承りました。必ず彼女を止めてみせます」
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「女?」
かんざしで丸められた艶やかな黒髪。切れ長の目尻。白く瑞々しい肌、華奢な肩と豊満な胸元。顔つきからは自信と自尊心が溢れ出し、どこか桔梗さんに似ている、艶めかしい雰囲気も覚えます。三葉さんは私を見て、目を細めました。
射すくめるような視線を全身に浴びつつ、こちらも深々と頭を下げて挨拶を返します。
「大和撫子と申します」
「なんだそりゃ、大した源氏名だね」
「本名です」
そう答えると、チクチクとした視線が足元から頭の先までを這い回ります。満足したのか納得したのか、三葉さんは「ふ~ん」と鼻を鳴らして姿勢を崩しました。
「噂には聞いたことあるよ。なるほど、お綺麗だ。どういうこと? アンタも奥摩の社長に呼ばれたのかい?」
「その方をお呼びしたのが私です。三葉さんにお会いするために」
「ん? それはどういう……」
三葉さんは怪訝そうに首を傾げ、う~んと考えて見せました。すると間もなく結論に至ったのか、にっこりと、どこか悪戯気な笑みを浮かべます。
「へえ、そういうこと。そういや、ここ最近店の周りをウロチョロしてる和服の女がいるって聞いたね。あれもアンタかい?」
「ええ、そうです」
「なるほどね。天下の大和撫子様がそういうご趣味とは思わなかったよ。確かにウチの店は女の客は断るからね。色々と手を尽くしたってわけか。いいよ、相手してやる」
三葉さんはするりと立ち上がり、私を手招きして呼びます。失礼して下駄を脱ぎ、座敷テーブルが一脚置かれているだけの八畳間に上がりました。
「適当に座って」とおっしゃるので従いますと、その途端、三葉さんがぬるりと後ろから抱き着いてきて、耳をはむっと甘噛みしてきました。
「ひえぇ!」
「アタシのことはどこで知ったんだ? 会ってもないのに随分と気に入ってくださったようだね。力を抜いて、アタシに任せときな。女が味わえる快楽をぜ~んぶまとめて教えてあげる」
「あいや! 違っ! 違います! そういうアレではありません!」
「なんだ、違うの」
慌てて振り解き、ジタバタと部屋の隅まで逃げます。三葉さんはキョトンとした顔で私を見て、ころりと首を傾げました。
「だったら、何の用?」
耳を袖でふきふきして、姿勢を正して返答しました。
「柊さんからの使いで参りました。と言えば、分かりますね?」
三葉さんのお顔が「ゲッ」と言わんばかりに歪みました。実際言いました。途端に先程までの笑顔と艶めかしい気配が消え、ツンと尖った態度に変わります。
「やだよ、帰んない」
「まあまあ、そう結論を急がずに。お茶でも淹れましょう」
「お前が帰れ」
取り付く島もなし。
それでも、彼女が間違いを犯す前に連れ帰るのが私の使命。
備え付けのポットと急須でお茶を淹れながら心を鎮め、三葉さんに相対する覚悟を整えました。彼女の怒り、不安、恐怖、恨みつらみ。それは小娘の私には想像も及ばぬものでしょう。
感情に寄り添い理解を示すのは悪手。
となれば理詰めに走るしかありません。
「三葉さんと、三葉さんのお子さんのお話は柊さんから聞いております」
お茶を出してそう告げると、三葉さんの放つ気配がまた変わりました。ツンと尖った、なんて生易しいものではなく、今にも刃物で刺されそうな、殺気に近いものでした。
「ふ~ん、それで?」
「お父様にお会いになりたいのですか?」
「そこまで知ってんだ? 父親だなんて思ってないけど、そのつもり」
「会って、どうなさるおつもりですか?」
「お前に関係あるのかよ」
「ないですね」
ここは認めるしかありません。
私が三葉さん自身であるはずもなく、崩国ですらありません。完全に蚊帳の外の存在。そんな男、むしろ殺めてしまえとすら思う程です。
しかしそれでも、食って掛かるしかありません。
「人間を殺めた妖がどうなるか、ご存じですか?」
「さあ、知らない」
「特例として崩国は保護されているようですが、妖を守る法律はございません。情状酌量の余地もなく、死刑に処されるでしょう。そうなっては娘さんが悲しまれます」
一つ一つ、綱渡りをするように言葉を選びます。今にも三葉さんが刃物を取り出して、襲い掛かってこないかしら。首筋がやけに心細く、心臓が冷えるようでした。
「お前に何が分かる」
「想像することしか叶いません」
「違うね、想像もできないはずだ」
するりとお着物を引きずり、三葉さんが肩を寄せてきました。鼻先が顎に触れそうなほど近くから、じっと私を睨み付けます。
「いかにも箱入り娘って感じ。男に玩具にされたことはある?」
「ありません」
「そうだろうね。それどころか処女だろ。匂いで分かる。お前みたいなのが踏み込んでいい問題じゃない。悪いこと言わないから、帰りな」
またそれ。
私のような者とは、どのような者なのでしょう。
裕福だから?
