鳳凰よ、暁天を舞え

蒼空花

第1話『暁羽見鳳影』

 春の陽光は、まだ柔らかく、桜の花びらをほんのり照らしていた。

 彼女の名は──鳳凛ほうりん

 鳳凛は、その淡い光の中で、一本の桜の木の上にそっと腰を下ろす。肩につく黒髪は自然な癖を帯び、狼のような輪郭が頬をかすめるたび、紫紺の瞳がわずかに揺れた。

 その瞳には、何世紀もの孤独を思わせる深い憂いが宿っている。

 そんな中、小さな雀たちが枝を渡り、彼女の肩や膝に飛び乗る。羽ばたきのたび、枝は軽やかに揺れ、舞い散る花びらが春の香りを運んだ。

 鳳凛は少し微笑みながら、指先で羽根をそっと撫でる。雀たちはその温もりに応えるかのように、囀りを重ねて飛び回った。


「お前たちも、今年はよく咲いたな」



 低く静かな声が木漏れ日の中に溶ける。

 すると、鶯が一羽、そっと手のひらに止まった。羽の柔らかさに触れると、長く不死である彼女の心も、ほんの少しだけ安らぎを覚えた気がする。

 枝の向こうから、風が吹き抜ける。花びらは雪のように舞い、木の葉をくすぐる。鳳凛は目を閉じ、耳を澄ませた。


 鳥たちの囀り、風のささやき、枝が軋む音。

 すべてが混ざり合い、世界の静謐がここにあることを知らせてくれた。


「今日は、どんな日になるだろうな……」



 ひとりごとのように呟く声に、木々は応えず、ただ鳥たちが彼女の周囲で羽ばたいた。

 そんな中、一羽の白い鶴が遠くの空からゆっくりと降りてきて、鳳凛の視線を捉える。その優雅な舞いに、彼女は思わず感嘆の息を吐いた。長い孤独の中で、こうした瞬間だけが、心に光を灯してくれるのだ。


 ふと、鳳凛は小さな笑みを浮かべる。鳥たちはその微かな表情を察したかのように、嬉しそうに羽を震わせ、枝の間で踊るように飛び回った。
 春の光は彼女の黒髪に淡く反射し、紫紺の瞳を輝かせる。儚くも美しいその姿は、まるで桜の花そのものが人の形を取ったかのようだった。

 時間はゆっくりと、しかし確かに流れる。鳳凛はその木の上で、長命であるがゆえの孤独を感じながらも、鳥たちとのひとときにだけ、心を解き放つ。



 この小さな世界が、彼女にとって唯一、安らぎの場所だった。


♢♢♢


 桜の花びらが舞う中、鳳凛が肩の雀たちと戯れているその木の下に、静かな足音が近づく。


「……あれは…」


 その声は、風のように柔らかく、しかし確かに心を震わせる響きを持っていた。

 その男の視線の先には黒髪の女性──そう、鳳凛。肩までの髪に桜の光が淡く反射し、枝の間で舞う鳥たちとともに、まるで一幅の絵画のように立っていた。


「…美麗なものよ」


 言葉にするにはあまりにも静謐で、そして儚い姿。その男性は、思わず立ち止まり、息を殺した。紫紺の視線を鳥たちに注いでいる鳳凛は、まだ彼に気づいていない。

 木漏れ日と花びらの中で彼女は小さな鶯に話しかけ、少しの微笑みと共に鳥たちと心を通わせている。


「……まるで、時が止まっているようだな」


 男性は静かに歩みを進めた。すると、彼の姿に気づいた数羽の雀たちが羽ばたき、微かなざわめきを起こす。それでも鳳凛は枝から身を起こすことなく、指先で羽根を撫で続ける。その動作ひとつひとつに、長い孤独と深い思慮が滲んでいた。


「…はは、成程」


 彼の言葉は、春風に消えるほど小さく、しかし確かに鳳凛の存在の重みを伝える。

 桜の木の上で、鳥たちと戯れる儚い人。その孤高さ、静謐さ、そして底知れぬ強さ──すべてが、彼の胸を不意に打った。

 その瞬間、鳳凛の紫紺の瞳が、彼を映す。



「…誰……?」



 柔らかく、儚げに漏れる声。

 男性は心を決め、遠くから一歩踏み出した。


「私の名は暁羽ぎょうう──貴女の名を、聞いても良いだろうか?」


 その言葉に、鳳凛の表情が少しだけ驚きに染まる。

 そして、紫紺の瞳がわずかに細められ、風が柔らかに髪を揺らした。

 そうして彼女は形の良い唇を開いて、こう言ったのだった。














「……不届者に名乗る名など無い。去るがいい、小童」

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