第11話 ダンジョン踏破への挑戦 1

 金曜日の朝。

 秋晴れの光が、果樹園の木々に朝露をきらめかせていた。

 誠司はすでに朝食を終え、静かに装備を整えている。


「ほんとに有給を取って三日もダンジョンに行くの?」

 台所から母・芳子が顔を出した。エプロンの裾には朝採れの柿。


「土日を使えば、十階層まで行ける。モコの鍛錬にはちょうどいい」

「ふふ、あなたが“ちょうどいい”って言うと、だいたい大変なことになるのよね」


 芳子はため息をつきつつも笑った。

 その手には、包み紙に包まれた小さな紙袋。


「これ、持っていきなさい」

 中には、焼き芋と特製のスイートポテト。

 どちらもモコの大好物だ。


「栄養もあるし、疲れた時に食べなさい。モコちゃんにも分けてあげてね」


「助かる。……母さんの料理はどんなポーションより効く」


「おだてても無駄よ。無茶はしないでね」


「モモ!(やくそく!)」

 モコが誠司の足元でぴょんと跳ねる。

 芳子は笑いながらモコを抱き上げた。


「うちの畑の守り神さん、頼んだわよ」


「モモモ!(まかせて!)」


 やがて車のエンジンがかかる。

 SUVがゆっくりと果樹園を離れ、朝の街道を走り出した。



 第七ダンジョンのゲート前。

 職員が通行証を確認し、眉を上げる。


「相沢さん、今日も……って、今日は勤務日じゃ?」


「有給だ」


「……あぁ、なるほど。ごゆっくりどうぞ」


 すでにダンジョン職員内でも“有給を完全消化する男”として有名だ。


 ゲートをくぐり、魔力の膜を抜ける。

 足元の岩肌が鈍く光を反射し、空気が一気に冷たくなる。



 二時間後。

 五階層の通路を進む誠司とモコ。

 この階層までは、すでにモコの“庭”のようなものだった。

 オーク、ゴブリン、キラーホーク、どれも数撃のうちに沈む。


「モモ!(つぎ!)」

「焦るな。魔力の消費を計れ」


 誠司が冷静に指示する。

 その横でモコが突進していく。

 現れたのは牙を剥くゴブリンソルジャー。


 学生パーティーが近くで戦闘中だった。

 まだ若い三人組?探索科の学生だろう。


「まずい! ゴブリンが増えた!」

「壁が崩れた! 撤退しろ!」


 その瞬間、モコが地面を叩いた。

 《大地アースウォール》が一瞬で展開し、学生たちの前に防壁を作る。

 そしてそのまま、ゴブリンに突撃。


「モモモーーッ!(とつげきーーッ!)」


 大地が揺れた。

 モコの体当たりがゴブリンを吹き飛ばし、壁に叩きつける。

 さらに追撃の《ストーンランス》が走り、残りの魔物も一掃された。


 呆然とする学生たち。


「……い、今の見たか?」


「ウォンバット……が、一撃で……?」


「な、なんだあのモフモフ……」


 誠司が歩み寄る。

「怪我はないか?」


「あっ、はい! ありがとうございます!」


「感謝するなら、あのモフモフに」


「モモ!(えっへん!)」


 モコは胸を張り、鈴を鳴らした。

 学生たちはその可愛さに完全にノックアウト。

 感謝の言葉もそこそこに、スマホで写真を撮り始める。


「すごい……伝説のウォンバットって本当にいたんだ……!」


「(伝説……?)」

 誠司は小さく苦笑した。

 こうして噂が増えていくのはもう慣れっこだ。



 五階層を抜け、いよいよ初の六階層へ。

 空気が一変する。

 湿った冷気が熱気に変わり、硫黄の匂いが鼻を刺す。

 壁の岩盤は赤く染まり、地面の裂け目からマグマが光っていた。


「モモ……(あつい……)」

「魔力の流れを変えろ。体温調整を忘れるな」


 火山地帯。ここからが本番だ。

 現れたのは炎を纏うトカゲ《サラマンダー》。

 翼を広げる《火喰い鳥》。

 そして、マグマの魔力から生まれた火の精霊フレイム


 モコの土属性は相性が悪い。

 しかし彼女は、誠司の言葉を思い出していた。


(まけない……モモ!)


