第26話 魔法を殺した国
鉄錆の臭いが消えない。
血の残滓が、皮膚の奥に沁みていた。
暗い部屋で大きな音が鼓膜を震わす。
いや、震えているのは、自分自身だった。
闇の中で幼い少年が自分に何かを言っている。
必死に語り掛けるが、聞き取れない。
重い物が倒れる音がした。
その方向へ視線を向けようとするが、その少年が自分を抱き寄せた。
少しだけ、恐怖が和らぎ、目を閉じる。
そこでようやく少年の声が聞こえた。
「――絶対に、出てきちゃダメだ」
何を。
そこで、目が覚めた。
窓から朝日が差し込み、部屋の奥ではライトニング二式の白い駆体が清廉な空気を纏っているようだった。
「……あー」
たまに見る、何かの夢。
思い出そうとすると頭の中で靄がかかり、体調が悪くなる。
シャツ一枚のまま布団から這い出て、冷蔵庫から冷えた水を取り出し、ゆっくりと飲む。
「珍しく布団で寝るからこうなるんだ」
自嘲か自戒か、独り言が零れる。
「若い娘がそんな恰好でうろつくなといつも言っているだろう」
「ここには、私とあんたしか居ないんだから、別にいいじゃん」
まるで親か兄のようないつものおせっかいに舌を出して応える。
「……それよりも、来客だ」
宗春が告げると、直後にベルが室内に鳴り響く。
「あ! ルガードさん! ちょぉおっと、待っててー」
慌ただしく着替えて、外出の準備をする。
シャツを脱ぎ、培養管に向かって洗濯籠にでも入れるかのように投げ捨てる。
「リーシャ」
「何? 手短に」
上着を適当に着て、片足で跳ねながらカーゴパンツを履く。
「今度、俺も町の様子を観て周りたい」
「へ」
その言葉にぴたりと動きが止まる。
あの日以来、引きこもりのサムライが色々な事に興味を示している。
「へー。いいね。ちょっと考えておくよ」
「よろしく頼む」
簡単に髪を梳かし、後ろで強めに結う。
鏡を見ながら左右を確認。
指で口角を上げ、「了解!」と答えた。
流れる街並みが、車窓に断片的に映り込む。
対戦相手の「事故による怪我」。
延期となった記者会見へと向かう為、新聞社へ向かう道中。
石畳の街を走る車の乗り心地はお世辞にも良いとは思えず、
「それで、何で変な顔してるんだ?」
「いや、……は? 変な顔? 美少女の笑顔でしょ?」
「自分で言ってれば世話はないな」
ルガードが手配した車に乗り込み、窓に映る顔で笑顔の確認をする。
ぎこちないと思っていた矢先に、ため息交じりの厳しい一手が入った。
「でもちゃんと写真映えを意識しないとさ」
「やれやれ。美人の無駄使いとはこういう事を言うのか」
憤慨するリーシャの反応を見た運転手がくすりと笑う。
馬鹿馬鹿しくなったリーシャが口をへの字にして帽子を深く被る。
すぐに窓に肘を当て、信号待ちで進まない町に視線を移す。
「……それで、先輩の容態はどうなの?」
車内に影が差す。
ルガードが煙草を吸う為に窓を開け、冷たい空気が車内を満たした。
「先輩? ああ、あの娘か。……どうにもな。よっぽど何かにすがっていたのか。短時間でよくあそこまで心が壊れたものだと思ったよ」
「……そう。でも、私もカレンが助けに来てくれなかったら危なかったし」
「警備から話は聞いた時は肝が冷えたぞ。……もう少し見回りを強化せんとな」
幾分、過保護な気もするが、リーシャはその言葉に少しだけ安堵を覚えた。
「あと、その試合の違和感なんだけどさ」
「はぁ。お前の言いたいことは分かる。なぜコレットが舞台装置を事前に知っていたか、……だろ?」
リーシャの無言の圧に耐え切れなくなったルガードが紫煙を肺の奥へ送り込む。
「それについては、こっちも調査中だ。だが、……あー」
その仕草から次の言葉を話すべきかを迷っているようだった。
「……俺の口からは詳しくは言えんが」
「ルガードさんが言えない? それって」
「察しが良いのは母親譲りだな。だが、そういう事だ。まぁ、関係あるかは分からんが、厄介な人物に目を付けらているのは、確かだ」
話は以上。
少ししか吸っていない煙草を灰皿でもみ消す仕草が、それを物語っていた。
闘技場の胴元であるルガードが口にできない内容。
ガラス張りの社屋がリーシャ視界に入る。
登りきらない日を反射するオルフェル工業。
輝きの中の赤い気配に、気付く事は無かった。
「リーシャ!」
突然、ルガードが覆いかぶさり、直後に車内に衝撃が走る。
上下がどちらか分からなくなる感覚に揺さぶられ、意識が白と黒を行き来する。
「は、早く、車から出ろ!」
「な、何!? ルガードさん!」
車外から悲鳴が聞こえた。
