35 やってしまった。


エリック視点


「私、クルミさんのことが苦手です」


 一瞬何を言われたのかわからなかった。

 マリーが、クルミを? 何度か会って、二人ともにこにこと話していたはずなのに? 会った回数こそ少ないものの、険悪な雰囲気ではなかったはずだ。それにマリー自身もクルミについて聞いてくれたこともあった。だからこそ、二人なら仲良くなれると思ったのだが。

 いったいマリーに何があったと言うんだ。何か、私の知らない間に気に障ることでもあったのだろうか。


「クルミは悪い人ではないよ。旅の道中もよく支えてくれたんだ。確かに、二人は正反対のタイプだから気後れしてしまったのかもしれないね」


 ぐっと何かをこらえるようにこちらを見るマリーの気持ちを、何とか解きほぐそうと声をかける。

 クルミはどんどん挑戦してみるというアプローチをするタイプだ。何事もしっかりかみ砕いて知ろうとするマリーとは方向性の違うタイプだろう。マリーは奥手だし、ぐいぐい話題を引っ張っていくクルミのスピードに合わなかったのかもしれない。

 とはいえ、クルミ自身は私にとっても信頼できる友人で、トレーニングの師匠ともいえる。何よりも守りたい婚約者と、自分にとって信頼に値する友人が仲良くなってくれたらと思っていたが、少し急いてしまったのかもしれない。

 まだ数回しか会っていないし、時間をかけてクルミの人となりを理解してもらえば誤解も解けるのだろうか。


「クルミさんが悪い人ではないのも立派な人なのもわかっています。それでも、できれば会いたくない、です」


 絞り出すような、苦しそうな声だった。はらりと落ちた金糸の髪が、俯いたマリーの表情を隠してしまう。

 そこまで頑なになるのには、何か理由があるんだろう。しかし、いったいどうして。何がマリーをそうさせる?

 確かに最近のマリーは今まで見れなかった表情をたくさん見せてくれるようになって、どんどん魅力的になっていくなんて考えていたが、あんなに辛そうな顔を見たいわけではなかった。


「どう、して?」

「あなたと、すごく近いから」


 詰まりそうになる喉から何とか息を吐き出して声を乗せる。ひどく掠れていたが、言葉は正しく伝わったらしい。

 近い、と言われても、覚えがないのだが。でも、マリーの目から見てそう見えていたのなら、それは気を付けた方がいいのか?

 私としては一番近付きたい相手に、今まさに距離を取られようとしているのが、何よりも苦しいのだが。


「責めているわけではないし、そういうつもりがないのも理解しています。でも耐えられないんです」


 珍しく強い言葉を使うマリーに動揺する。

 耐えられない。私はそれほどまでに深く傷つけてしまっていたのか。私はマリーのことを何も理解していなかった? 魔王を倒し、何も障害になるものがなくなった世界で、これからゆっくりと結婚して二人の関係を築いていくのだと思っていたのに。

 ぐるぐると回る思考に答えが出ないまま、マリーは言葉を続ける。


「私よりもクルミさんの方が、仲がいいのではないですか?」


 ぐっと、顔を上げたマリーが今にも泣きそうな顔で笑う。

 どうして、そんなことを言うのだろう。なんで、泣きそうな顔をしているのだろう。それは違うだろう。

 確かに、クルミとは手放しでお互いの目標を応援しあえる程度には気の知れた仲だ。信頼もしている。尊敬だって。でも、私が誰よりも愛していて、何よりも触れたいと思っているのはただ一人しかいないのに。


 ざわりと、何かが粟立つ。

 心の中が酷くざわついているのに、頭の中だけは必死に警告を出している。言うな。それはいけない。言うべきではないとわかっているはずなのに、薄く開いた口からは、意思とは違う言葉が出ていた。


「君だって、私よりもあの使用人の方に懐いているじゃないか」


 なぜこんなことを口にしてしまったのかもわからない。自分でもいけないとわかっている。こんなことを言いたいわけではないのに。

 マリーの言う、耐えられないとは、こういう気持ちなんだろうな。なんて、妙に冷静な頭が判断していた。


 ぼろりと、マリーの新緑を思わせるような瞳から、雫が零れた。

 そんな顔、させたいわけじゃないのに。涙の滲んだ瞳に、追い打ちのように言葉が溢れてしまう。


「彼の方が好きなんじゃないか」


 否定してほしかった。そんなわけがないと、私の傍にいると。

 そんな言葉を、もらえなかった。


 一瞬怯んだ後、マリーがぐっと何かを呑み込んで「今日は帰ります」と、ただそれだけを絞り出すように言って背中を向けた。

 つい先ほどまで隣にいて、肩を寄せ合っていたはずなのに、どうしてこうなってしまったのか。庭に咲くバラが何か言いたげにしているが、生憎これ以上口を開いて醜態をさらしたくはない。

 引き留めなければいけないのに、少しずつ遠ざかっていく背中に見守るしかできない。あの細い腕を掴んで、何か言葉を投げかけなければいけないはずなのに、まともに息も吸えず、音の乗らない空気を吐くばかり。


 ああ、クソ。

 やってしまった。


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