 《大地アースウォール》で火球を防ぎ、《土氷結合アース・フロスト》で凍結させる。

 マグマの熱を利用して冷却効果を最大限に発揮。

 フレイムの身体を包み込み、蒸気を上げて消し去った。


 だが、サラマンダーの尾が振り抜かれ、火花が走る。

 モコの毛が焦げた。


「モモッ!(あついぃっ!)」

 誠司が即座に駆け寄り、掌をかざす。

 冷気が溢れた。


「《霜華癒流フロスト・ヒール》」


 青白い光がモコを包み、焦げ跡がすぐに癒える。

 冷気と共に痛みが溶けていく。


「……これが俺たちの“共鳴”だ」

「モモ!(がんばる!)」


 再び立ち上がったモコは、《ストーンバレット》と《氷魔力》を組み合わせ、冷たい弾丸で火喰い鳥の翼を撃ち抜いた。


 戦闘は過酷だったが二人の連携は完璧だった。



 外で日が傾き始めたころ、誠司たちは六階層の安全地帯にたどり着いた。


 誠司は掌をかざし、空間を軽く叩く。

「《収格納ストレージフィールド》展開」


 空間がわずかに歪み、そこから銀灰色の箱型ユニットが静かに姿を現した。

 深層素材を用いた個人用シェルター。魔物の一斉攻撃にも耐える強度を持ち、内部温度まで自動調整される。

 値段を聞けば腰を抜かす者も多いだろう。


「モモモ……(すごい……これ、まるで家みたい……)」


「ん? ただの携帯型施設だ。どこにでもある」


 誠司はあくまで淡々と答え、内部の冷却モードを起動した。


 いや、どこにもない。

 少なくとも、庶民はもちろん、一般のA級冒険者ですらまず持っていない。

 ダンジョン五十階層以下の深層素材を惜しみなく使用して造られた特注の個人シェルターなど、彼の《収格納ストレージフィールド》にしか存在しない代物だ。


 モコはその入口のそばで、安心したように丸まり、ふかふかの毛を震わせる。

「今日はよく頑張ったな」

「モモモ……(つかれた……けど、たのしい)」


 誠司は再び《収格納ストレージフィールド》に手を伸ばし、包みをひとつ取り出す。

 火を起こすと、芳子が用意してくれた焼き芋が現れた。

 甘い香りがシェルターの中に広がり、氷の気配をやさしく包み込む。

「母さんの味だ。食べるか?」

「モモ!(たべる!)」


 モコが口いっぱいに芋を頬張り、頬を緩める。

 ハチミツをかけた瞬間、全身がとろけたように喜びに包まれた。


「モモモモ~~~!(しあわせ……)」


 誠司は焚き火を見つめながら、小さく笑う。


「このペースなら日曜にはボスまで行けるぞ」

「モモ……(ボス……こわい?)」

「俺がいる。心配するな」


 その言葉にモコの目が安心したように細まる。

 火の粉が静かに舞い上がり、二人の影を壁に映し出した。


 六階層の夜は驚くほど静かだった。

 シェルターの中は外の冷気を遮断し、ほんのりと温かい。

 モコは焼き芋とハチミツとスイートポテトで満たされ、安堵の吐息をもらしながら誠司のそばで眠りについた。

 小さく聞こえる鈴の音が、焚き火よりも深い安心をもたらしていた。



【土曜日、二日目】

 朝。

 六階層の熱気は七階層に入った瞬間に一転した。

 肌にまとわりつくのは、重く淀んだ静けさ。


 ここは岩石地帯。通路は狭く、鈍い鉱石の光が天井に浮かんでいる。

 足元には砕けた岩片が散らばり、足音を立てればすぐに敵に察知される。


「モモ……(ずっしりする……)」

「この階は“固い・重い・しつこい”が基本だ。力押しのやつらが多い。落ち着いて対処しろ」


 警戒しながら進むと、すぐに《ロックゴーレム》が姿を現した。

 全身が岩でできた人型。ゆっくりと歩いているように見えるが、その一撃は致命的だ。

