第9話【黒白の境界線】



更衣室に、わずかな緊張の残り香が漂っていた。

「あの文字、なんだったんだろな」

タクシが着替えながら、呟くように言った。


「文字?……僕のは、よく見えなかったんだ」

ケイトは不安そうに答えた。


「ケッ! はいはい、秘密ってことな」

「いや、違っ……」


「お前ら早くしろ! これ以上機嫌悪くさせんな!」

リョウが更衣室に戻ってきて声を荒げた。


――



(EAF検査場)


「お前らが今着用しているスーツは、

液体ゾリウム合金を扱うための“NPスーツ”だ」


マイクはNPスーツの右腿を叩きながら続けた。

「右腿には救急キットが入る。お前たちのはまだ空だがな。

ベルト部はVDP 《ヴィーディーピー》という真空落下装置。

今は加速装置とでも認識しておけ。

左腿にはゾリウムナイフを携帯する。緊急時用だ」

漆黒の鋭い刃が光を反射した。


「そして、我々が扱う液体ゾリウム合金を“ニューロ”と呼んでいる。

 ――それがテブンズの装甲“ニューロアーマー”になる」


視線を中央に向け、マイクは言った。


「これだ――」

右手を掲げると、真っ白な空間の中央に直径五メートルほどの円形装置が出現した。

中では銀色の液体が溢れ出すようにうごめいている。


「“トッツ”と呼ばれる纏装機てんそうきだ。内部にはニューロが溜まっている。

これがお前たちの思考パターンを読み取り、心に応じた形を成して硬質化する

――それが纏装てんそうだ。何か質問はあるか?」


「前に話した《黒堕ち》とか《暴徒化》って、その纏装で起こることですか?」

リョウが質問を投げた。


「その通りだ。精神を保っていなければ、ニューロはお前たちを飲み込む。

自分の使命は何か――それを胸に抱くことだ」


(使命……さっきのカードのことなのかな)

ケイトの胸に、一抹の不安が過った。


「……よし、見せてやる」


マイクが一歩前に出た。

トッツの中心に立つと、足元の銀色の液体が青白く変色し、

彼の周囲を螺旋状に渦巻きながら湧き上がっていく。


バチチッ バチッ


時折、放電のような音が鳴り響き

マイクの全身が青白い金属に覆われていく。


その表面では液体金属が流動し、神経回路のような光が走った。

現れたのは六メートルを超えるディープブルーの装甲。

胸部はまるで“心臓”があるかのように、わずかに鼓動していた。


その光景に、誰も声を出せなかった。

本能が告げている――これは人の領域ではない。


「これが――純テブンズの纏装だ」


低く重い声。

拳を握るたび、空気が震えた。


「ニューロはその者の心に従う。使命を見失い、死を望めば、それに呼応する」


ズシッ ズシッ


白い床を鳴らしながら、青い巨体がゆっくりとトッツから離れる。

その圧だけで、空気が振動した。


「――まず、叶タクシ。やってみろ」


マイクの言葉に、タクシが一歩前へ出た。

トッツの前に立ち、肩をすくめる。

「へへ……上等だ、やってやんぜ……」

冗談めかして笑ったはずの口元は、わずかに震えていた。


銀の液体が足元から立ち上がる。

淡く赤く染まったニューロは、マイクとは明らかに様子が違う。

それはやがて歪にタクシを包み込み、肥大していく。


「おいおい、なんだよコレ……あつ……っ!」

タクシの声が歪んだ。


「心を保て! 恐怖に飲み込まれるな!」

マイクの檄が飛ぶ。


しかし、ニューロはうねり続けた。

アア……ア……

機械のノイズと人の呻きが混ざったような、不気味な音が鳴る。


ズズッ――ズズズッ 


五メートルほどに膨張した赤い鉄塊が、

彷徨うようにトッツから歩き出す。

表面では赤い金属が脈打っていた。


次の瞬間――わずかに黒く変色する鉄塊を見て、


「……ダメか」

マイクが駆け出した。


赤黒い鉄塊を羽交い締めにし、トッツへと引きずり込む。

「全員離れろ!! 近づくな!!」


マイクが鉄塊をトッツへ抑え付けると、唸りを上げながら溶解し、

やがて虚ろな目を見開いたタクシの姿が現れた。


マイクも纏装を溶解し、深く息を吐く。

「……あと十秒ってとこだな」


衰弱したタクシを見つめ、静かに告げる。


「これが、人間が黒堕ちする前段階だ。

トッツに戻すのが数秒遅れれば、取り返しはつかない。

この生死の分かれ目を――《黒白の境界線》と呼んでいる」


時が止まったかのように、全員が息を呑んだ。

白い会場に、マイクの声だけが静かに反響していた。

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