シオン
【電源がONになりました。起動までお待ちください】
ある人形の一番古い記憶は、自身を作った人物の顔だった。
「人形に機械を埋め込むのは初めてだから、動くか心配だなぁ」
彼女の顔を心配そうに覗き込む。人形が少し手を動かしてみると、彼はぱぁあっと顔を明るくした。
子供のように無邪気に笑う人形作家。
「うんうん。ちゃんと起動するみたいで安心した。データを取り込んでないから、まだ全然話せないし動けないだろうけど……」
名をシリル。
顔を上げた人形に、彼は満足そうに頷いて。
「君はシオン。これから、シオンと名乗るんだ。良いね?」
薄くピンクがかった人形の頬に手を添えて、名前を与えた。恍惚とした表情だった。
まだ言葉を知らない人形——シオンは、ただただ主人の命令を黙って聞いていた。
元はただの女性の姿形をした人形。記憶装置や回路が組み込まれているだけ。最初から人のように行動したり、料理をしたりする訳でもない。
シリルはひたすら、ある女性の音声データを学習させた。
『この花はマリーゴールドと言うの。黄色やオレンジとか、様々な色があってね。しかも春から秋辺りまで咲くのよ。シリルでも育てられると思うわ』
『シリル! こっちを見て頂戴。珍しい花があるわ。これはゲッカビジンと言ってね……』
内容は花のことばかりだった。そして、決まってシリルの名前が登場する。
シオンは人形である。なぜ一人の音声データばかり学習させるのか。そう疑問に思うことはない。淡々と一人称や口調を記憶装置に刻み込むだけであった。
時々、シリルがデータの女性について話すことがあった。
「このデータの女性は、僕の妻なんだ。結婚したばかりだったんだけど……体が丈夫な方じゃなくて、すぐに亡くなってしまってね。花が大好きだったんだ。植物について研究をしていて、栽培方法とか、花言葉についても詳しくて……楽しそうに語る妻のことが、僕は大好きだった」
悲しそうに、過去を懐かしむように語るシリル。
学んだ価値観からして、一人で住むには大きな家だった。妻と一緒に住むことを想定して作られた家だったのだろう。
だがシオンは人形である。故に、感情など存在しない。
だから主人の悲しい過去の話を聞いても、
「そうね」
と淡々と言葉だけで共感することしか出来ないのだ。
それを分かっているシリルは、哀愁漂う笑みを滲ませるだけだった。
『バラって棘があって痛いわ。でも見た目が刺々しいから分かりやすいでしょ? アサガオなんて、種に毒があるのよ』
『ヒガンバナってそれはもう沢山異名があってね。灯篭花、曼珠沙華、リコリス、物騒だけれど捨子花とか……えぇっと、もうよく分からない? 本当にシリルはこういうのを覚えるのが苦手ね』
シリルは怒涛の勢いでデータを与えて、またシオンも次から次へと学習していく。
シオンが吸収するのは口調や行動だけではない。
データの主人が話す花の知識も覚えていった。忘れることがないから、そこらに売っている植物図鑑よりもよっぽど優秀である。
シオンは段々とその声の女性に変化していく。データが増えるごとにコピー元に近づくのだ。
一ヶ月も経つ頃には。
「シリル。そろそろ寝た方が良いんじゃないのかしら?」
彼の妻さながらに振る舞えるようになっていた。
注意されたというのに、シリルはほくそ笑む。
これでようやく、本当の意味で妻を模した人形が完成したのだった。
シオンが完成して心が満たされたのか、シリルは依頼の受付を再開した。
家事はシオンに任せて、ひたすら人形制作に打ち込んでいる。一時的に活動を休止してもなお、彼の作品は人気だった。むしろ前よりも名が知れ渡っているようで、依頼がない日はなかった。
「シオン。コーヒーを持って来てもらっても良いかい?」
「えぇ。砂糖も付けておくわ」
普段、シリルは妻がわりの人形のことをシオンと呼ぶ。
しかし、仕事で疲れ切って、部屋で寝ぼけていると。
「◯●◯◯……最近ね、いっぱい依頼が来るんだ。それはもう忙しくて忙しくて……」
シリルは無意識のうちに妻の名を呼んでいた。
毛布を取ってきたシオンが、この光景を目にするのはもう十回を超えている。
何度も見ているうちに、シオンは気付く。
「自分が作られたのは、妻の代替品としてなのだ」と。
それまでシリルがシオンにそう明言したことはなかった。人形は今までの主人の行動を振り返る。妻のデータを学習させたのも、シオンを外見から中身まで妻に仕立て上げるつもりだったのだ。
それは黒い霧となって心の中でぶわり広がる……のは人間の話であり、彼女はその事実をすんなりと受け入れていた。
シオンの硝子の目を見ているのではなく、その先にいる妻を見ている。花の話をする時だって、家事をしている時だって、いつもシオンと妻を重ねている。
つまり、シリルはシオンを見ていないのだ。
人間が鶏を見ている時だって、鶏自体ではなく鶏肉のことを考えている。それと同じだ。
再度言うが、人形、作り物である彼女に感情はない。
かつて妻がしていたように、シリルの髪に指を絡ませる。
彼が必要としているから、彼女がいる。他の人形と同じように。
シオンのデータは、それで良いという答えを導き出した。
さらに月日が経過した。
「この時期になると、キンモクセイの良い香りがするねぇ」
「キンモクセイの花って薬になるのよ。茶としても飲めるわ」
カーテンが開けられた窓には、橙の小さな花を沢山付けた木が植えられていた。これはシオンが植えた木である。シリルが言った通り、甘い香りが漂っていた。
