ちくわの向こうの桜の木

水杜まさき

第1話

 年末、十二月二十九日。

 今日でようやく仕事納め。明日からは正月休みだ。

 「一年お疲れ様」と炬燵に入り、一人で忘年会を始める。


 いや、一人ではないか。

 炬燵の中で丸くなっているのは、我が愛猫『はんぺん』。

 白くてふわふわな、にゃあと可愛い子だ。今はすーすーと寝息を立てている。

 『猫』という名前は、よく寝る動物だから『寝子』、そこから名づけられたという説があるが、非常に納得できる。


 忘年会、といっても、もう夕食は済ませてきた。

 会社の同僚とイタリアンレストランで軽くワインを開け、「良いお年を」なんて挨拶をして、今はご機嫌にほろ酔いで帰宅したところだ。

 帰りに近所の公園の中をふらっと通ったら、冬の静けさが心地よくて、一人でもう少し飲んでしんみりしたくなった。

 要は、『忘年会』というのは口実で、単に飲み足りないだけなのだ。


 コンビニで、酒とおつまみを調達してきた。焼き鳥と枝豆、それにちくわ。

 日本酒を徳利に移し替えて、電子レンジで熱燗にする。


 おじさんっぽい、とよく言われるが、私は二十六歳の女性だ。

 私の田舎は東北なのだが、親戚一同が集まると皆、日本酒を飲んで盛り上がる。

 そんな血筋なものだから、すっかり日本酒党になってしまった。


 足先で炬燵の中の『はんぺん』の温もりとフサフサ感を楽しみながら、日本酒をお猪口で一杯クイッと頂く。

 芳醇な香りがふわっ、と立ちのぼる。

 ぷはー、いい純米酒だ。熱燗はこうじゃないと。

 そのまま、枝豆を口に放り込む。



 それにしても、東京暮らしにも慣れたものだ。

 はじめのうちは、空にさえ馴染めなかった。田舎の晴れた、広い空が恋しかった。

 それが今では、ビル街にもすっかり慣れてしまって、第二の故郷になりつつある。

 この辺りは高層ビルは無いが、マンションがそこかしこに立ち並んでいて、空が狭い。


 マンションの間から、星が見える。冬晴れの澄みきった夜空だ。


 ふと、昔のことを思い出した。


 実家の裏に丘があって、そこに古い山桜の木があった。

 その傍らに、手作りの小さな祠があった。おそらく、桜の木をご神体として祀っていたのだろう。

 丘に登ると、眼下には北上川が、遠くには岩手山が見える。


 高校生ぐらいの頃、その丘に上がって、天体観測をするのが好きだった。


 祠の前のひらけた場所に三脚を立て、望遠鏡をセットする。赤道儀のダイヤルを回し、星図を見ながら北極星を探す。暗闇に目が慣れた頃、こうやってファインダーを覗いて――


 当時を思い出しながら、おつまみのちくわの穴を、戯れに覗いてみる。




 ――目が合った。




「え……?」


 慌ててちくわから手を離した。それは炬燵の天板の上を跳ね転がって止まった。


「えっ?……ええっ……?」


 ――駄目だ。思考が追いついていない。冷静になろう。

 軽く深呼吸をする。


 まず、私は酒を飲んでいる。つまりは酔っている。

 頭も回らず、目もぼんやりしている。

 なので、何かを見間違えたのだろう。


 そう言い聞かせて、ちくわを拾い、もう一度覗いてみる。



 ――やっぱり、誰かが見てる!



 ちくわの背後には、当然ながら誰もいない。

 ちくわの向こう側に鏡があって、自分の目がそれに映ったのではないか、などと考えたが、そんなものもない。


 心臓がバクバク言ってる。

 

 ちくわから目を離して、また覗く――それを繰り返す。

 もうこのちくわ、食べられない。

 いや、問題はそこではない。

 何度覗いても、目がある。怖い。

 

 ふと、その目がスッと細くなった。

 笑った?


 思い切って声を掛けてみた。


「だ……、誰か入ってますかー?」


 間抜けな声で、ちくわの中の人(?)に呼びかけてみた。


 ――反応はない。


「おーい!」


 ひょっとして、ちくわの中の目はもういなくなったのではないかと思い、もう一度そっと覗こうとした。


 とその時、ちくわの中から木の枝がスッと突き出された。


「わっ!」


 危ない。あのまま覗いていたら、目を突いていたところだ。


「ちょっと、危ないでしょ。一声掛けてからにして下さい!」


 思わず注意してしまった。

 相手がどこの誰かも分からないというのに。

 そもそも人間かどうかも不明だ。


 ――返事がない。


「ちょっと、何か言ったらどうですか?」


 ――何も反応がない。


「……ひょっとして、喋れないんですか?」


 木の枝が、ピクリと一回動いた。


「……今のは、『はい』という意味ですか?」


 再び、木の枝が一回動く。


「あなたは『ちくわの精霊』ですか?」


 木の枝が二回、ピクピクと動いた。


 ……意思疎通ができる?

 これ、『はい』なら一回、『いいえ』なら二回、枝が動くということか?


