第23話 地域野生魔物対策課からの依頼
木曜日、午後14時ちょうど。
市役所の内線が鳴った。
誠司は、淡々と進めていた書類整理の手を止めた。
電話の相手は秘書課長で「市長室まで来てくれ」とだけ告げて切れた。
(……市長室呼び出しか。ろくでもないな)
———
市長室に入ると三人がいた。
一人は市長。苦笑いでこちらを見る、あのいつもの顔。
一人は副市長。いつも目が泳いでいる。
そしてもう一人。知らないスーツ姿。
そのスーツ姿の男は、やけに姿勢だけきっちりしていたが、額にはしっとりと脂汗が浮かんでいる。
緊張で耳まで赤い。
「……初めましてっ、ええと、相沢主査ですね。私はダンジョン省・北関東ブロック地域野生魔物対策課、課長の……」
(名前は長い、肩書も長い)と誠司は思った。
名乗りは最後まで聞いたが、心の中では「新任の課長」でまとめた。
この男、たぶん転任されてきて日が浅い。
声も動きも固い。
それにこっちを見ている目が妙におそれている。
(……また腫れ物扱いか)
誠司はやや辟易した。
取って食いやしないのにな。
「要件をどうぞ」
椅子に座らず、壁際に立ったまま言う。
彼はそういう立ち位置をわざと取ることがある。距離をつくるためではない。“早く済ませる”という意思表示だ。
「は、はい。ええ、その、相沢主査に一点、ご協力の要請がございまして……!」
「国からの奉仕依頼だそうだ」と市長が口をはさむ。
「野良魔物の件だよ」
ああ、と誠司は心の中で納得した。
野良魔物。
もともとはダンジョンの魔物だが、スタンピートなどの暴走時に外へ溢れ、そのまま野生化してしまった個体群を指す。
もともとダンジョンの魔物は「ダンジョンという器」の縛りの中で生きているため、一定のパターンと限界がある。
だが野良魔物はその枠からはみ出す。
人里に降りて農地を荒らしたり、家畜を襲ったり、最悪は人間を狩り始めることもある。
だから、国は年に何度か“駆除要請”を出す。
名目は「依頼」。実態は「半強制的な割当」。
冒険者登録をしている者は、一定数これを受けざるを得ない。
報酬は……安い。かなり安い。
正直、無視したいギリギリのライン。
ただし、討伐済み魔物の素材は回収自由。
国も追加で買い上げるので、腕があれば稼げるといえば稼げる。
問題は、“腕がない連中にも順番で回る”ということだが。
誠司の視線が新任課長に戻る。
課長は資料ファイルを両手で抱えたまま、深く深呼吸した。
「……ええと、対象はこちらの市と隣町のあいだにある山間部にて確認されたゴブリン群生地です」
「ゴブリンか」
「ゴブリンだけでなく、武器を装備したゴブリン・ソルジャーおよびナイト級個体も混在。集落単位での定着が確認されています。推定個体数は……」
課長は紙を見た。
声が少し震えた。
たぶん、自分で読んでいても内容が重いのだろう。
「……200~300体」
市長が横でうなずく。
「通常なら、軍方面隊の小隊が投入されるレベルだ。あるいはB級冒険者パーティーを複数組んで一気に叩くかだ」
「それを、私に?」
「はいっ! その……ご存じの通り、野生化魔物は放置すると繁殖力が跳ね上がります。今回のゴブリン集落は、拡大の前兆を示しておりまして、早急な中核の排除が必要で……」
課長は言いながら、さらに汗をかいた。
まるで「断られたら終わる」とでもいう顔。
(大ごとにしてるがそこまでか?)
誠司は、正直そこまで深刻には受け取っていなかった。
数はざっと200から300。
それなりに散るだろうが、うまくやればまとめて凍らせるか、親玉だけ潰せば瓦解できる。
「わかりました。お受けいたします」
部屋の空気が一瞬止まった。
「えっ」
課長が素の声を漏らした。
「す、すぐご検討いただけてありがたいのですが、あのチーム編成の問題がありまして……どの冒険者グループと組まれますか? こちらで候補は……」
「一人で十分です」
「…………は?」
課長の目が完全に点になった。
市長の口元がぴくりと引きつる。
副市長は「また始まった」という顔をした。
「明日中には処理できるでしょう」
「えっ」
「明日一日、現地に入って片づけます」
「……えっ?」
「……言い換えましょうか?」とため息をつきながら誠司が静かに言う。
「明日中に殲滅する」
課長は完全にフリーズしたあと、慌ててメモを取ろうとして手元の紙を落とした。
「す、すみませんっ……! え、ええと、明日中に、殲滅……? 殲滅っておっしゃいました? その、明日で、ですか?」
困惑は当然だった。
課長自身も元冒険者らしい。肩書きの端に小さな徽章が見えたから、現場上がりなのは間違いない。
だからこそ、わかるのだろう。
「ゴブリン集落200から300体を単独で一日で処理する」というのが、常識的にあり得ないことを。
(通常、軍が小隊規模で包囲する案件だ。副業公務員ひとりに投げる話じゃない。俺が断ると思ってたんだろう)
誠司は特別な顔もせず、ただ短くうなずいた。
「明日の朝から動きます。報告は明日のうちに上げる必要はありますか?」
「ほ、報告書は週明けで構いませんのでっ……!」
「わかりました」
課長はまだ信じきれていないように、口をぱくぱくさせていた。
その横で市長が、こめかみを押さえつつ苦笑する。
「相沢くん。いや、相沢主査。本当にすまないね。無理はするな、とは言えない案件なんだが……よろしく頼む」
「仕事免除の手続きは?」
「明日付で公務免除届けを出す。奉仕要請中は庁務より優先されるから、うちは文句言えないことになってる。給与はそのままだ」
「了解しました」
それだけ言って、誠司は軽く頭を下げた。
課長は深々と頭を下げ、「あ、あの、何卒、よろしくお願いいたします……っ!」と何度も繰り返した。
(……そこまで畏まられると逆に落ち着かん)
部屋を出ながら、誠司は小さくため息をついた。
約10年前のことをふと思い出す。
まだ彼が今よりも少しだけ若く、まだ「自分はギリ普通」と思っていたころ。
あまりにこういう依頼が多すぎて、上からも横からも「頼む」の嵐になった。
そのとき彼は、担当者にこう言ったのだ。
「すみません。もう冒険者やめます」
次の日。
『ダンジョン省 大臣第一秘書官』が、菓子折りを持って自宅に来た。
平身低頭で謝罪し、「引き続き冒険者の継続をお願いできないだろうか」と頭を下げた。
その光景を見た芳子は、湯呑を出しながら「まぁまぁ、頭なんか下げないで」と言った。
一方の誠司本人は、(え、ここまで?)とあまりの展開に逆に混乱していた。
理由ははっきりしたことはない。
ただ、思い当たるとすれば……
彼は昔から軍や国家研究機関や大手冒険者ギルドのダンジョン調査や探索の“荷物持ち”として同行していた。
正式な立場ではない。あくまで“装備、素材、遺物の運搬と管理”として呼ばれた。
だがその現場にいた研究員や軍人は、今ではそれなりの地位についている者も多い。
(……みんな、出世したんだろうな)
彼は自分の人脈がどれほどとんでもなくなっているかを、いまだにきちんと自覚していない。
ただの“便利な収納係”のつもりが、各方面からすると「最優先で確保すべき戦力」扱いになっている、というだけの話だ。
……本人の感覚以外では。
⸻
定時。17:15。
今日も彼はいつも通りに帰る。
帰りにいつもどおり第七ダンジョンを軽く“散歩”してから家に帰った。
玄関を開けると即座に鈴の音と走る毛玉。
「モモモモモーー!!(おかえりー!!)」
「ただいま」
受け止める。いつものやりとりだ。
廊下の奥から、芳子の「おかえりなさい〜。手洗ってきなさいよ〜」の声。
靴を脱いで、手を拭きながら、誠司はいつもの調子で切り出した。
「明日、朝早くから野良魔物退治をしてくる。国からの依頼だ」
「あら、また?」
「隣町との境にある山にゴブリンの集落が出来たらしい。数は200から300匹」
「まぁ……それは大変ねぇ。うちにも国の課長さんがご挨拶にきてくれたわよ。汗だくで」
「ああ、来てたのか」
「言っておきなさいよ、次からはわざわざ来なくていいって。国の課長さんだって忙しいでしょ?」
「何度も言ってるがそれでも来るんだ」
「あなたがなんかしたんじゃないの?」
「辞めると言った以外、心当たりはない」
「それ、だいぶ心当たりよ」
芳子が肩をすくめて笑ったちょうどそのとき、モコが首をかしげた。
「モモ?(なに、はなし?)」
「明日、俺が山のゴブリンを片づけに行く」
「モモ!(ごぶりん?)」
「畑荒らす悪い子たちだ」
「モモ!モモモ!(わるい! やっつける!)」
即答である。
「モモモ!(モコも行く!)」
「いや、だめだ」
「モモ!?(えっ!?)」
誠司は即答で返した。
「明日は危険度が高い。群れの規模が大きい。お前に無理はさせない」
「モモモモ!(モコ、ちからになる!)」
「……それは知ってる」
ほんの一瞬、言葉に詰まった。
それを見逃さず、モコがじっと見上げる。
つぶらな目で、まっすぐに。
誠司は短い沈黙ののち、言葉を選んだ。
「だが、これは俺の義務だ。俺が請けた依頼だ。お前の義務じゃない」
「モモ……(でも……せいじ、ひとり……)」
「一人じゃないよ、モコ」
誠司はふわりとモコの頭を撫でた。
「明日は俺が“国の代表”として動く日だ。俺がコケたら、国の面目丸つぶれだからな。……ほら、そんな大事なヤツを、国が放っておくわけないだろ?」
軽く笑いながら言ったその言葉は、冗談めかしていた。けれど、その奥には少しだけ本音もあった。
芳子が、ふっとやわらかい微笑みになる。
「モコちゃん。明日は、ここで私を守ってくれる?」
「モモ!(まもる!)」
「それなら安心だわ。だって私、今日は腰がちょっと痛いのよ」
「モモ!(たいへん!)」
「そう、たいへんなのよ」
「モモ!(モコ、よしこまもる!)」
それを聞いて、誠司は息を小さく吐いた。
胸の奥の緊張が、少しほどける。
「じゃあ明日は母さんの護衛だな」
「モモ!(ごえい!)」
「頼んだ」
モコは胸を張り、えっへんとした顔になる。
やがて安心して、誠司の足にすりすりしてきた。
こういうところが愛しい。
ああそうだ、と誠司は思う。
こうやって、家に帰ると自分を待つものがある感覚。長いこと忘れていた。
「ちゃんと帰ってきなさいよ」
芳子が言う。
それは命令でも脅しでもなく、ただの母の言葉だった。
「ああ」
「夕飯、残しておくから」
「それは助かる」
「モモ!(おいももある!)」
「そうか」
「モモモモモ!(はやくかえってきて、一緒にたべる!)」
「わかった」
誠司は頷いた。
その表情は、昼間の市長室でのものとはまるで違う。
昼の彼は「市の戦力」であり、「国家が頼る駒」だった。
だが今の彼はただの家族だ。
明日、山に行き、ゴブリン200~300匹を片付け、報告を上げる。
それで終わりだ。それだけの話だ。
だけど、帰ってくれば、焼き芋がある。
それを一緒に食べたがっている“護衛”がいる。
そして、その様子を見て嬉しそうに笑う“神様”がいる。
(……帰らないという選択肢はもはやないな)
彼は内心でそう結論づけて、モコの頭をもう一度、ゆっくりと撫でた。
「明日中に終わらせる」
「モモ!(うん!)」
「だから待ってろ。大丈夫だから」
「モモ!(まってる! ちゃんとかえる!)」
「そうだ。ちゃんと帰る」
その会話に、芳子は「はいはい」と笑って、台所に戻っていった。
相沢家の夜は、今日もいつものようにあたたかかった。
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