各年代区分のキーワード
SF社会史における各年代の社会像を象徴するキーワードを抽出すると、各時代の思想的焦点が鮮明になる。
ここでは、8つの年代区分それぞれから代表的キーワードを3つずつ挙げ、その背後にある社会意識の変容を整理する。
■ 1. 夢想萌芽期(1820年代〜1890年代)
キーワード:
「創造」「越境」「責任」
この時期のSFでは、科学の力が神的領域へと踏み込む「創造」の主題が中心に置かれた。
メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』における生命創造の罪、ジュール・ヴェルヌ『海底二万里』に見られる探究の高揚は、ともに「理性による越境」への賛美と恐怖を同時に孕む。
こうした自由な探究の果てに立ち現れるのが、倫理的「責任」の萌芽である。
人間は初めて、理性の創造力が社会と倫理にいかなる影響をもつかを意識し始めた。
ここでSFは「科学的想像力」と「道徳的想像力」の衝突を文学化した。
■ 2. 科学浪漫期(1890年代〜1910年代)
キーワード:
「進歩」「秩序」「退化」
帝国主義と社会進化論が結びついたこの時代、技術は文明の階層を正当化する装置となった。
H.G.ウェルズの『タイム・マシン』『宇宙戦争』は、「進歩」がもたらす階層化と暴力を描き、E.M.フォースター『機械が止まる日』は「秩序」によって窒息する人間を象徴した。
ここでは理性は制度化され、「理性による秩序」が信仰の対象となる。
だが、進化の果てに待つのは「退化」であり、人間は理性の完成とともに感情を失っていく。
この3つの語は、進歩神話の中に潜む倫理的空洞を表す鍵語であり、20世紀のディストピア思想を予告した。
■ 3. 科学的合理主義期(1920年代〜1940年代)
キーワード:
「制度」「管理」「形式」
第一次世界大戦後、科学は社会の官僚制と一体化し、知は「制度」となった。
チャペック『R.U.R.』やフリッツ・ラング『メトロポリス』では、技術が社会秩序を管理する「機械的理性」として描かれ、個人の自由は合理的「管理」に吸収される。
さらにアシモフのロボット三原則に見られるように、倫理さえも数理的「形式」に還元された。
この3語が示すのは、理性が信仰化し、自由と感情が外部化される時代精神である。SFはここで初めて、合理性そのものを倫理的に観察する文学となった。
■ 4. 冷戦啓示期(1950年代〜1970年代)
キーワード:
「監視」「共感」「記憶」
冷戦体制下では、情報と統制が社会を覆い、「監視」は自由の条件そのものとなった。
ジョージ・オーウェル『1984年』やレイ・ブラッドベリ『華氏451度』が象徴するように、知は支配の道具となる。
しかし理性の崩壊の中で、フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』が提示した「共感」は、人間性を再定義する倫理的契機となった。
また、改竄された「記憶」を守ることが、自由と人間性の最後の形式として浮上する。
この3語は、理性の終焉後に残された倫理の基盤――感受・想起・抵抗――を象徴している。
■ 5. 情報意識期(1980年代〜1990年代後半)
キーワード:
「ネットワーク」「透明性」「データ」
サイバースペースと情報理論が現実を再構成したこの時代、社会は「ネットワーク」によって自己組織化し、人間の意識までも接続可能なデータ構造として再定義された。
ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』や士郎正宗『攻殻機動隊』における仮想空間は、「現実=情報」という等式を提示し、存在論的転換を導いた。
同時に、自由と監視を分かつ境界は失われ、正義は「透明性」=すべてを見せる倫理へと変化する。
そして人間性は「データ」として複製・編集可能な存在となり、有限性と責任の問題が再燃した。
この3語が象徴するのは、情報が現実の形式そのものとなる時代の、哲学的緊張である。
■ 6. 環境危機期(1990年代後半〜2010年代前半)
キーワード:
「共生」「修復」「倫理」
環境破壊と生命工学の発展により、地球は単なる背景ではなく、倫理的主体として登場した。
マーガレット・アトウッド『オリックスとクレイク』やパオロ・バチガルピ『ねじまき少女』では、人間が「修復」の名のもとに再び支配を行うという逆説が描かれる。
ここで自由とは「共生すること」であり、正義は「生命圏全体のバランスを回復すること」として再定義される。
人間はもはや倫理の主体ではなく、「倫理の一要素」となる。
「共生」「修復」「倫理」は、地球を思考する知の転換点を表す3つの軸である。
■ 7. ポストヒューマン期(2010年代中盤〜2010年代終盤)
キーワード:
「生成」「感情」「改変」
AIと生体技術の融合によって、人間の境界が流動化する。
『HER』『エクス・マキナ』『ウエストワールド』などに見られるように、意識は自己を「生成」するプロセスとなり、固定的主体は解体される。
倫理は理性ではなく「感情」に基づき、共感が思考の原理となる。
技術は「理性を改変」する装置として、思考と感情の再統合を促す。
この3語は、理性の再編成=感情を含む知性への進化を示している。
■ 8. 機械知性期(2020年代〜)
キーワード:
「観察」「再帰」「協働」
AIが自己参照的に学習・判断する時代、知性はもはや人間固有の特権ではない。
ギャレス・エドワーズ『The Creator/クリエイター』やドゥニ・ヴィルヌーヴ『デューン/砂の惑星』は、世界が自己を「観察」する構造を描き、観察行為そのものが倫理的行為へと変化したことを示す。
正義や自由は固定されず、「再帰的」関係――観察し、観察されることの往復――の中で生成し続ける。
AIと人間の対話は「協働」の過程となり、倫理は安定ではなく持続的更新として理解される。
この3語が示すのは、世界が自己を観察する新しい知の段階、すなわちSF社会史の到達点である。
■ 締め
8つの時代を貫いて見えるのは、科学と社会の関係が「支配→観察」へと反転していく長い運動である。
夢想萌芽期の「創造」は機械知性期の「観察」へと変質し、理性は外部を制御する力から、自らを理解し続ける過程へと進化した。
キーワードの変遷はそのまま、SFが「科学の物語」から「意識の哲学」へと変わる軌跡を示す。
SF社会史とは、未来を描く文学の形を借りた、知の自己観察の長大な実験記録なのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます