プリカーサー

アスパラガッソ

第一話 【翼折の女神】

 昼は月が昇り、夜には太陽が昇る日常とは相反する街【ムーンアンドサン】――広大な砂漠の中心に位置するそこでは、毎秒数千万単位で金が動く。

 帝国では違法とされる命や地位を用いる何でもアリな賭け事が発展している分、リターンも大きく、ハイリスクハイリターンなギャンブルが常なため、強欲な悪魔の名前から別名【マモンの巣穴】と呼ばれる程であった。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 煌々と輝く街路を肩で風を切って歩く男、その恰好は豪華だったが、着ているというより着られているというのが正しく、生地は馴染んでおらず動きは硬かった。

 というのもこの男、街に来たのが丁度一週間前、ここ数日間で大勝を繰り返している所謂ビギナーズラックを地で行く男だった。


 異常なまでの大勝――故に男は有頂天となり、ここに来る前であれば絶対に手を出して来なかった生死を分けるギャンブルもこなして来ていた。


「俺ァ完璧に幸運の女神に愛されてるっ…! 今日も感じるぜ、女神様が俺の両肩に手ェ置いて優しく微笑み掛け、俺を守護まもってくれているってェ感覚がよォ」


 今夜も自分はツキにツキまくっていると過信し、彼は街の最深部に足を運んだ。

 優雅な音楽の下で怒号や負けが込み焦燥した弱弱しい喘ぎ声が響く、この世の勝負全てが揃っている場所とも揶揄されるこの施設の天井には、人の体内時計を狂わせる程に燦然とした輝きを放つ巨大なシャンデリアがぶら下がり、その下では多種多様なギャンブルを体験できる機械たちが負けじと光を放っていた。


 そんな中で彼は冷静になり、適当な対戦相手カモを見繕い勝負を仕掛ける。

 種目はポーカーのヘッズアップ、一対一故勝率は50%、すぐ終わりすぐ稼げる、男が(調子に乗って)自分に課したモットーとも合致していた為迷わず席に着いた。

 席には既に長髪ピンクという派手髪が似合う女性が座っていた。


「オールイン」


 そして男が着席した瞬間に一言呟き、眼下のポーカーチップを両手で男側に押した。

 高揚感・射幸心が促される音の荒波の中であっても、彼女の淡泊な呟きは他の音を押し退けてハッキリと伝わった。


「は?」


 目の前の女の呟きに対して男は困惑する。

 そして心の底で『俺をナメるなよ』と憤り絶対にこの女を負かせてやると意気込む。


「オールイン」


 そんな考えを巡らせていると女がもう一度あの言葉を発した。

 彼と彼女が付く卓のすぐそばにはディーラーもおり、そんな彼女すら男の方を向いていたので、男は少し疎外感を感じながら戸惑う。


「あ、いや…聞こえてなかったわけじゃない。もう少しポーカー自体を楽しんでも良いんじゃないかって思ってさ…。言っとくが俺…最高にツイてるぜ」


 だが、直近の豪運を過信してやまない彼は以前変わらず余裕綽綽の笑みを浮かべて、寧ろ女を自暴自棄なカモと断定しニヤケ面で挑発。


「俺もオールインだ」


 この余裕が既に手札が配られているという違和感に気付けなかったのか、それともこの男がルールをあまり熟知していなかったのか、それを確認する必要はもう無い。

 なぜなら――。


「はい、私の勝ち」


「…あ、あぁ……ロ、ロイヤル……嘘…だろ」


 女がめくりあげたカード、それはポーカーで一番強い役であるRSFロイヤルストレートフラッシュ


「じゃ、カード渡して」


 そして女は男に手を差し出し、カードを要求。

 この場でのカードとは、全財産が入った一部では命よりも大切と呼ばれる一枚のことである。


「あっ…カ、カード…。な、なぁ…もう一回……頼むっ! もう一回チャンスを!」


 彼の口内に苦く酸っぱいものが広がり、脳内では様々な考えが巡るがそれらを飲み込み必死に言葉を紡ぎ命を紡ぐ。


「警備員さーん、この人私が勝ったのにカード渡してくれないんだけど」


 この街に縋る様に卓に手を突く男に対し、彼女は壁際に立ってた警備員を呼び出し、淡々と言葉を積み上げていく。


「ち、ちげーよ! つーかイカサマだろ! 絶対にイカサマだ!」


 男は形振り構わず立ち上がり、女を指差し周りの視線を集める様に騒ぎ立てる。

 だが、彼に集まる視線は半ば同情の様なもの。

 そう、彼らは彼女の恐ろしさを知っていた。


「言葉に裏付けが無ければただの奇怪な音よ?」


 カードには全財産、当然男は渋る。

 この街の滞在料金は1カーネル、最低単位で滞在が可能だが支払えなくなった瞬間、砂漠の真ん中に放り出されてしまう。

 彼はもう一度チャンスを貰おうと縋る、だが無情にも警備員は女に味方し、そして詰められ後が無くなった男はカードを差し出すことを余儀なくされ、全財産を失い滞在費を払えなくなり、即刻この街から追放されることとなったのだった。