目の前に炎が上がった事で、ようやく現状が把握する。
逆さの天井。壊れた車内。
そして、血まみれのルガード。
運転手が絶望的なのは、後部座席からも理解できた。
ひしゃげたドアが思うように開かない。
近くの通行人が協力してくれて、ようやく這うように外へ出た。
「ルガードさん! 手を取って!」
伸ばした手を掴んだ瞬間、眼前に大きな物体が、炎の熱と音を響かせて降り立つ。
見上げるほど蜘蛛のような六つの足。
「……大型導機兵!?」
熱風で乾く目がその正体を捉える。
「ぐ、
自在に稼働する六つ足に、右腕には重火器。
背中には固定砲台を一門搭載した、異形の巨躯がリーシャを見下ろしていた。
兵器の本来あるべき姿。
雑誌の中の世界が、現実を突きつける。
血と炎が空想を焼いた瞬間だった。
「リーシャ! お、俺はもういい! 早くこの場を離れろ!」
「いやだ! ルガードさん!」
大型導機兵が右腕の機関銃を上に向け、発砲する。
耳を劈く空気を張り裂く音で視界が再び濁る。
それでもルガードの手を離さない。
「……う、くぅ……!」
どうにかルガードの身体を潰れた車内から引きずり出す事ができた。
「……おお、リーシャ。すまん、助かった」
「あ、はは。……良かった」
途端に力が抜け、項垂れるリーシャの身体を、抱えてその場を後にする。
腕の中で浅い呼吸をするリーシャは、普段感じていたよりも小さい身体に思えた。
爆発や瓦礫に巻き込まれた数人が血を流して横たわっている。
母を求めて泣く子供。
半身が無い恋人の名前を呼ぶ男。
砕けた窓ガラス。
歴史ある石畳に血が伝う。
自分も頭部からの流血が服を染め上げており、他人をこれ以上気に掛ける余裕はない。
避難しながら、周囲を見ると所々で煙が上がっている。
下層域上層を狙った「無差別テロ」だと、ルガードは理解した。
「……先日逮捕された盗賊団の一味か」
苦虫を嚙み潰したような顔で大型導機兵を睨む。
珍しい車に乗っているから標的にされたのだろう。
それだけで。
「ええい、警察か軍はまだか!」
渦巻く阿鼻叫喚に混じり、ルガードの苛立ちが煙る空に立ち上がった。
悲鳴で泣く空に拡声器の反響の音が木霊する。
「――我らは北方の狐。繰り返す。我らは北方の狐」
やはりか。
そう思いながら、気を失っているリーシャを抱えて走る。
「処刑された逮捕された仲間への、報復措置である。これは正義の、正当な行いだ」
繰り返す、と同じ音声を流し続ける。
息も白く、重くなる足が疲労で震えていた。
「……何が、正当な、……行いだ……!」
肩で呼吸をしながらテロ集団に文句を言う。
「……けひっ」
子供のような声がした。
ルガードの横を汚いマントを頭から被った大柄の男が、進行方向と逆に通り過ぎる。
重々しい足音から、人間ではなく。
「……導機兵か?」
風向きが変わった気がして、その先の導機兵に視線が奪われた。
その言葉に反応したのか、リーシャの瞼が僅かに開く。
「ルガードさん」
「リーシャ、大丈夫か?」
娘を心配するような声で青い顔のリーシャを覗き見る。
リーシャが、通り過ぎたマントを羽織った導機兵を目で追う。
左の袖から何かを取り出す。
リーシャには、まるでカメラのズームのように、その物体が飛び込んできた。
筆。
黒い柄の筆を棒のように振るい、持ちなれた玩具で遊ぶように器用に回して持ち直す。
「けひひっ」
再び子供のような声が悲鳴の中から伝わった。
「――
少年とも少女とも聞こえる無邪気な声。
その声に反応し筆の先が赤く、燃えるように光る。
その軌跡から閃光が奔った。
その瞬間。
銃声と違う、空気を断つ音と共に大型導機兵の駆体が黒焦げとなっていた。
白く染まる視界と耳鳴りが世界を塗りつぶす。
眩んだ目の中に残る残像が、その筆の存在を明確化させる。
記憶のどこかに、その存在を知っている気がした。
「けひひひ……」
自分の力を誇示するかのように、高らかな笑い声が残響を穿つ。
駆体が僅かに沈み、バネのように跳躍し、姿を消した。
後に残されたのは、血と炎と、黒焦げの兵器のみだった。
冷たい風が大通りを通り抜ける。
明らかに科学ではない、事象にそれを見た全員が困惑する。
「……魔法、なのか?」
誰かの呟きに、無言で同調し息を呑んだ。
遠くで再び雷のような轟音が聞こえた。
悪夢のような現実が、事実を物語っていた。
オルフェル帝国。
ここは魔法を殺した国。
在ってはいけない現象に、誰もが言葉を失った。
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