再燃の拳

ピクルス寿司

第1話

「お会計950円になります」


 革のはがれた財布の小銭入れを開く。


 財布の中は100円玉が5枚と10円玉5枚と1円と5円が少ししかなかった。


 上着や後ろポケットを確認したが砂とクシャクシャのレシートの感触しかない


「………ビールキャンセルでお願いします」


 俺は割引シールの菓子パンと廃棄セールのパスタをレジ袋につめコンビニを後にした。


 アパートに到着し、テレビに電源をつけバラエティー番組を探しているとある番組が目に入ってしまう。


 それはプロ格闘家の生活を紹介する番組だった。


 リビングには勝ち取ったベルトが飾られており、駐車場にはドイツの高級外車が停まっていた。


 思わずテレビの電源を消した。


 高校の頃、小さいときからテレビで見て憧れて始めたMMA。

 最初は周りの強さで挫折しかけたが、根気よく続けていた。

 そして苦痛は楽しさへと変わり気づけば夢中になっていて、ジュニア大会で優勝した。


「努力すれば、ベルトを巻く日も夢じゃない」――本気でそう信じていた。


 けれど、プロの壁は想像以上に高かった。

 何度も挑んでは跳ね返され、気づけば心が折れていた。


(だめだ…忘れろ、もうあきらめたんだ)


 そう言い聞かせ深呼吸をして落ち着かせる。


 だがそれでも、あの日リングに立った時の全能感や勝った時の爽快感は人生で体験した中で最も興奮した瞬間だった。


 そんな過去を忘れるため


 パスタを一心不乱にすすっていると、スマホにメールが届く。


 確認してみるとそれは社長からのメールだ


『飲み行こうぜ!もちろん俺の奢りな!』


 ラッキーだ、飯代だけでなく、酒が飲めるなんて最高だ。


 田上社長は俺が働いている派遣会社の社長だ。従業員数は少ないが俺たちの面倒を見てくれるため人望が厚い。


 俺はパスタを急いで平らげすぐに支度を始めた。


 今の俺の胃はパスタくらいで腹が膨れるほど軟ではない。



 ◆  ◆  ◆


 待ち合わせ場所の噴水に足を運ぶと社長の姿が見えた。


「お待たせしました」


「おう悪いな!こんな夜に呼び出してよ」


 フェード坊主で肌が焼けており、いかにもって人だが人当たりは優しい。


 社長はいつもジャージに作業着だったが。今回は上下ともスーツで、革靴も高そうだ。


 高級フレンチにでも行くのかと思うくらいの正装だ。


「今日はやけに決まってますね」


「今日はってなんだよ、いつも決まってんだろ」


 そう言って笑う社長は、いつもよりどこか楽しそうだった。


「よしじゃあこいつに着替えてくれ」


 差し出されたのは、ブランド物らしいシャツと黒いズボン。

 手触りだけで高級なのがわかる。


 ふとタグを見ると高級アパレルメーカー「バラダ」だった。

 シャツ一枚で数十万と聞いて、思わず落としそうになった。


「しゃ、社長……これ高すぎません?」


 返そうとしたが社長は手を振って笑う。


「いいからいいから、とりあえず車で移動するぞ」


 そういわれながら黒いワンボックスカーに乗り込み着替えを始めた。


 着替え終わり、ふとスマホの待ち受けを眺める。


 そこに映るのは、ベルトを肩にかけ、額から血を流しながらも笑顔で映る男性と小さな少年だ。


 この少年は当時中学生の俺だ。


 隣にいるのは当時日本最大の格闘技団体『ZERO』のチャンピオン、神影かみかげレイジだ。


 おれはあの人に憧れて格闘技を始めたようなものだ。いつかあの人と出会って戦いたいそう思っていた。しかし、その願いはかなわなかった。


 彼は度重なる脳の損傷で引退することになった。


 ……あの夜、テレビで引退会見を見たときの感覚を、今でも覚えている。

 あれから、俺の中の何かも止まったままだ。


 今思えばあの日から、俺のMMAのモチベーションは下がっていたのだと思う。


 喧騒が織りなす、繁華街を抜けると、ある所へと着いた、それは街の外の住宅街から外れた廃工場の一角だった。


「ほらついたぞ」


 社長に続いて降りるとそこは住宅街から離れた廃工場。錆びた有刺鉄線が設けられた柵は所々破られ、周囲には不良がたむろしているのかタバコの吸い殻や空き缶が散乱している。


 立ち入り禁止の立て看板を跨ぎ俺たちは工場の敷地内に入る。


 一瞬だが、俺は埋められるのかと思ったが、それならわざわざこんな服を着せるメリットはないだろう。


 敷地は暗く、雑草も生い茂っている。


 こんなところに何があるのだろうか?と思っていると。


 社長が錆びた両扉の前に立ち止まる。


 すると社長は扉を数回叩くと、カードのようなものをかざすと、ドアが開錠される音が聞こえる。


「驚くなよ?一馬」


「はい?」


 社長が勢い良く扉を開いた先は圧巻の光景だ。


 先程の薄暗い場所とは打って変わり、


 鮮やかなスポットライトの下でドレスやスーツを身に纏った男女が和気藹々としている。


「ここは何ですか?」


 声を張り上げ社長に訊いてみる。


「裏カジノみたいなもんだ!!」


「法律的に大丈夫なんですか!?」


 裏って名前についてるんだから駄目だろうと思いながらもダメもとで聞いてみる。


「大丈夫だ!このカジノは政治家や警察の重役までも利用してるからそう簡単には見つからない!!」


「さて一馬。お前に見てもらいたいのがある!!」


 社長が指さす先には巨大な長方形のエリアが構えており、周囲にギャラリーが取り囲んでいる。


 社長は広場の中央を指さし、白い歯を見せる


「それは裏格闘技だ――」


 社長の声が重く響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る