「お疲れ様、だけど運が無かったわね」


 彼女は崩れ落ちた男の肩に手を置き、男にしか聞こえない程の声量でこう続けた。


「貴方は弄ばれたの、誰にでも微笑み掛ける幸運の女神ビッチにね」


 そう言って男の視線の先へと振り返る彼女、そして振り向いた身体を軸に沿い螺旋状に流れた髪の隙間から覗く、頬まで口端が吊り上がった笑顔は、彼にとって――そしてその場の全員にとっては悪魔の微笑みと変わらない恐怖を孕んでいたのだった。



 $



「はぁ…はぁ…まだ、街は見えてこないわ…アイツら騙したわね……この先に街何て無い、ここから先もずぅっと…砂漠なんだわ…」


 白のノースリーブシャツに藍色のパンツという軽装をし、遠い目をしながらひたすら真っ直ぐ砂漠を歩く女が居た。

 砂漠の砂が風によって舞い上がり、彼女の汗を接着剤に白く細い手足を砂色に染る。

 顔は更に酷く、化粧と汗・砂が手によって混ぜられて半ば黒く煤けている様な風貌。


「全く…私史上最もツイてないのはきっと今日…今日だけなのよ。今日さえ生き残れば…何だって」


 数時間前――自らを『最高にツイている』と評した初運ビギナーズ・ラックの男を打ち負かした後、彼女は拠点へと帰宅していた。


「二人共お疲れ様。おかげでまた楽に大金稼げたわ」


 白のデスクチェアに座った彼女はそう言い、男のカードを使って引き出した札束を二分割し、警備員の服を着た男とディーラーの服を着た女にお金を手渡した。


「それにしても、今時現金って珍しいわね。何か理由があるわけ?」


 彼女は二人を見ずに疑問を呈しながら、青白く光る画面に映ったゼロを目で数える。

 声には出さないものの、顔は満面の笑みを貫いていた。


「いえ、特に何も。ね、ケン」


 それを横目に現金をバッグに入れるディーラーの女は、口数も少しに隣の男に疑問をパスする。


「あぁ、ミカも俺も特にキャッスレスにする理由も無いしな。エリスこそ現ナマで持ってた方がいろいろと楽だぞ? 金を使う実感があればその散財癖も治るだろうに」


 エリスはケンの話を半分にパソコンの前でマウスを動かし、気になった商品を片っ端から買い物かごに入れていたところだった。


「やーね、私は必要なものを買っているの。」


 二人の方も見ずにエリスはケンの呟きに言葉を返す。


「お腹が空いたらご飯を買う、それと何が違うの? 心が空いたらそれを満たすものを買うべきだと思うわ。脳を身体から体へ移植するのが容易になった現代で、心より身体を優先するのは非効率的。それこそ心を害してしまったら身体の放棄に繋がるもの」


「今、講釈垂れている間に何千万使ったんですか?」


 ミカはエリスの座る椅子の背もたれに組んだ両手を乗せ、そのまま身を乗り出す形でエリスの頭上からパソコンの画面を覗き見る。


「ん? 一千万くらいかしら。というか、貴方たちちゃんとお金使ってる? 経済回さなきゃさぁ」


 二人の方に椅子ごと振り返ったエリスはそう言いながら、肘掛けに左肘を、天井に向けた左人差し指の先をクルクルと動かすと共に、顔には疑問の表情を浮かべていた。


「えぇ、家賃に電気代に光熱費…」


「水道代に食費に…」


「ちょっと待って、そういう話じゃなくて趣味とかにとかさぁ」


「「趣味?」」

「ですか?」


 そう問われた二人はほとんど同時に同じ言葉を発し、そしてその語尾に疑問符を付けずには居られなかった。


「じゃ、じゃあアンタたち…何の為に大金を稼いで、何に対して消費しているの?」


「「生活費」」

「ですかね?」


「世知辛い…わね」


 二人の『これが普通ではないのか』という顔を見て、彼女は次の報酬は上乗せしてあげようと思い直し、彼らを帰した。


「さて、と。私はもうひと稼ぎしなきゃね」


 椅子から勢い良く立ち上がった彼女は、デスク上のスマホを取り玄関に向かうと、白のジャケットを羽織り扉を開けた。

 キリキリと回る椅子の先、ディスプレイには街の回線専用のギャンブルサイトが開かれていた。


 時は戻り彼女が彷徨う砂漠へ――。


「ったく、アイツ…証拠は無いけど絶対イカサマしてたわ…。風貌は三流の成金の癖に…次会ったら絶対に…」


 街を出てからは口の渇きも気にせずに、ここまで独り言を喋り続けて来た彼女の唇は自身の血によって濡れていた。

 この変わらない景色の向こうに確かに街や村があると信じ、脈略の無い希望を持った彼女の視野は、水分不足による脱水症に熱中症の併発も手伝い極端に狭かった。

 それは【立ち入り禁止】の旨が書かれた大きな立て看板を見逃す程だった。

 そんな彼女が疲れのせいで項垂れ、天を仰ぎ見た瞬間。

 彼女の頭上を過ぎ去った航空機が一機。


「なに…あれ…」


 その軌道上に現れた青空に残る黒点は次第に段々と大きくなり、風を切る音が微かに彼女の耳に届いた。

 次の瞬間には既に地表に――ザッと音を立てて突き刺さった。


「まっ――」


 時は無慈悲に発火を進め、彼女がそれを危険物だと判断したのも置き去りにし、それは膨大な砂と少しの肉を吹き飛ばした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る