第18話 色彩
雲が日を僅かに遮り、灰色の空がリーシャの瞼を刺した。
溜息をつきながら、帽子の柄で影を作る。
クーノ地区青空市の雑踏にリーシャがうなだれたままに歩いていた。
前回とは違い、活気が溢れる場内。
物流の要所という事もあり帝都でも屈指の市場。
日知用品から食材、導機部品の品ぞろえも豊富。
普段ならバラの庭園のように見える光景が、白黒のモニター越しの映像のようにすら感じた。
人にぶつかりながら、目的の場所へとたどり着く。
「シシリちゃん。おはよ」
「あら、リーシャ。……どうしたの?」
リーシャの浮かない顔に露店の店主、シシリが困惑する。
「シシリちゃん。悩みってさ、段々とレベルアップするんだね……」
そのまま膝を立ててへたり込んでしまったリーシャを、店裏の椅子に座らせる。
シシリが保温ポットから温かい紅茶と、塩味が利いたチーズを差し出した。
紅茶を一口、ゆっくりと飲みながら、ざわついた心を落ち着ける。
チーズの塩気が、身体に染みるようだった。
「それで、どうしたの? 何かあった?」
「……ホムンクルスってさ、
「え?」とだけ言葉にできたシシリが固まる。
先ほどの出来事をかいつまんで説明を聞くも、そのような事例など聞いた事はなく。
シシリは言葉を探すように唇を開き、結局、何も言えずに紅茶を見つめた。
「……あ、それなら、
「……
リーシャがシシリへと視線を移す。
「……確か、この辺に……」
そう言ってテント裏に置いたリアカーへ回り込む。
「――っと、あった。これよ」
リーシャがぎりぎり両手で抱えられるほどの装置を取り出す。
「あなた、
「学生時代に、三級取った」
「なら、この電話で話してみなさい」
「……で、電話」
先刻のトラウマが脳裏をよぎる。
手渡された装置がずしりと重く感じた。
「私もね、旦那とはたまに喧嘩をするけど……」
目の前の客を捌きながら、シシリが珍しく夫婦の話を持ち出す。
「お互い、思っている事を話せないっていうのが、一番ストレス溜まるからね」
「思っている事を、……話せない?」
シシリの言葉を反芻するたび、胸の奥が小さく泡立った。
いつだろう。
何か、大事な事を誰かに言われた気がした。
セピア色の記憶を手繰る。
あれは確か――。
「話せる手段があるなら使いなさいな」
――やれるんなら、どんな手段でも使っていけ。
ふと、弾けるように、亡き祖父の一言が蘇った。
「――言い訳は、やりきった後で言え。……か」
雲間から、ようやく日が差し込む。
手に持つ装置が、少しだけ軽くなる。
「シシリちゃん。ありがとう。これ、いくら?」
灰色の世界に、若干の色が戻ってきた気がした。
機材を抱えて帰る頃には、もう昼下がりを過ぎていた。
腕が痛いのに、不思議と心は軽かった。
早々に着替えて、改めてホムンクルスと向き合う。
『W』『R』『U』。
帝国の公用語ではなく、
ホムンクルスの言語など考えた事もなかったが、それが正解だと思うなら――。
そう感じたなら、あとは成すだけ。
「でも、この三文字って何なんだろ……」
独り言を言いながら、機材同士を接続する。
今まではホムンクルスからの一方的だった信号。
それをシシリから購入した電話機で相互受信できるように配線を組み直す。
「……どこにいるって、何の事? あ、もしかして、「お前は誰か」って聞いてる?」
培養液に浮かぶホムンクルスは何も語らない。
瞼すらない、むき出しの青い目を見続けても、何も答えは浮かばなかった。
答えを焦る必要はない。
小さく息を吐き、唇に笑みを戻す。
「だったら、教えてあげる」
リーシャは培養管と機材を接続した。
受話器からプププと接続先を探す音がして、無音となる。
すぐに耳の奥で無音と違う、僅かに雑音のようなざらついた音が聞こえた。
「こんにち、は。……聞こえ、る?」
培養液に浸されたホムンクルスを見つめながら、たどたどしい
どんな音でも拾おうと全ての神経を耳に集中させる。
心音が煩く感じる中、息をする事すら忘れ、周囲から音が消えたような錯覚。
自分とホムンクルスのみが置き去りにされた感覚に、慎重に息を呑んだ。
カチリ。
エーテリスの揺らぎの為か、培養管が機材と共に静かに振動する。
A-トランスデューサが反応し、繋いでおいたパンチリーダーが打刻を始めた。
「――」
先ほどまで聞こえていた小さな雑音とは違う音がした。
「――だ」 それは、接続したボイスコードから再生された音源。
「――お前は、……誰だ?」 はっきりと聞こえたホムンクルスからの、声。
全身の鳥肌が立つ思いだった。
泣くのを堪え、うるんだ瞳で目を見開き培養管を見る。
「私は、リーシャ、だよ。……ライトニング」
「俺は……」
――
その声がはっきりと聞こえた。
青い目のホムンクルスは、そう名乗った。
「ム、ネ……ハ、ル?」
「そ――だ」
「へ、へぇ……。名前、あるん、だ? へぇ……?」
やっと会話ができた。
その嬉しさと、予想外の回答に感情が追いつかない。
音声は僅かに不安定だが、会話ができない程ではない。
リーシャは、少し逃げるように装置の接続を確認した。
真っ白になった頭では何を話すかが浮かんでこない。
迷いや戸惑いを示すように、いつもの作業に手が震える。
工具がぶつかる音と、無機質な計器の音だけが、夕刻の工房に響いた。
再度音声テストを行い、数回のやり取りを経てしばらく。
リーシャの気持ちも落ち着きを取り戻した。
今目の前に居るのは、ライトニングではない。
それを頭が理解するまでに、夜のとばりはすっかり降りていた。
「――それで……ここ、は……どこ、だ……? おれ、は……」
「ちょっと待って。……なんで、そんなに流暢に話せるのよ?」
リーシャが思わず声を上げる。
最初はノイズ混じりの断片的な言葉だったが、数回のやり取りを経て、次第に人間のような滑らかさを帯びていった。
まるで初めて使用する道具の扱いに、段々と慣れていくような。
電話の音声の質が悪く、くぐもった声で聞こえるとはいえ――。
何度見返しても、最低限の会話しかできないはずの機器編成。
ましてやホムンクルスは本来、エーテリスを発電するだけの生命体。
頭部は大きい目で占められており、脳は小動物程度の大きさだったと記憶している。
だが今目の前で話すホムンクルスは、普通の人間と聞き間違うかのような水準で会話ができている。
いや、できてしまっていると表現した方が正しい。
しかも帝国の公用語とは違う
機器は正常。
理由は不明だが、このホムンクルスが異常なのだと、一先ず結論付けるしかなかった。
「ムネハル」と名乗ったホムンクルスの存在に、若干の恐怖を感じたが、それ以上に興味が勝る。
リーシャが悩んでいる間も、受話器の奥でカリカリと引っ掻くような音が聞こえる。
やはり、自分で話しやすいように調整をしているのだろう。
会話をする為に――。
リーシャは気持ちを切り替えるように、深く深呼吸をする。
吐き出す灰色の空気と一緒に、今までの悩みも溶け出しているような気分だった。
呼吸一つで、世界は色彩を完全に取り戻した。
そんな気すらした。
ムネハル。
それがこのホムンクルスの名前。
受話器を持つ手に力が宿る。
「それじゃぁ、ムネハル。――ご機嫌いかが?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます