第13話 誓いのモンブラン

 日曜日の朝。

 国営第七ダンジョン・十階層。

 空気は冷たく、静かすぎて息を飲むほどだった。


 扉の向こうからは、低いうなりが響いている。

 岩が軋むような音、そしてときおり、獣のような咆哮。


「……よし、用意はいいか?」

 誠司が刀の柄に軽く触れる。


 モコはその隣で小さく息を吐いた。

「モモ……(どきどきする……)」


「当然だ。ここまで来たのは大したもんだ。怖いなら、ちゃんと怖がれ。俺がいる」


「モモ!(うん!)」


 誠司が扉に手を当てる。

 魔力の紋が反応し、重厚な扉が低い音を立てて開いた。

 地鳴りのような振動が足元から伝わってくる。



 ボス部屋の中央には巨大な溶岩の湖があった。

 赤黒い光がゆらめき、空気そのものが灼熱に染まっている。

 そのマグマの中から、ゆっくりと何かが姿を現した。


 全身を赤い結晶で覆われた巨躯。

 両腕には焦げた鉄の鎧、頭部には溶け落ちた兜のような角。

 眼窩の奥で、灼熱の光がぼうっと燃える。


 《フレイムロード》。

 十階層の主にしてランダム出現ボス。

 Bクラス下位格とはいえ、C級冒険者では正面からの勝負は危険域。

 誠司にとっても“小当たり”の引きだった。


「グルォォオオオ……ッ!!」


 咆哮が空気を震わせる。

 天井の岩盤が砕け、マグマが爆ぜて飛び散った。


「モコ、下がって見ろ」


「モモ!(たたかう!)」


「お前にはまだ早……」


 言い終わる前にモコは飛び出していた。

 《大地アースガード》を展開し、足元の岩を強化。

 続けざまに地面を叩きつけると、《土氷結合アース・フロスト》の氷結が波紋のように広がる。

 マグマの一部が凍りつき、白い蒸気を上げながら通路を作った。


 その上を駆け抜け、モコは短い詠唱を呟く。

 「《ストーンランス》!」

 鋭い岩槍が弾けるように発射され、フレイムロードの胸をかすめた。


 だが、巨体はびくともしない。

 むしろ燃える体表が怒りに赤く膨れ上がり、周囲の温度がさらに上昇していく。

 フレイムロードの炎を纏った拳が地面を叩き、衝撃波が爆ぜる。

 モコの身体が弾かれ、壁に叩きつけられた。


「……やっぱり、早いか」

 誠司は息を吐き、腰の刀に手を添えた。

 

