海辺のわくわくトライアングル
平蔵
第1話 海辺のわくわくトライアングル
「おっ、てめえ、こんなところで何してやがる」
拓也が与太口をきいた。
ござの上の物体は拓也を見上げ、あぐらをかいたまま股間をまさぐっている。
「餓鬼はむこうへ行くずら」
中年とも老人とも判断しかねるみすぼらしい物体は「カー、ぺっ」と痰を吐き、水平線をまぶしげに見つめた。
「餓鬼とはなんだよ、餓鬼とは」
拓也は丸い小太りの物体につめより、わめいた。
「餓鬼は餓鬼ずら」
「ふざけんな、このくそジジイ。なにが餓鬼だ。おい、ジジイ。てめえのせいでこっちはえらい目にあったんだぞ。覚えてねえとは言わせねえからな」
「なんのことずら?」
「とぼけんじゃねえ。てめえが売った飴のことだよ。祭の日に夜店で売ってただろ。あの飴だよ。あの飴のせいでこっちは」
「飴? なんのことずら。そんなものは知らんずら」
「とぼけやがって、この野郎」
つかみかからんばかりの勢いで拓也は身体を前につんのめらせた。
「拓ちゃん」
幼馴染で拓也と同じ高校に通う由美子の声が聞こえた。
「どうしたん?」
拓也は顔を上げ、声のした方向へ首をひねった。ビキニ姿の由美子がおぼつかない足取りで砂浜を駆けていた。そのわずか後方には同じく幼馴染の篤志の姿も見えた。
拓也は背筋を伸ばして、腕組みをしながら由美子の到着を待った。由美子が息を弾ませて拓也のわきに立つと、拓也はあごをしゃくって、
「これを見ろや」
と、ござの上に座っている物体を横目でにらみつけた。
「あっ、この人」
由美子は口元に手をやり、すぐさま振り返った。
「篤ちゃん、来ちゃダメ。絶対に来ちゃダメ」
由美子は両手をバツの字に交差させて叫んだ。
しかし時すでに遅し。篤志は物体を目にするやいなや動きをピタリと止め、石の地蔵と化した。みるみるうちに能面顔に変わっていく篤志の様子を見て、由美子は拓也の腕をとって言った。
「拓ちゃん、行こ」
由美子は拓也の腕をぐいぐいと引っ張った。
「うるせえ! おれはこいつとカタをつける。篤志の仇をとる。おんな子供はスッコんでろい」
拓也は由美子の手を振り払うと、ござの上の物体を忌々しげに見下ろした。夏の日差しがじりじりと照りつけている。平日の海は、夏とはいえ人影はまばらだった。(注:湘南の海や人気スポットの海岸などと決して比較をしてはならない。なぜなら比べものにならないから!)
拓也は言った。
「やい、ジジイ、あの飴はどうした? まさか今日も売ってんじゃねえだろうな」
男は遠く目を細めながら、もそもそとあいかわらず金玉をいじっていた。
「おい、黙ってねえでなんか言ったらどうだ」
「あ、暑いずら」
男の額から濁った汗のしずくが流れ落ちた。
「こいつ、ふざけやがって」
どうしてやろうかと拓也が考えているうちに、知恵遅れの気がある拓也の弟の隆がようやく到着した。しかし隆はバカなので一言も声を発しなかった。
「なにを騒いでいるずろ」
「え?」
拓也と由美子は顔を上げ、同時に声をあげた。
見ると、ござの上の物体と瓜二つの物体がこちらに向かって近づきつつあった。
「なんだ? どうなってるんだ?」
「拓ちゃん、怖いよ」
「兄貴ずら」
ござの上の物体がしゃべった。
「おい、兄貴。おめえが飴を売ったずらか?」
「ねり飴のことか? あれはわしのお得意ずろ」
「そういうこった。餓鬼はむこうへ行くずら。わしではねいずら」
「て、てめえら双子か?」
「見てわからんずらか。これだから餓鬼とは話ができんずら」
拓也と由美子は顔を見合わせ、それから妖怪双子ジジイの顔を見比べた。
「まったく同じだ。見分けがつかねえ」
「拓ちゃん、気味悪いよ。ね、早く行こうよ。ね」
「そ、そういうわけにはいかねえ……。おれは、篤志の仇をとるって決めたから」
拓也は声に狼狽の色をにじませて言った。が、すぐに意を決したように
「てめえ、今日もあの飴売ってんのか」
「今はかき氷ずろ」
「か、かき氷か……」
「当たり前ずろ。海の家ずろ」
あまりに真っ当すぎる返答に拓也は二の句を継ぐことができなかった。そのまま拓也は沈黙した。由美子から少し離れたところでは篤志が砂の上に倒れていた。そしてその横でなぜか隆が穴を掘っていた。どうやら隆には犬の血が濃厚に流れているらしい。
「おい、ジジイ。あれを見ろ。てめえらのせいで篤志があんなんになっちまっただろ」
倒れている篤志を拓也は指さした。
「わけがわからんが、なにやら難癖をつけられているようずら」
と、双子の弟が兄を見上げながら言った。
「ずろ」
つづけて、妖怪の弟が拓也の顔を見て復唱した。
「ずら」
「ずらずろ、うるせえんだよ」
拓也は額に青筋を立ててわめいた。
