琥珀の瞳が問う、愛の構造

Tom Eny

琥珀の瞳が問う、愛の構造

琥珀の瞳が問う、愛の構造


I. 森の匂いと飴玉の誘惑:無垢な哲学者の探求


小熊のコアは、世界で最も無垢な哲学者だった。


母熊の「外は危険だ」という低い警告は、彼にとっては解析済みの単調な世界だった。彼が追い求めたのは、自分と異なる世界の「真実の構造」を知りたいという根源的な探求心。森の匂いは、湿った腐葉土の冷たさと苔の渋みだったが、人里の境界線で、それは焼けたアスファルトの熱と、プラスチックの焼けるような化学的な砂糖の甘さに切り替わった。人里の光景は、すべてが「未知の遊び」に見えた。


初めての人間との触れ合いは失敗に終わった。愛嬌を込めてそっと顔を近づけた純粋な「遊ぼう」という意図は、相手の悲鳴と転倒という形で拒絶された。


相手は**「キーッ!」という、ガラスを引っ掻くような甲高い音を上げ、アスファルトに石のように硬い音**を立てて倒れた。


「遊びは、こんなに甲高く、心臓を叩きつけるような音を出すものなのか?」


コアの純粋な意図は、人間の無知な恐怖という、彼にとって最も理解不能な**「不協和音」**と衝突した。孤独が彼の体を蝕んでいった。


II. 不器用なユーモアと魂の共鳴


絶望の中で、コアは廃校のグラウンドで少年リュウと出会う。リュウは、周囲の期待に応えられない孤独を抱えていた。彼はコアの琥珀色の瞳に、言葉の壁を超えた**「魂の共鳴」**を感じ取り、逃げなかった。


二人の秘密の遊びは、愛らしいユーモアに満ちていた。


リュウが小さなボールを投げると、コアはそれを**「優しさを証明しようと」大きな肉球でそっとタッチするが、毎回「ベチャッ」という音を立ててぺしゃんこにしてしまう。コアの肉球は、空洞になったボールの抵抗を感じる間もなく、冷たい地面に貼り付くような音を立てた。リュウの笑い声は、腹の底で響く温かい太鼓のような音に変わり、コアの耳の中に心地よい微振動**として残った。


コアはその無言の笑いの中に、自分を「対等な魂」として扱う人間からの純粋な受け入れという光を見た。


それは、彼が生まれて初めて知った、愛の確かな手触りだった。


リュウはコアに、片目の取れた古いクマのぬいぐるみを贈った。それは、不完全だが純粋な、言葉のない友情の証だった。


III. 恐怖の衝突と愛情の皮肉


しかし、その奇跡は脆かった。リュウの母親がコアを見つけ、あげた悲鳴は、これまでのどの音よりも強く、耳の奥で金属が軋むような「裏切りの音」としてコアの鼓膜を震わせた。彼女の顔は血の気が引いて蝋のように白くなり、その**「わが子を守らねば」という本能的な愛は、瞬時に警察と猟友会という「人間側の社会的正義」**へと変換された。


しかし、コアがその音の意味を理解する間はなかった。


サイレンの音は、不規則に高低を繰り返す、刺すような金属の叫びだった。母熊は、その音を切り裂くように、湿った土と松葉を蹴散らす重い唸りと共に森の奥から突進してきた。母熊の目にも、リュウの母親と同質の強烈な「わが子を守る」という本能的な愛が宿っていた。


母熊は小熊を守るため、リュウの前に一瞬立ち塞がった。彼女の「静止」は、一秒にも満たない、しかし永遠にも感じる瞬間だった。武装した人間たちは、その静止を**「襲撃前の威嚇」**と解釈した。二人の母親の、同質の「純粋な愛」が、人間の無知と恐怖によって憎しみへと歪められた。


IV. 静寂に沈む悲劇:純粋さの死


猟友会の男は、「住民の安全を守る」という冷たい社会的正義を遂行した。リュウの悲鳴が、サイレンと母熊の咆哮をかき消そうとする中、**「パンッ」**という、空気を一瞬で引き裂くような乾いた、無機質な金属音が響いた瞬間、世界は沈黙した。


リュウの耳には、水槽の中で聞くような高い「キーン」という耳鳴りだけが残った。


コアは、倒れた母熊の隣に座り込み、温かい、毛皮の柔らかな感触を頬に感じた。鼻孔に満ちたのは、鉄の錆びたような、濃密で生暖かい血の匂いと、母の慣れ親しんだ匂いの混ざった、「裏切りの匂い」だった。彼は、あの片目のぬいぐるみを、血に濡れた肉球の横に一瞬見つめた。それは「永遠に遊べなかった日」の痛ましい象徴だった。


彼の琥珀色の目に映ったのは、もはや遊びの光ではない。彼は、この光景を、拭いようのない闇として認識した。彼が**「裏切りの匂い」**と名付けたのは、世界への絶望と理解されなかった憤りの匂いだった。


V. 永遠に守り通す決意:悲しみを乗り越えて


コアは保護されたという名目で、リュウは家族に引き離された。リュウは知っていた。大人の「正義」が、奇跡のような純粋な愛と友情をいかに容易く切り捨てるかを目の当たりにし、世界への深い不信感を抱いた。


数年後、リュウは廃校の裏、人工の光が一切届かない森の暗がりで、あの片目の取れた古いぬいぐるみと、コアが最後に置いたと思われる小さな、いびつな木彫りのクマを見つけた。それは、彼の不器用な肉球が、唯一傷つけずに形にした、言葉のない愛の返礼だった。


リュウは、片目のぬいぐるみと木彫りのクマを胸に押しつけた。彼は、コアの体温、母熊の温かい毛皮、そしてあの日の芝生の匂いを、すべてその小さな塊の中に感じようとした。


それは、悲しい記憶の埋葬ではない。


土は冷たかった。彼は、悲劇の瞬間、世界が沈黙したあとに残された、あの乾いた銃声の音を打ち消すように、静かに、しかし祈るように土をかけた。


そして、その愛の証を、誰にも見つからないよう、深く深く土に埋めた。それは、大人の「正義」や「恐怖」の手が届かない、自分だけの「純粋な真実の墓」を作ること。純粋な愛を、永遠に守り通すという、リュウがトラウマを乗り越えて得た、静かで力強い守護の決意の儀式だった。


リュウは知っていた。最も愛おしい、言葉のないファンタジーは、人間の恐怖に満ちた喧騒の中ではなく、悲しみを乗り越えた沈黙の影、永遠の静寂にこそ宿るのだと。


**数十年後、**リュウは大人になった今も、自問することを止めなかった。


「あの琥珀色の瞳の奥に、本当に、世界の真実を知ろうとする、無垢な哲学以外の何ものか**(=悪意)**が宿っていたのだろうか?」

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