クロス・ザ・ボーダー~国境を越えろ
SHINKAWA
プロローグ 俺のデビュー戦の話をしようか
岩山を風が抜ける。青い空は果てしなく広がり、どこまでも駆けていきたい衝動を呼び起こす。
頭上を甲高い鳴き声が、尾を引いて横切っていく。目を凝らしても、よほど高いところを飛んでいるのか、影も見えない。
眼下には峡谷を縫いつなげるように組まれた
カツウミ・ペンテアルトは額の風防眼鏡を引き下げる。――さあ集中だ。
アナウンスが流れる。
「お待たせしました。これから新人戦、第一組の予選を始めます」
岩棚を削り出して設えられた観客席では、早くも興奮して叫ぶ観客ら。
「走れぇ!」
「がんばってぇ」
「デカい金ぶっこんでんだ。ひるまず行けよー」
観客には獣の瞳を持ったもの、触覚のあるもの、ヒレのあるものなどが混じっている。この大陸では胎児の進化過程の発現が起こりやすい。最終形態のヒト属のほかに、様々な動物の特徴を残した人類の土地である。
小型竜に乗ったカツウミが身を低くした。鼓動を感じる――合図。谷間に轟く銃声。
ブーツの蹴りに応えて小型竜が飛び出す。巨体の群が駆けるためスタートから道は狭く、まずは団子状態を抜け出すことだ。
畳みかける重い足音に囲まれ、景気づけのジャンが追いかけてくる。当たり負けはしないが無駄な体力も使いたくない。よし、上手く先頭集団に入れた。
ただしこのコース、下るにつれトラップのように傾斜や曲がり角が変化してくる。先頭に立つには度胸とコントロール、――まさに俺向きのレースじゃないか、カツウミが不敵に口元を緩める。
しばらく周囲に合わせて走っていたが、前を走る大型獣が急減速して一気に視界が開ける。
しかしその先にあるのは左への急カーブ、下りの急傾斜で続きも見えない。
カツウミが左の手綱を引き、騒音を裂く大音声で叫ぶ。
「バカラ、止まれ!」
ヘアピンカーブの全体が見え、名を呼ばれた竜が急ブレーキでバランスを崩しながら回り込む。
尻が崖側に降られ尾がしなる。カツウミがしがみつく獣体は、止まり切れず崖側に滑り、爪痕がコースに線を描く。
と、強い羽音と共に竜の翼が高く開く。体に比して小さめの翼である。全身が力こぶで膨れ、スライドが止まる。
そのまま翼で空気を掻いて推進力をつけ、体勢を整えて再び走り出し、独走。
竜が軽々と走り去り、遅れて大型獣たちがカーブを曲がって追ってくる。中には勢いが止まらず崖から落ちそうになるものもいる。
レース場に轟く観客の大歓声。紙片と新聞が風に舞う。
谷を落ちていく紙面の片隅に『期待の新星。ニュータイプ・ドラゴンを操るカツウミ・ペンテアルト』の文字と顔写真。
順位とスコアのアナウンスが流れる。
しばらくして新聞のカツウミの顔に雨粒が落ちてくる。間をあけて、2滴目、3滴目。
少しずつ雨脚が強まり、新聞が力なく土にへばりつく。
岩山は先住民族の居住地をレース会場に改造したもので、一つの階が丸まる出場獣の房に充てられて、そこで選手と獣が待機している。
元は倉庫に使われていたようだ。岩肌をくりぬいただけの部屋が並ぶ。
アウグスト・ハイブリッドJr.が、首からストップウォッチをぶら下げて廊下を走ってくる。耳と鼻先に猪の特徴を持ち、丸くて愛嬌がある少年である。
彼は入口の名札も確認せずに一つの房に駆け込み、メモを片手で突き出す。
「カツウミくん!」
小さな明り取りの穴があるだけの房内。バカラの土汚れを丁寧に拭いてたカツウミが振り向く。こちらはきつい釣り目のすらりとした青年だ。
「ね! 3つの予選終わってスコア1位だよ。決勝進出だ」
「おい、アウグスト。まだ予選はあるだろう」