「難癖でもなんでもねえ。てめえらが妙な飴を売ってたおかげで篤志がクソを喰っちまっただろ。それからおかしくなっちまって、最近ようやく正気に戻ったと思ったら、またてめえらの姿見てひっくり返っちまったんだろ。いったいどう責任をとってくれんだよ」
「ねり飴と間違えてクソを喰っちまったずろか?」
そう問い返すと、双子の兄は急にしおらしくなってうつむいた。それから手に持っていたプラスチック製のスコップを何度も砂に突き刺した。
「それは気の毒なことをしたずろ。あの餓鬼はおそらくクソの毒に当たったんずろ」
「クソの毒?」
「そう、クソの毒ずろ。わしはそのあたりのことには詳しいからまず間違いねいずろ」
「適当なこと言ってんじゃねえぞ」
「適当なことではねいずろ。しかし、どうしたものずろか。毒抜きの方法はいくつかあるが……」
手にしたスコップを見つめながらぽつりとつぶやいた。
「この方法でいくずろか」
双子の兄はスコップを隆に向かって放り投げると、するどく叫んだ。
「それで一気に穴を掘るずろ」
目の前に落ちたスコップを手にとると隆はガッツンガッツン猛烈な勢いで掘り始めた。篤志は白目をむいたまま依然として気を失っていた。
由美子は拓也の身体にぴたりと自分の身体を押しつけ、しっかりと拓也の手を握っていた。ござの上の物体は素知らぬ顔であいかわらず金玉を掻いていた。金玉はかなりでかそうだった。さるまたの脇から顔を出している金玉袋の妖気に当てられ、由美子も少しおかしくなっていた。由美子の目はいつしか潤み始めていた。
拓也は何かわめこうとしたが、結局なすすべもなく隆や双子のジジイを眺めやり、由美子の手をつよく握り返した。
穴が掘りあがると双子の兄が隆に向かって言った。
「首だけ出して埋めるずろ」
隆は篤志の身体を引きずって穴の中に落とし、首をつかんでわずかに引っ張り上げ、それから再びガッツンガッツン猛烈な勢いで砂をかけ始めた。篤志の身体は見る間に埋まっていった。
「土の中の子供ずろ」
砂から首だけを出して白目を剥いている篤志はまるで死者のように見えた。
「二時間ほどああしておくと、やがて驚異的な力を出して自力で起きあがるずろ」
「んなバカな」
「バカではねいずろ。再生の力を信じて待つずろ」
ジジイはそう言いながら、ござの上に腰をおろした。
「それまで……」
妖怪ジジイはござの上に転がっていた筒状のものを持ち上げると、
「これを使って楽しむずろ」
と拓也に突き出した。
「なんだよ、それは」
「夜鷹マットずろ。これを広げてその上でナニするずろ。けっこう気持ちがいいずろ。今日は特別に千円で貸してやるずろから持っていくずろ。使わなくてもいいずろが、使わないと後でデリケートな部分に血豆ができてヒーヒー言うことになるずろ。だから気をつけるずろ」
「なに言ってるかわけわかんねえけど、そんなことできっかよ」
「漢なら一度は挑戦してみるものずろ」
拓也は由美子の顔を見た。少しもじもじしているようだったが、由美子もまんざらでもなさそうだった。
「漢なら一度は挑戦してみるものずろ」
「ずら」
双子の弟が力強くうなずいた。
「由美子、どうする?」
由美子は下を向いて、つま先で砂をほじほじした。
「向こうの岩陰にいい場所があるずろ」
「あそこはいい場所ずら」
「二時間はゆっくりできるずろ」
「ずら」
「由美子、どうする? 行くか?」
由美子は下を向いたまま足で砂の上に字を書いた。
「おい、ジジイ。さっさとよこせ」
拓也は夜鷹マットをひったくると由美子の手を引いて岩陰めがけて走り出した。
双子の兄弟はその後ろ姿をやさしく見守った。
「さて、かき氷でも喰うずろか。おい、そこの餓鬼、おめえも喰うか?」
砂に埋まった篤志の横で隆はまた穴を掘り始めていた。が、『喰うか?』という言葉にすぐさま顔を上げた。
「んだ?」
「おめえ、かき氷喰うか?」
「んだ、んだ」
「なら、こっちに来ていっしょに喰うずら」
隆はよたよたと歩いて、丁寧にスコップを置くとござの上に座った。
双子の兄がかき氷を取りに行っている間、あたりにはさわやかな風が吹きわたった。篤志の髪の毛が静かに風にそよぎ、目を閉じた顔はまるで穏やかな眠りにでもついているかのようだった。
「特製のかき氷ずろ」
隆と金玉ジジイにかき氷を渡してから、お盆を片手に双子の兄は二人の背後に腰をおろした。かき氷はすでに溶け始めていた。しかし、そんなことにはお構いなしに赤いシロップのたっぷりかかったかき氷を三人は口いっぱいに頬張った。
潮風とさざ波が奏でる音楽が三人を包み込んだ。
そして、そのとき拓也と由美子は……。
……潮が満ちるまで、時間はまだたっぷりとあった。
(了)
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