コオロギ

冬部 圭

コオロギ

 土曜日、父ちゃんにつれられてホームセンターに行ったらコオロギが売っていた。

「コオロギ売ってるよ」

 あんなの誰が買うんだろうって父ちゃんに聞いたら、

「トカゲとかのエサかもね」

 と兄ちゃんが教えてくれた。確かにホームセンターには大きなトカゲも売っている。「トカゲも何か食べないと生きていけないからなあ」

 父ちゃんがのんびりした感じで言う。

 たしかにオレたちもトカゲもなんか食べないと死んじゃう。だけどトカゲに食われるために生まれてきたコオロギってなんか悲しいかも。

「トカゲが生きるためかもしれないけど食われるために生まれてきたコオロギってつらくないかな」

 そんな話をすると父ちゃんは

「優しいな。でも、普段食べてる肉なんかは同じようなもんだぞ。人間が食べるためにせまい小屋の中で育てられて」

 と牛や豚の事情を教えてくれる。

「そっか。コオロギは牛やブタと同じか」

 オレも肉は好きだから牛やブタやコオロギに少し申し訳ない気持ちになる。

「まあ、どっちがつみ深いかは分からないな。自然の魚は人間から何ももらわないのに人間に食べられる。牛やブタは人間に食べられる運命だけどその日まではお世話してもらえる」

 父ちゃんはそんな風に続ける。

「そんな詩があったね」

 兄ちゃんが少し茶々を入れる。オレはその詩を知らないけど、どんなストーリーなんだろう。

「そう。受け売りだ」

 父ちゃんはそれがどうしたという風に開き直って笑ったあと、

「だけど、そんなことに気付くなんてことは大切なことかもな」

 と付け加える。よく意味は分からなかったけれどコオロギたちの事、トカゲの事を少し考えた。みんな幸せになるにはどうしたらいいんだろう。

 トカゲはどこがいいんだか分からない。あんまり家にいてほしくないかな。トカゲがいなければコオロギは食われることはないかも。でもそれじゃ育ててもらえない。いや、トカゲにバクバク食われるんじゃなければ野生でいいんじゃないか。あっ、野生でも鳥に食べられてるような気がする。人間に育てられてトカゲに食われるのと、野生で鳥に食われるのと何かちがいがあるだろうか。ダメだ、考えがまとまらない。

 じゃあ、牛とブタだったらどうだろう。オレの好きなハンバーグを食べるためには誰かが牛やブタを育てないといけない。牛やブタはころして肉にするために生まれ育てられる。牛やブタをころすのをやめたらオレはハンバークを食えなくなる。生きている牛やブタを前に「さあころして食え」って言われても困るけれど、二度とハンバーグを食えないのもイヤだ。牛やブタをころさずにハンバーグを食う方法はないだろうか。母ちゃんが時々作るとうふハンバーグだとかおからハンバーグにするか。あれ、あんまり好きじゃないんだよな。やっぱり牛とブタのハンバーグがいいよな。でもそうしたら牛とブタは生きていられない。牛とブタが肉になるのは仕方がないことなんだろうか。

「牛とかブタが食べられるために生きていることはなんだかかわいそうだけど、オレもハンバーグ食いたい。どうしたらいいのかオレにはむつかしいよ」

 正直に言うと、

「父ちゃんにもむつかしい話さ。偉いお坊さんとかのりっぱな人が一生かけて考え抜くような問題だよ。だけど、考えることはムダじゃない。命って何なのか。そこを飛んでる羽虫の命と我々の命の重さはどこがちがうのかなんてことなんかも」

 父ちゃんは更にむつかしいことを言う。どんどんわけが分からなくなって兄ちゃんの顔を見る。目が合うと兄ちゃんは

「答えは分からないよ。ただ、答えを考えること、何かを感じることに意味があるんじゃないかな」

 と教えてくれる。答えは分からなくてもいいってのは助かるけど、ずっと分からないのもイヤだ。父ちゃんはともかく兄ちゃんでも分からないんだったらオレに答えが分かるのだろうか。そうか兄ちゃんに教えてもらおう。そんなことを言ったら、