「行ける。行けるよ、カツウミくん。今日優勝できたら、僕らはトップレーサーの仲間入りだ」
聞く耳持たず、浮かれて跳ねるアウグスト。
「あのな。予選だからみんな慎重になっていたのであって、本選になれば……」
クールに振舞おうとしたカツウミも、喜ぶ様子にあきらめて首を搔く。この日ために準備を重ね、内心では予選通過が嬉しいのだ。大人びた表情が崩れると少年の面影が戻る。
と、水を差すように外が突然騒がしくなった。
「どけどけ」
「担架はもう1つだ」
2人が廊下を覗くと、篝火の明かりの中を殺気立った係員たちが走ってくる。
そのあとを係員に肩を支えられてよろよろとレーサーが歩く。係員は担架に横たえてケガ人を覗き込み、「OK、大丈夫だ」とささやくや、同僚に「急げ」とばかりに顎を振る。
「くそう、あいつ……あんなところで鞭を振りやがって……」
うわごとのようなつぶやきを残しケガ人が運ばれていく。廊下に泥靴の跡を残して。
「そういうレースなんだよ」
同僚の後ろ姿につぶやき返す係員。髪から水滴がしたたり落ちている。
「雨降ってるのかな?」
アウグストがカツウミを見ると、カツウミが親指で廊下の奥を指す。
長い廊下の突き当りに、崖に開いた窓があった。
カツウミとアウグストは並んで外を見る。
峡谷には先ほどと打って変わって激しい雨が降っている。コースは木々に遮られて見えないが、かすかに届く歓声からどうやら試合は続いているようだ。
実際、コースでは大型獣たちが水をはじいて走っていた。雨で足を滑らせ転倒する獣や、風に煽られて谷に転落するレーサーの悲鳴は、無言で雨を見ている2人には届かない。
突風が雨を吹き込ませ、アウグストがぶるっと身を震わせた。
2人が房に帰ってくると、廊下はさらにレースの係員たちと負傷したレーサー、大型獣でごった返していた。
血の匂いや殺気立つ係員に誘発されたか、あちこちの房内の獣が興奮して吠えている。
騒然とした中、ひとしきり怒鳴って指示をしている係員に、アウグストが焦って駆け寄る。
「どうなっているんですか。まさか中止ですか」
係員はわずらわしそうに
「ああ? 一時中断だよ。ケガ人をどかさなきゃコースが空かないだろ」
「続行ですね?」
ほっとするアウグストに、
「当たり前だろう。でかい金が動いてるんだ。1人2人死んだって止めやしねぇよ」
そう係員は畳みかけて、救護活動に注意を戻す。
カツウミは腕組みをし、邪魔にならぬよう少し離れた壁際に寄りかかっている。
彼の視線の先、廊下の端で骨折したヌーが痛みで苦しんでいる。レース用に改造された獣よ、人間の助けを拒んで敵意と歯を向ける巨大なヌーを、カツウミは食い入るように見つめる。
アウグストと話していた係員が、豹のオーナーらしき着飾ったぎょろ目のカエル属に近寄り話しかける。顔をしかめて首を振るカエル属に係員は頷き、腰の銃を抜いてヌーを無造作に撃ち殺す。
銃声に驚き脅えるアウグストをそのままに、無表情でカツウミは踵を返した。
しばらくして、雨で滑る岩場の道をゆく、マントを着た1人と1頭の姿があった。荷物を背負ったカツウミとバカラである。
「待って。カツウミくん、どうして」
ずっと後ろを、マントと荷物を抱えたアウグストが、転びそうになりながら追いかけてくる。
カツウミは振り向くこともなく、ずんずんと険しい道を降りていく。
その背中に向かって、
「勝手な棄権は資格を剥奪されるよ。ねぇ!」
激しい雨にあたふたとマントを着ながら、アウグストが叫ぶ。
(続く)
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