第9話 救世主
「――ってわけで、俺の補習課題を助けてほしいんだ!」
バンッ!
机の上にプリントの束を叩きつけ、俺はイツメン5人の顔をぐるっと見渡す。
沈黙。空気が一瞬、凍りつく。
誰かがゴクリと喉を鳴らした。
「……なるほど」
そう言って課題の中身を覗くのは、このグループで唯一の論理的人間・谷口。
数ページをペラペラめくり、静かに息を吐いたかと思えば――
彼は満面の笑みで告げた。
「無理⭐︎」
な、なんですと……!?
ガラガラと音を立てて、最後の希望が砕け散る。
俺は膝から崩れ落ちた。
「お願いだよ、谷口!今度ラーメン奢るから!」
俺はまだ諦めない。
涙目で両手を合わせて必死に懇願するも、谷口はゆっくりと首を横に振り、どこか悟ったような顔をした。
「……できることなら俺も助けてやりたかった。けどな、タク。これはもう――凡人の領域を超えてる。俺、成績はマシなほうだけど、せいぜい平均よりちょっと上、ってレベルだぜ?こんなん全部捨て問だよ」
最後の希望・谷口が匙を投げ、俺は途方に暮れる。
……まじか。そんなにハイレベルな課題なのか。
今さら気づいた。俺はテスト前、1度たりとも教科書を持ち帰らなかった。
つまり、“難しい”の基準すらわからない。
でも、それなりに勉強した谷口が言うなら、これは確実に地獄だ。
基礎も崩壊してる俺に、難解な数列やベクトルを解けというヤマオ。アイツ、教育者の皮を被った鬼か?
頼れる友人が全滅し、俺は頭を抱えた。
静まり返った教室に、大きなため息が落ちる。
「……留年するしかないのか、俺」
♡
放課後。今日はバイトが無いし、とりあえず課題と格闘してみることにした。
図書室の机にプリントを広げ、教科書とYouTubeの解説動画を行き来する。
だが――1問も進まない。
基礎がダメダメな俺はそもそもの前提知識というものがまるで無いから、どこから手をつければいいのか見当もつかない。きっと1年生の復習から始めるべきなのだろうが、俺にはそんな時間が残されていなかった。
……どうしよう。あいつに助けを求めるか?
俺はそっと顔を上げ、視線を斜め前に向けた。
真っ直ぐなポニーテールが、ペンを動かすたび小さく揺れる。
俺は小さくため息をこぼした。
図書室に入った瞬間、俺は相原アスカの存在に気づいた。
そうだ、相原さんに課題を手伝ってもらえばいいんだ。
そんな無茶で邪な発想が浮かび、そそくさと彼女の近くの席を選んでしまった。全く、我ながら情けない話だ。
相原さんはというと、無心でノートにペンを走らせている。集中しているようだし邪魔するのは申し訳ないが、背に腹はかえられない。
今だ。今、行くしかない。勇気を出して声をかけようとした瞬間、もうひとりの俺がこう囁いた。
いいのか?好きな子に課題を手伝ってもらうなんて、男として恥ずかしくないのか?ここは、自力で解決するべきだ。相原さんを頼ってはいけない。
進級しなければという焦りと、一丁前なプライドがせめぎ合う。
どうする、どうする――!
「何か用?」
「ひぃぃ!」
思わずビクッと肩を跳ね上げた。
相原さんが顔を上げ、冷ややかな目で俺を睨んでいる。
怒ってる。絶対、怒ってる。
これまでは「無表情なのが逆に可愛いんじゃ〜ん!」とか抜かしてたけど、今となってはカズたちが相原さんを怖がっている所以が痛いほどわかる。
光の無い瞳と低い声。
彼女の代名詞である敬語が崩れ、語尾が威圧的になっている。まずい。これは、不機嫌lv.100だ。
俺は何も言えず、ガクガク震えていた。
「さっきからチラチラ見てきて、なんなの?」
「あああそれはすいません!」
俺は食い気味で謝る。ええい、もうどうにでもなれ!
「あの!俺の宿題、やってくれませんか!」
しんとした図書室に、アホみたいな俺の声が響く。
カウンターの図書委員たちはざわつき、不思議そうに目配せしている。
そりゃそうだ。涙目で女子に宿題押し付けてるとか、一歩間違えたら通報モノ。でも、ここまで来たら行くしかない。中途半端に引いたら終わりだ!
「勉強教えてほしいとかじゃないんで!ほんとに、ただ解いてほしいだけなんです!絶対、何らかの形でお礼はします!もう、俺の宿題さえやってくれたら、何でも言うこと聞きます!下僕になるんで、どうか、お願いします!」
俺は早口でそう捲し立て、土下座の勢いで頭を下げた。
「……え?」
相原さんは唖然として瞬きした。
冷たい視線が刺さる。痛い。マジで痛い。
「なんで?」
「これ出さないと、俺、留年なんです!」
口に出すたび、情けなさが倍増していく。
「へぇ。見せて」
必死すぎる俺の様子が興味を引いたのか、相原さんはプリントを受け取りってパラパラめくった。
そして一言。
「おー。結構面白いじゃん」
「え?」
は!?!?俺は自分の耳を疑う。
相原さん、今、補習課題を“面白い”って言った!?こいつ、どんな感性してんだ!?
俺は何も言えず、金魚のように口をパクパクさせるしかなかった。
「わかりました、引き受けます」
「まじですか!?」
いつの間にか敬語に戻ってる。怒りも消えてる。
俺は安堵のあまり、思わず机に突っ伏した。
どういうわけか、相原さんは宿題委託をあっさりと承諾してくれた。ダメ元でも泣きついてみるもんだ。
相原さんが顔を上げて尋ねる。
「これ、いつまでですか?」
「……来週の月曜です。すいません、急で」
俺が申し訳なさで縮こまる。
「わかりました。明日までに終わらせます」
おい、話聞いてた!?
来週までだと言っているのに、相原さんはハッキリとそう言い切った。
ほんと、変わった奴だ。
でも、数学フリーク・相原さんのおかげで、俺は進級に一歩近づいた。とにかくここは感謝しなければ。
「ほんとに、ありがとうございます!」
「……」
感極まって頭を下げる俺を無視し、相原さんはもうペンを走らせていた。
俺は苦笑しながら、そっとその場を離れる。
思わずため息が出る。
相原さんは変人だ。美人なのに、変人。美人という要素を上回るほどの、濃すぎるキャラ。
それでも、今の俺には女神にしか見えなかった。
ありがとう、お嬢様。あーりんのおかげで、ななちゃんはなんとか救われたよ。
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