透明の迷彩

檸檬

透明の迷彩

カンカンカン「静粛に」


裁判長の声が会場に響く。少し遅れて静寂が広がり、辺りは静まり返った。少しして私は口を開く。「私は無罪だ!第一あなた方は私が人間でと言い切れるのか!」白い蛍光灯が無数の視線のように私の体を貫く。私は誰の目にも見えていない。人語を解す怪物である。だから奴等に私を裁く術など、あるはずがない。手首には何かかかっているが、それも何かの間違いだ。冷たい鉄のような固い感覚が、私の手首を締め付ける。ここにいる誰もが、私をここにいる者として扱っている。


「被告人、静かにしなさい」裁判長が冷徹に放つ。水中から聞こえてくるようなくぐもった声だ。その瞳は確かに冷めているが、焦点は合っていない。私のことが見えていないのだろう。被告人、被告人か。私は人でないと言っている。感情に身を任せてそう言いかけた。だが私はそれをすんでのところで飲み込む。検察官が続ける。「貴方は実の両親を殺害した。殺人罪で訴えます」力強いその言葉は、保たれていた聴衆の静寂を破り、どよめきをもたらした。そのとき、私の脳内にフラッシュ暗算の要領で映像が走る。地に伏す2つの影。赤い水溜り、夜に轟く叫び声。いや、あの叫び声はもしや私の……いや違う。気の所為だ。あの日はただ、静かな夜だった。


私が殺人をした証拠がつらつらと並べられていく。「凶器に被告人の指紋が…」「現場には血のついたTシャツがあり…」「近隣住民から悲鳴がするという通報を受け…」煩い。聞きたくない。いや私にそれは聞こえない。私の耳は何か拒んでいるのか…?それは私が人間であることを前提とした、陳腐な単語の羅列だ。第一私は殺人など身に覚えがない。ただ私は自分を消していただけだ。


誰にも見られぬように。聴衆が排他的な目で私を見ている気がする。しかし私がいくらあたりを見回しても、誰とも目が合うことはない。この場の全員が敵のように見えた。


そのとき、間髪入れずに弁護士は反論した。「被告人は精神病に罹患しています」「そんなはずはない!」気づけば私は言っていた。裁判所は再び沈黙が流れる。私が精神異常?そんなはわけない。おかしいのはどちらだ。手首からカタカタと音がする。味方のはずの弁護士を睨みつける。ガラスの方に目をやった。そこに映っていたのはーー何か、いる。いや、いない。そこに落ちている影はーー


「証人尋問の時間です」裁判長が息をついて言った。その一言が私の視線を遮った。私ははっとして向き直す。先程のは一体。証人であろう、ひどくやせ細ったざんばら髪の女。虚ろな目の下には、大きなくまをこしらえている。その女は私の恋人だったそうだ。私はこの女のことを知らない……のか?そうだ知っている。彼女のはにかむ顔、朝に2人で食べたフレンチトーストの香り。まさか奴が…そんなはずはない。彼女はあんな目をしてはいない。「彼はどんどんと壊れていきました」彼女の声は震えている。「最初は鏡に向かってぼうっとして…」彼女の声が一歩遠のいた。「突然家中の鏡を…」何を言っている。「私を見るなと…」何も聞こえない。彼女の独白はいつまでも続く。私だけが彼女の声を聞こうと努めている。彼女の唇の動きをただじっと見つめる。きっとこれも嘘だ。私を陥れて、何の利があるという。あの目なのか、私をみていた温かな目はどこへ行った。誰もが持っている。だが誰も私を見ようとしない。目、目。私は言った「さっきから私に聞こえぬように何を言っているのですか。私をどうしたい」私が話し終えると、続くのはやはり静寂。そしてそれを破る人物も決まっている。「貴方の精神が壊れているという話をしているのです」


そう言われた瞬間、私の中にある他者の記憶が流れ込んでくる。灰色の密室。定時に送られてくる飯。それを運んでくるのは誰だったかーそれはいつのことだ。1日前、いや1週間前か…何かの記憶に乗っ取られて私は何も考えられない。膝から力が抜け、地面との距離が一気に近づいた。膝に衝撃が走り、それが体中を響く。嘘だ。嘘だ嘘だ。私は必死に辺りを見回す。やはり誰も私の方を見ていないではないか。話しかけているはずの裁判長すらも、私と目を合わせようとしない。何が言いたい。何がしたい。頭の中で大量の思考が交錯する。私には身体がある。血が回っている。なのに誰も私を見ない。どうしてだ。体が重たい。


裁判長はたっぷりとためて言った。「被告人を………」その声は会場を、私をのみ込んだ。白い光はただ、私の体を貫いた。それは私にやはり聞こえない。判決がくだった。私に分かったのはその程度だ。


手首の何かは取り外された。軽い。だが誰が、どうやって?


私は外に出た。車の音が煩わしい。光が目にこびりつく。群衆は私の肩にぶつかっても何も言わない。振り返りもしない。


ふと横を向くと、ビルのガラスが景色を跳ね返していた。そこにはーー


何が写っていたのだろう。怪物か、人間か、何もいないのか。確かに私が見たものは私の後ろを歩くぎょっとした顔の女だけだった。


彼女は一体、何を見たのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

透明の迷彩 檸檬 @Amasaka_Remon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画