 こちらを取って食うような妖怪とかではなさそうに思えてきた。

 いや、ちくわを取って食おうとしていたのは私なのだが。

 こちらの話が通じる相手なら、何とかなるかもしれない。


 恐る恐る、質問してみる。


「あなたはちくわの中にいるのですか?」


 枝が二回、ピクピクと動く。『いいえ』だ。


「あなたはちくわとは別のどこかにいるのですか?」


 枝が一回、ピクリと動く。『はい』だ。

 となると、どこかの誰かがいる空間が、このちくわの中と繋がっている、ということか?

 ファンタジー小説によくある、別世界への扉みたいな?


「あなたは異世界にいるのですか?」


 ……木の枝が曖昧に揺れる。『はい』とも『いいえ』とも取れない。


「あなたは男の人ですか?」


 ピクリと一回。女性?


 ……困った。こういう時は何を聞いたらいいのか。

 昔から、初対面の相手に話しかけるのは苦手だ。


「……あなたは今、幸せですか?」


 新興宗教の勧誘みたいな事を聞いてしまった。

 

 少し考え込むように時間をおいて、ピクピク、と二回。それから、ピク、と一回。

 難しい質問をしてしまったか。不幸なことも幸せなこともある、ということか?

 まあ、人生なんてそんなもんだろう。


「あなたがいる、そこは暖かいですか?」


 ピクピクと二回。寒いところなのだろうか。


「うーん……、じゃあ、あなたはお酒は飲めますか?」


 ピクリ、と大きく一回。


「それじゃあ、飲みましょう。わたし今、忘年会をしているんですよ。日本酒の熱燗があるので、そちらに流しますね」


 木の枝は一回大きくピクリと揺れ、スッと引っ込んだ。

 そこに、日本酒をとくとくと流し込んでみる。それはちくわの穴の中へ消えていった。


「……どうですか?おいしい?」


 再び木の枝が伸びてきて、ぷるっと一回震えた。楽しい。何かの小動物みたいだ。

 水族館で見た、チンアナゴを思い出す。


「おいしかったんですね。もう一杯どうです?」


 木の枝が大きく、ピクリと跳ねた。


 再び、木の枝が引っ込んだところを見計らって、日本酒を流し込む。


「いける口ですねー」


 ちくわの穴から木の枝がにょきっと伸びてきて、ぷるんっ!

 少し酔っているようにも感じられた。


 ふと思いついた。

 こちらから日本酒を流せるのであれば、向こうと物のやり取りができるのではないか。


「そちらはどんな感じですか?何かこちらに出せるものはありますか?」


 枝が引っ込む。


 しばらくすると、ちくわの穴から、何やら冷たいものが溢れてきた。


「これは……、雪?」


 再び枝が伸びてきて、ピクリと揺れた。


「ひょっとして、雪国ですか?」


 ピクリ。


「……東北のほう?」


 ピクリ。


 東北といえば、私の故郷だ。

 実家の裏には丘があって、私はよくそこに登っていた。


「そこから岩手山は見える?」


 ピクリ。


「北上川が流れていて……」


 ピクリ。


「……ひょっとして、私たちって会ったことがあります?」


 少し間をおいて、――大きく、ピクリ。



 繋がった。

 このちくわの穴から出ているものは、『桜の枝』だ。


「あなたは、『桜の神様』ですか?」


 頷くように、静かに、ピクリ。



 どういう訳か、このちくわの穴は、私の故郷の丘の桜の神様のところと繋がっているらしい。


「お久しぶりです。桐野こはるです。三年ぶりですね」


 ピクリ。


 記憶が蘇ってきた。

 高校生の頃、学校帰りによく裏の丘に上って、桜の神様の祠に話しかけていたっけ。

 ぬいぐるみに話しかけるみたいに、自分の気持ちや考えが整理されて、心地よかった。


「久しく帰省できていませんが、皆さんお変わりないですか?」


 ピクリ。


 桜の神様は優しく相槌を打ってくれる。

 私は日本酒を舐めるように味わいながら、ちくわの向こうの神様に話しかける。


「わたし、東京に出てきてから頑張ったんですよ。うんと勉強して、うんと仕事して。彼氏は……まだいませんけど、充実した毎日を送っているんですよ」


 ピクリ。


「神様には感謝してるんです。私の話を何も言わずにしっかり聞いてくれて。……そりゃ、祠なんだから何も言わないのは当たり前かもしれませんけど」


 ピクリ。


 いつしか私は、懐かしい気持ちに包まれていた。

 優しいお姉さんに再会して、頭を撫でられているような、そんな心地よさを感じる。



 お酒が染みていく。

 言葉が紡がれていく。

 桜の枝が、ピクリ。



 こうして夜が更けていった。



  ◇  ◇  ◇



 朝、こたつで目が覚めた。

 酒に酔って、そのまま寝てしまったらしい。


 ふと目の前を見ると、『はんぺん』が満足そうな顔で毛づくろいをしていた。

 その横には、ちくわの包装袋。

 ……食べてしまったのか。


 その横には桜の枝が一本落ちていた。



 春になったら、田舎へ帰ろう。

 あの丘で、桜の木の傍らで、神様に話を聞いてもらおう。

 そんな気分になった。


 『はんぺん』が膝の上に乗ってきて、静かに喉を鳴らす。

 窓の外には、冬の澄んだ太陽が、明るく輝いていた。


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ちくわの向こうの桜の木 水杜まさき @mizumori_masaki

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