処女だから?
大和撫子の名を背負っているから?
「だからと言って、見過ごせないものは見過ごせません。桔梗さんをご存じでしょうか? あの方とはお友達になれました。きっと三葉さんとも分かり合えると思ってこの場に臨んでいます。どうか思い直してください。私と一緒に繚乱島に帰りましょう」
「あんなトコに帰るって? 冗談じゃない。碌な娯楽もない挙句、男に嬲られるのを娯楽と言ってのける頭のおかしいちっちゃな島だ。帰る必要なんてない。
外はずいぶんと良いところだね、客はアタシを嬲るどころか、チヤホヤともてはやしてくれる。店の男共もお姫様を扱うように世話を焼いてくれる。綺麗な服も、美味い食い物も、思うままだ。奴への殺意が薄れそうなほどだよ。本当に薄れはしないけど」
「いずれ封結院が貴女を見つけるでしょう。その時は穏やかには済みません」
「それでもアタシは、やらなきゃいけない。娘を守るためにもね」
三葉さんは身を引き、今度は私を見下すようにして言いました。
「お前は母親ですらない。女として、あまりにも違いすぎる。そんな奴の言うことなんて、どうしたって胸に響かないよ。アタシはアタシの目的を変えない。奴を殺すまで外に居座ってやる。分かったら、帰れ」
三葉さんが湯呑を掴み、私に向ってお茶をぶちまけました。熱さにひるんで退いてしまい、敗走が頭を過ります。
三葉さんの為に私ができることなど、理解してあげられることなど一つとしてないと理解していたことが、揺るぎない確信に変わってしまったのです。
「私だって」
口から言葉が漏れてしまったのは、焦りからでしょうか。お茶をかけられて動揺してしまったからでしょうか。本当に不甲斐ない。未熟者です。
「私だって分かりたい! どうして私がかかわっちゃいけないんですか? 三葉さんがどんな仕打ちを受けたか聞きました。腸が煮えくり返る思いでした。ほんの少しかもしれませんが女として共感できます! 辛かったでしょう、今も怖い思いをしているでしょう。だからといって人を殺めれば身を滅ぼします。柊さんに貴女を連れ帰ると約束したんです! このまま何もせずに引き下がれません!」
口から出てしまった言葉を戻すことは叶いません。
言えば逆鱗に触れると気付いた時にはもう遅い。
三葉さんが平手を振り上げ、私の頬を鋭く打ちます。身が畳に倒れると、肩を掴んで馬乗りになり、頭のかんざしを抜いて私の頬に当てつけました。
「共感できるって? お前が? 箱の中で大事に大事にされてるお前が、男のナニを見たこともないお前が、アタシの何に共感して何に同情したって? 言ってみろよ、その国宝の顔、傷物にしてやる」
「同じ女です。助けたいと思って何が悪いんですか」
「アタシは黙れって言ったんだよ!」
かんざしを持つ三葉さんの右手が大きく上がり、そこで止まりました。否、止められました。いつの間に部屋に入ってきていたのでしょうか。長丈のコートに身を包み、眼鏡を光らせた御幸さんが、三葉さんの手をガッシリと掴んでいました。
「誰だお前!」
「誰でもいい。お前にとってはな」
御幸さんが手首を捻ると、操られるように三葉さんの姿勢が崩れ、後ろ手に縛られるように畳に押し付けられました。私は退いてお茶に濡れた前髪を解し、御幸さんの姿を見改めます。どこからどう見てもご本人です。
「どうしてここに……」
「栞葉さんから依頼を受けまして。この数日、影ながら警護を行っていました」
三葉さんを片腕で押さえ込んだまま、御幸さんが苦笑を浮かべます。
「ずいぶんとご無理をされていましたね。お怪我はありませんか? こんなことになるくらいなら、最初から俺を呼んでくれたらよかったのに」
「いいえ、ご迷惑かと、思いまして……」
違うと、気付いてしまいました。
本人を前にして、嬉しいと、喜んでしまっている自分に気付いたのです。
本当は会いたかった。会って頼りにしたく、お話もしたかった。けれどそうしてしまえば、自分の気持ちが本当になってしまうと分かっていたから、無意識に避けていたのでしょう。
「痛いんだよ! 離せ!」
三葉さんが声を荒げて暴れますが、御幸さんは落ち着いた様子で押さえ込み続け、厳しく諭すように告げました。
「家出娘、封結院に引き渡されるか、自分で帰るか、選べ」
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