「多分無理だよ。答えにたどり着けるか分からないし、たどり着いた答えに共感できるか分からないだろ」

 優しい口調でちょっとダメ出しされる。そうか、ズルは良くないかもな。そんなことを考えた。

 それから何日してか、昼休み中庭のしばふを見てたらコオロギがいた。仲間と追っかけてつかまえようとしてちょっと待てよと思う。オレはコオロギをつかまえてどうするんだろう。オレは虫かごに入れて満足なんだろうか。閉じ込められたコオロギは幸せなんだろうか。そんなことを考えだしたらコオロギをつかまえちゃいけないような気がしてきた。カブトだってクワガタだって今まで見つけたら迷いなくつかまえようとしてたのに。何でこんなになやましいんだ。仲間がコオロギをつかまえて虫かごに入れるのを見ながら、オレは身動きが取れなくなった。

「なんだ、コオロギこわいのか」

 仲間のひとりに笑われて

「そんなことはない」

 と自分でもびっくりするくらい大きな声でセンゲンしたらかなしばりがとけたみたいでコオロギをつかまえることができた。だけど、虫かごには入れられなくてそっとまた中庭ににがした。

 家に帰って兄ちゃんにコオロギを虫かごに入れられなかったことを相談する。

「なやんじゃうと何もできなくなるね」

 兄ちゃんは優しい声で話を始めてくれる。

「ほんとに何か正しいことはあるのかもしれないけれど、大体のことってその人の中の正しさなんだよ。だから自分の正しさを見つけてそれにしたがっていれば。ただ、あまりに人と違う正しさを持つと味方がいなくなっちゃうかもしれないけど」

 声は優しいんだけど意味は全く分からない。

「昔々は肉を食べるのはあまり良くないことだったんだって。西洋文化が入ってきて肉にするための牛やブタなんかを育てることが始まって今では毎日のように肉を食べるようになったけど」

 昔の人ってヤバンだと思ってたけど、生き物をころして肉を食べるなんて今の方がもっとヤバい気がしてきた。

「正しいことってどんどん変わるから。百年後はまたみんな野菜だけ食べるようになってるかもね」

 百年後はどうなっているんだろう。

「でも、ハンバーグを食べられなくなるのはイヤだな」

 牛とブタにはわるいけれどハンバーグはやめられない。

「ハンバーグよりもっとおいしい料理が発明されるかもしれないよ」

 と兄ちゃんは笑った。

「とうふハンバーグとおからハンバーグはダメだ。あれはいまいち」

 と言ったら

「母さんに聞こえないようにね」

 兄ちゃんはいたずらっぽく笑った後、

「百年あったら、肉を使わなくてもハンバーグ以上においしい何かができるかもよ」

 と言った。ハンバーグ以上においしい何か。それはすばらしい。いやダマされてはいけない。ハンバーグは人類何千年だかの歴史でたどりついた最高の料理かもしれないんだから。歴史がちがう。

 兄ちゃんのあの顔はオレがそのことに気付いたのをさっしているにちがいない。

「肉を食べるのは動物ギャクタイって言う人がいるんだけど、動物園なんかも動物ギャクタイだって言う人がいる。動物園で動物とふれあうことは大切なことだっていう人もいる。動物園反対派と動物園さんせい派の人、どっちが正しいかは分からない。いろんな考え方、いろんな意見があるんだ。だから、コオロギつかまえるのはOKって考え方も、ダメって考え方もどっちもおかしくないよ」

 兄ちゃんの話は大きく変わる。

「オレにはむつかしいよ」

 文句をつけると、

「あんまりむつしく考えすぎない方がいいかもね。ハンバーグはおいしいから食べる、コオロギはかわいそうだからつかまえない。今はそんなシンプルな答えでいいかも」

 そんな答えが返ってくる。兄ちゃんにはもっと深い答えがあるかもしれない。

「あと、今日の答えを二度と変えちゃいけないってわけじゃないから気楽にね」

 さらに兄ちゃんはオレを助けてくれる。

 答えはシンプルに。その時々で答えを変えてもいい。これで安心してなやむことができる。

「テストもこんなだったらいいのに」

 ぼそっとつぶやいたら、

「それはいいね。でもそうじゃないからお気を付けください」

 と言って兄ちゃんは笑った。

 今のオレはコオロギをつかまえてもすぐにがす。晴れ晴れとした気分でそうしようと心に決めた。

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