第30話 推薦
六月の下旬から七月の上旬までの期間を智久はあっという間に駆け抜けた。
梅雨に被ったおかげ雨天中止が多くなった。
それに比例して登板間隔も長くなり、前半ほど無理はしていない。
結果は二勝二敗。
数字だけを見れば平凡だ。
だが、チーム事情まで含めて考えるなら十分すぎる成果。
今季のシーグルズは、開幕から主力の怪我人が続出した。
先発も中継ぎも足りず、ぶっちぎりの最下位だった。
ファンからの批判も多かった。
連敗が続いた日には、観客から心無い野次が飛んでくる。
それでも六月の下旬から状況は変わり始めた。
先発の柱が一人戻り、中継ぎにも好影響が出る。
貧打こそ改善されないが、若手が育った影響か打線のちぐはぐ感は少なくなった。
六月末には今季初の四連勝を経験し、七月の第一週には五位である北海道ハイヤーズを一ゲーム差に迫るまで調子を戻したのだった。
「少しずつ、だな……」
三連戦の最終戦を終えたあと、智久はベンチ裏の通路で汗を拭いながら思った。
スタンドにはまだ観客が残っており、勝利の余韻に拍手を送ってくれている。
智久に勝ちこそ付かなかったものの、ファンに気持ちよく帰ってもらえる、それだけで智久には十分だった。
夜風に吹かれながら寮へと戻ると、久し振りの自室は数日分の湿気を含んだ空気が漂う。荷物を置いてユニフォームを脱ぎシャワーを浴びようとしたとき、ポケットに入っていたスマホが振動した。
『帰寮しだい、直ちに球団本部に来るように』
「……何かミスしたっけ?」
胸が少しざわつく。
登板後のケア、練習メニュー、食事、睡眠。怪我をしてからはどれも人一倍気をつけていたことだ、生活面で問題はなかったはずだった。
それでも呼び出しと言われれば不安になるのがプロ二年目、若手の性だった。
智久は軽く息を整えて寮を出る。
夜の球場の廊下は静かで、足音がやけに響いた。
監督室の前に立ち、深呼吸を一つ。ノックすると中から声が返ってくる。
「坂井か、入れ」
監督がただ一人奥の座席に鎮座していた。
監督しかいないのが、逆に智久を緊張させる。
「まあ座ってくれ。そんなに固くならなくていい」
言われるままに椅子に座ると、監督が腕を組みながらゆっくりと口を開いた。
「坂井。お前に大事な話がある」
その声音は深刻そうで、智久の背筋が強張る。
「......オールスター、出るか?」
「……はい?」
ほんの一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
脳がオールスターという単語を認識するまで、数秒かかった。
オールスター、その年の活躍した選手や圧倒的な人気を誇る選手がファンを楽しませるために開催される祝宴。後半のシーズンに入る前の休みでもあり、また一大イベントでもある。
「ちょ、ちょっと待ってください。俺、まだ二年目ですし……そこそこの成績しか......」
監督は軽く笑う。
「まあ、そう言うな。シーズン前半で貯金三つは十分だ。それにファン投票じゃなくて今回は監督からの推薦だ。北海道ハイヤーズの大里監督から」
「大里監督が……?」
北海道の監督といえば、頭が切れ、若手育成の名手として知られている。
スキンヘッドでいかつい風貌をしているが意外に優しいということも。
監督が説明を続けた。
「大里監督が言うにはな、お前の完成度の高さに惚れたらしい。球宴でいろんな選手から吸収して成長してください、だってさ」
「……評価、してくれてるんですか」
「当たり前だ。じゃなければ推薦なんてしない」
監督は机に肘を置き、智久を真っ直ぐに見た。
「出たいなら出ていい。だが無理をする必要は無い。疲れてるなら休んでもいい。オールスターは義務じゃない、しかし経験になるのは間違いないさ」
智久は迷った。
確かに疲れてはいる。
身体の芯が重い日も多かった。
だが中浜の存在が智久の脳裏をかすめた。
前半で智久と同じく6勝、さらに打者としてもア・リーグのホームラン王争いにも乗り込んでいる。
智久は休みたかったがそれ以上に現状を変えたい、そんな思いのほうが強かった。
智久がプロに入って一年半。
ずっと、こんな場所を夢に見ていた。
「……出させてください。出たいです」
口から自然と出た言葉だった。
監督は満足そうにうなずく。
「よし。じゃあ決まりだ。手続きはこっちで進める。お前はしっかり体のケアをしておけ」
椅子から立ち上がり、頭を下げて部屋を出る。
廊下に出た瞬間、胸の奥からじわじわと熱が込み上げてきた。
二年目でオールスター。
ファンから選ばれては居ない。
でも、誰かが自分の価値を認めてくれて、推薦してくれたという事実がたまらなく嬉しかった。
「……やってやる」
智久は小さく拳を握る。
このチャンスを無駄にはしない。
もっと強くなれる。
智久は夕立に向かい、そう誓ったのだった。
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