「モモッ!!(まだまだ!!)」


 誠司の表情がわずかに動く。

 モコはすぐ立ち上がった。毛が焦げ、前足が震えている。

 それでも逃げなかった。


「モモ……(まけない……)」


 再び突撃。

 《ストーンバレット》を連射し、土と氷の弾丸を放つ。

 火の雨の中、必死に飛び跳ねながら避ける。

 しかし、相手の体力は桁違い。

 モコの攻撃はほとんど通らず、炎の拳が直撃した。


 衝撃音。

 床に転がったモコの毛皮が焦げ、鈴が悲しく鳴る。


「……そこまでだ」


 誠司の声が氷のように冷たく響いた。

 刀が抜かれた瞬間、空気が止まった。



 フレイムロードが咆哮を上げ、誠司に拳を振り下ろす。

 しかし、その炎は途中で凍りついた。


「《氷流一閃》」


 銀色の斬光が走り、炎の巨体が二つに割れた。

 熱気が凍り、光の粒になって消える。


 さらに追撃。

 誠司が静かに刀を納める。


「《極冷斬・氷霞ひょうか》」


 瞬間、時間が止まった。

 フレイムロードの身体が白く染まり、氷像のように静止する。

 そして、微かな風が吹き抜けたと同時に粉雪のように崩れ落ちた。


 戦闘時間、わずか20秒。


「……終わりだ」


 誠司は振り返り、倒れているモコのもとへ駆け寄る。



「《霜華癒流フロスト・ヒール》」


 鈴がかすかに揺れ、モコがゆっくりと目を開けた。

「モ……モモ……(か、かてなかった……)」


「当然だ。あれはまだ……お前の相手じゃない」


 誠司は氷霞刀を軽く振り、刀身についた熱を払う。

 氷の残滓が細かな霧となって散り、赤い光を反射した。


「だが……いい勉強だったな」


「モモ?(べんきょう?)」


「思ったよりも動けたし、判断も速かった。

 ……お前がいなければ炎の勢いを削るのに、もう少し時間がかかったかもしれん」


「モモ!(ほんと!?)」


「ああ。予想以上によくやった」


 モコの耳がぴんと立ち、しっぽがわずかに揺れる。

 誠司はそんな様子に口元をわずかに緩め、刀を納めた。

 溶岩の赤が遠くで脈動する中、ふたりの間に小さな達成感の灯がともる。


 モコの顔がぱぁっと明るくなった。

 けれど、すぐに下を向く。


「モモ……(でも、たおせなかった……)」


「勝つだけがすべてじゃない。生きて戻る。それが第一だ」


「モモ……(生きて……)」


「そして次にもう少し強くなって挑めばいい」


 その言葉にモコの目が潤んだ。

 それが涙か汗かはわからない。

 ただ、誠司がそっと頭を撫でると再び小さな笑顔が戻った。



 戦いを終えると部屋の奥に光の陣が現れた。

 転送陣だ。

 誠司が素材を回収しながら言う。


「さて、帰るか。今日はもう十分だ」


「モモ!(うん!)」


 二人が光の中心に立つと空間が揺らいだ。

 視界が一瞬真っ白に染まり、次の瞬間、地上の転送広場に立っていた。


 そこには数組の冒険者パーティー。

 彼らは皆、転送陣の光に目を向け、現れた二人を見て言葉を失った。


「……ウォ、ウォンバット?」


「今の転送光の色……ボス部屋からじゃねえか?」


「え、待て、あのイケオジが!? ウォンバット連れてボス踏破!?」


「反則だろ! あのモフモフ可愛すぎて集中できねえ!」


 次々と声が上がる。

 誠司は無言で歩き出した。

 モコはきょとんとしながら、誠司の後をついていく。


「モモ!(せいじ、なんかいわれてる)」


「気にするな。放っておけ」


「モモ!(でも“イケオジ”っていってた!)」


「聞くな」


 そのやり取りを見ていた女性冒険者が、顔を赤らめてスマホを構えた。

 転送広場の話題は、その日のうちに《ウォンバットがボス踏破!》としてSNSに流れることになるが、それはまた別の話。



 夕方。

 家に戻ると、芳子が玄関で迎えてくれた。

 秋の夕陽に照らされた笑顔は、いつものように柔らかい。


「おかえり、二人とも。無事だったのね」


「問題ない。予定通り、十階層まで踏破した」


「まあ……やっぱりあなた、すごいわね。モコちゃんもがんばったの?」


「モモ!(がんばった!)」


 芳子が手を叩く。

「えらいわ~! でも焦げてるじゃない。お風呂、沸かしてあるからゆっくり入りなさい」


 モコは嬉しそうに跳ねた。

 だが、その耳の先が少し垂れているのを、芳子は見逃さなかった。

「どうしたの?」


「モモ……(かてなかった……)」


「あら……でも、命があれば次があるでしょ?」


「モモ……(つぎは、ぜったい……)」


 その瞳には静かな炎が宿っていた。

 誠司が横を通り過ぎながら、ぽつりと呟く。


「俺も次は本気で連携を試す。モコ、お前の成長速度、なかなか侮れないぞ」


「モモ!(ほんと!?)」


「ああ。誇っていい」


 モコの顔がぱっと明るくなった瞬間、芳子が声を上げた。


「そうだ、頑張ったご褒美があるの。食べる?」


「モモ!(なに!?)」


「熟成栗のモンブラン!」


 モコの目が丸くなる。

 その輝きは十階層の宝箱よりも強かった。


「モモモモモモモモ~~~~!!!!(たべるぅぅぅ!!)」


 尻尾をぶんぶん振りながら、ダイニングへ飛んでいく。

 誠司と芳子が顔を見合わせ、思わず笑った。


 テーブルの上には艶やかな栗色のモンブラン。

 フォークを持つモコの手(前足)がぷるぷる震えている。


「モモ! モモモモ!(つよくなる! でも、いまはたべる!)」


「順序が逆だな」


「モモ!(あしたからほんきだす!)」


 笑い声が秋の夕暮れに溶けていった。



 その夜。

 満腹で眠るモコの横で誠司は静かに刀の手入れをしていた。

 氷霞刀の刃に月の光が反射して青く光る。


「……強くなりたいか。いいことだ」


 彼の視線の先ではモコが寝言で「モモ……(モンブラン……)」と呟いていた。


 小さく笑い、誠司は呟く。

「甘いのも、悪くないか」


 秋の夜風がカーテンを揺らし、

 二人の静かな日常が、また一歩“絆”へと深まっていく。

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