シリルは窓の外をじっと見つめている。手元には製作中の人形があるというのに、花に囚われていたのだ。もっと言うなら、木を植えた彼の妻に。
最初の頃、シリルはシオンに目を奪われていた。
妻とそっくりの彼女。表情こそ変えないが、妻そのものの振る舞い。ぽっかり空いた穴も、埋まるような気がした。実際に埋まっていた。
でも、最近シリルはシオンを見るのが億劫になっている。
今も視界にあるのはキンモクセイの木であり、シオンではない。
どんなに妻と瓜二つのシオンでも、結局は妻ではない。妻には感情があった。目を細めて笑った。自分よりも花に心を奪われて、ずっと植木鉢に向き合っていた。
シオンは違う。
家事も、花の話もするけれど、違う。
形は妻でも、中身まで完璧に妻ではないのだ。それに、いくらシオンが本人に近くたって妻本人が生き返る訳がない。
シオンがいると、むしろ妻が帰ってこないことをひしひしと感じて、苦しくなるのだ。
——やってしまったな。
シリルは今になってそのことに気付いてしまった。
人間の代わりに人形と付き合ってきたから、妻もまた人形が代わりになってくれると信じ込んでいたのである。
——シオンが居る方が、辛い。
違った。全然、そんなことない。
キンモクセイの匂いと一緒に、シオンが首を絞めてくる。
この人形を生み出したのは彼自身だというのに。
苦しみから逃げるためには、偽物の妻を殺すしかない。シオンにおいて殺すとは、機械を引っこ抜くこと。もしくはずっと充電しないこと。簡単にできる。
——でも。
手を止めたシリルを微笑みながら見つめるシオンに目をやる。
——それは僕の身勝手すぎる。
妻の形をしたシオンが恨めしいが、シオン自体が悪いわけではない。
生み出したのは自分であり、人形が人間の代わりになると気づけなかった自分が全て悪い。
だから、シオンに当たるのはお門違いだ。
だとしても、苦しすぎる。
空いた穴が大きくなっていくような気がして、叫びたくなった。人形を作ろうとするだけで自分が犯した大罪が浮かんでくる。
部屋で彼の周りに座る人形達が静かに見守る中、彼はもがきながら考える。
シオンが何もせずに、シオンから離れる方法……
三日三晩考えて、一つだけ、思いついた。
「シオン」
ある日の朝、シリルはシオンに頼みごとをした。
「何かしら?」
木で編んだ籠を差し出す。シオンは首を傾げた。
「今、作業で手が離せなくてさ。しかも食べ物がもう残ってなくて。買い物に行ってもらえない?」
それまでシオンが外に出たことはなかった。
人形が外を歩くと浮くから、というのが理由で止められていたのである。だから、シオンは「不可解」という感情を出した。でも、主人の命令に抗う訳にはいかなかった。
「……分かったわ。何を買ってくればいいかしら」
「そうだなぁ、片手で楽に食べられると助かる」
そのシオンの忠誠心のような物こそ、シリルの作戦を手助けるものだ。シオンが家にいない方が都合が良かったのである。
「行ってくるわ」
「うん、行ってらっしゃい」
シオンに手を振りながら、シリルは作戦を開始した。
——僕は駄目でも。
紙に言葉を遺しながら、彼は考える。
——他の人にとって役立つことなら、出来るはず。
シリルの作戦。
それは、自分が妻の元に行くこと。
「家具は捨てても売ってくれても構わないよ。電波を使えば、人を引き寄せることが出来る」
「大切な人を見つけて、その人が死ぬまで尽くしなさい。そうしたら、人の心を満たすことは出来なくとも、存在する意味にはなるだろう」
再度言うが、人形に感情はない。
だから人形シオンは、その遺言の前で呆然と立ち尽くすだけだった。
【充電が減っています。充電してください】
主人を失った人形は、新たな主人を見つけた。
『マリー。よびすてでいいよ!』
シリルに比べると、随分小さい主人だった。傍らには父親がいて、疑心暗鬼を隠せぬ目で人形を見つめていた。
前の主人の妻と同じように、小さな主人は植物に惹かれていった。
やがて大きくなった主人の家族は変わり、息子が出来た。一人は自分の影響で人形作家になった。服を繕ってもらった。
去り際、ようやく感情に気付くことができた。
人形にしては、楽しくて幸せすぎる。前の主人が好きだった花と、また沢山触れ合うことができた。
しかし、そんな幸せがいつまでも続く訳ではない。
主人が亡くなった。惜しいけれどもあの家を出ることになった。
【充電が減っています。充電してください】
夜だから、一人で人形が歩いていても声を掛ける人はいない。
ゆっくりとした足取りで、人形はある場所に向かっていた。
自分が作られた場所のすぐ近く。初めて、小さな主人と出会った場所。
ぐるりぐるり。迷路のような道をひたすら歩いてそこにたどり着く。
そこには、大量の家具が捨てられていた。全てシリルの家にあったもので、死後人形が運び出したのだ。小さな主人と出会った時よりも大分朽ち果てていたが、まだそこにあった。
その家具の内の一つ。
チョコレート色が褪せて、カフェオレのような色になったソファ。
ワンピースと髪が夜風に揺られながら、それにゆっくりと腰掛ける。
そしてまた、新たな主人が現れるのを待つのだ。
花の記憶 八御唯代 @infinity5
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