 横には低い姿勢で転がるアルマジロ型魔物ロールアーマー

 さらに天井付近には、鋭い爪を光らせる《ロックバード》。


 そして道の奥で、膨らみながら脈動する影があった。


「……爆弾岩 《ボムロック》か」

「モモ!(なにあれ?)」

「近づくな。あれは殴ると自己爆発するタイプだ」


 七階層の嫌らしさはここにある。近距離も遠距離も油断ならない。

 ここから先は、C級冒険者でも“パーティー必須”とされる領域。単独で挑めば、まず死ぬ。


 つまり、モコにとっては本当の意味での“壁”だった。


「モコ。まずやってみろ。俺は後ろで見る」

「モモ!(やる!)」


 モコが前に出て、前足を地面に押しつける。

 土属性の魔力が走り、《地形変動アースシェイプ》が発動。


 しかし、ロックゴーレムはびくともしない。

 土を操る魔法は“土砂”や“土壌”に強い。だが、ここはほぼ岩と金属の層。

 相性は最悪。



「モモ……(きかない……)」

「モコ、次だ。《土氷結合アース・フロスト》を使え」


 モコはうなずいて、もう一度大地に魔力を流す。

 今度はそれに冷気が混じった。

 誠司と魂を通して覚えた連携性質。土魔法に氷の属性を纏わせる《土氷結合アース・フロスト》。


 ロックゴーレムの足元の地面がねじれ、せり上がった石杭が白く凍りながら突き出した。

 ズガァン、と鈍い音。

 凍りついた岩の脚が砕け、ゴーレムはバランスを崩して倒れ込む。


「モモ!(いけた!)」

「続けろ。頭部に狙いを集中しろ。核はそこだ」


 モコが《ストーンランス》を撃つ。

 石槍は本来、土の圧縮だが、今回は氷が混ざっている。

 鋭く冷たい槍がゴーレムの頭を刺し抜き、砕いた。

 岩の巨体が崩れ落ち、静かになる。


 次に飛びかかってきたロールアーマーは、丸まったまま回転突撃してくるタイプ。

 モコは《大地アースウォール》を目の前に展開し、真正面からぶつけた。

 ガンッという音とともに弾かれ、ひっくり返るロールアーマー。そこに《ストーンバレット》での追撃。

 ぱかん、と殻が割れる。


「モモ!(やった!)」

「よし、落ち着いてる」


 だが、上空。

 キィィィィ、という高い声。

 ロックバードが金属質の嘴を光らせて急降下し、同時に通路の奥の爆弾岩が膨らんだ。


「下がれ、モコ」

「モモ!?(え!?)」

「俺がやる」


 誠司は、刀を半歩も抜かない。

 ただ、手を前にかざした。

 空気が急激に冷える。


「《凍結圏アイスリング》」


 彼の周囲に展開した氷の輪が、音もなく地面を走り、敵に触れた瞬間、凍りつかせる。

 ロックバードは空中で固まり、石像のように床へ落ち、砕けた。

 膨らみ始めていた爆弾岩も、凍結で膨張を止められ、内圧が抜けきれず静かにひび割れて終わった。


 モコは固まっていた。

 ぽかん、と口を開けて、ただ見ていた。


「モコ?」

「モ、モモ……(いまの……すご……)」

「いまのは抑えめだ。魔力を節約しただけだ」

「モモ!(すご!)」


 誠司は淡々と素材を《収格納ストレージフィールド》に回収していく。

 彼にとっては、七階層もいつもの散歩道だ。

 だが、C級冒険者の基準からすれば、普通に“死の可能性がある階”である。


 ……モコにとってはそこが大事だった。

 ここにはもう遊びはない。

 でも、逃げるほどではない。

 “がんばれば行ける”場所。


 三日以内に十階層を踏破する計画はそこにある。

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