湯気の向こうの猫

辰巳しずく

湯気の向こうの猫

 そうそう、あそこ――『ラーメンみそ福』

 あそこはね、この辺じゃ人気の中華料理屋さんなの。


 何というか具材は別に特別じゃないんだけど、作り方が上手いっていうか。

 塩バターも塩のしょっぱさとバターのまろやさがバッチリでね、レバニラ炒めもジューシーで美味しくて。私も頻繁にお昼を食べに行っていたわ。


 で、そんな『みそ福』のご主人は常連さんだけにあるお話をしていたのよね。

 いわく、「俺は××通りのパン屋の前だけは通れない」って。


 ふふ、おかしいと思うでしょ?

 だけどね、ご主人が通れないっていう言い分にはちゃんと理由があったの。


 何でもある日、『みそ福』の軒下でダンボール箱に入った子猫が震えていたんですって。

 そう、捨て猫。お店の暖簾をかけようとして外に出た時に見つけたって言っていたわ。

 

 かわいそうに。小さく鳴いていたそうよ。


 もちろんご主人はすぐに保護したわ。

 もともと『みそ福』にはミソっていう茶トラがいてね。いつものんびり寝ているの。尻尾をくるんと巻いて寝てね。


 カウンター上で丸くなる姿がもう可愛くて可愛くて。

 だからご主人は子猫……バターを拾うのに抵抗はなかったのよ。


 だけど話が変わるのはここから――というのもね、バターが入っていたダンボールがおかしかったらしいの。

 ううん、正確にはそのダンボールに入っていた新聞紙がおかしかったのね。


 ご主人はバターをタオルで包んで動物病院に行く準備をしながら、ダンボール箱を調べたんですって。

 で、ダンボールを調べたんだけど百均ショップで買えそうなダンボールで手がかりはなかったそうなの。


 でもそのダンボールに敷かれていた新聞紙が――書いていたそうよ。

 『みそ福』のご主人が酔っ払い運転で轢かれるって事故の記事が。


 よく見れば新聞の日付は一か月先でね。

 ご主人はとんでもない悪ふざけだと最初は流したらしいわ。

 けれどバターを動物病院に見てもらって、正式に自分の子として引き取って、ミソとの関係も重なるように眠るのを目にして安心したあとで。


 ご主人は気になり始めたそうよ。バターと一緒にやってきた新聞の内容が。

 それで調べてみたら……そう、ドンピシャだったの。たとえば政界でこんなことが起こる、とか、イベントが悪天候のせいで客の足が伸びなかった、とかね。


 ご主人は当時は相当気を揉んだらしいわ。

 だから新聞に書かれていた事故当日の日は出歩かなかったんですって。


 おかげで「ピンピンしてる」なんて言っていたけど――それでも事故が起こる現場に行くのはためらっていたみたい。


 ふふ、何でそんな話をするのか不思議そうね。

 実はね、この話には続きがあるの。


 ご主人が見た記事はね、『自分が轢かれた記事』じゃなく『自分も轢いた犯人が捕まる記事』だったのよ。


 正直、ご主人からこの話をされた時は眉唾だったわ。

 でも伝えていない私の名前を言った時に何となく直感したの……ああ、これは本物だって。


 やだ、女を襲おうとするなんて。

 というか私がひとりでむざむざ、こんな話をすると思っていたの? いやねぇ、アンタみたいなブザイク男の根拠のない自信って。


 ちょっと色目使っただけで勘違いするなんて恥ずかしくないの?


 ご主人がなんとか命を取り留めたけど、それでもご主人が轢かれたことに――しかもミソとバターまで巻き込まれたことに!――私たち常連は怒っているのよ?


 それこそ、こんなにも大勢が集まったから「抜け駆けはしないように!」なんて掟をつくらなくちゃいけないほどにね?


 ……私たちにとってはね、『みそ福』は憩いの場だったの。

 昼からビールを飲んで、お喋りして。ご主人の元気そうな姿に安心して、立ちのぼる湯気の向こう側でふわふわ幸せそうに寝ている猫ちゃんたちに幸せをもらう――そんな場所。


 それを無茶苦茶にした犯人に報復したくなる気持ち、分からないかしら?


 ああ、大丈夫。

 この町にはイキって大失敗した挙句、私たちに頭が上がらない建設会社の社長っていうアテがあるから。

 そうでなくても、やり方なんて色々あるし、ね?


 それにしても――本当にあそこに立っていたら事故に遭うなんてね。

 ……バターはどこから来たのかしら?


(了)

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湯気の向こうの猫 辰巳しずく @kaorun09

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