34 こんなはずじゃなかった
エリックの手を借りて馬車を降りる。
今日は、所謂お家デートというやつだ。しかも私の家じゃない。不意に改まった態度でエリックの家に誘われた時は何事かと思ったけど、こういうお誘いってやっぱり嬉しいものなのね。
お出かけ用のちょっと上品なワンピースの裾を揺らす。緊張でそわそわしている私の隣から、エリックの視線を感じた。式典用のドレスも気に入った様子だったし、もしかしてエリックはふわふわしたデザインの服が好みなのかしら。なんとなく、さっきから時々ワンピースの裾のフリルに目が行っている気がする。
なんとなく見上げたお屋敷は大きくてとても立派で。うちもそこそこ大きな家だけど、やっぱり侯爵家ともなると荘厳よね。
それにしたって、いずれここに嫁ぐのかぁ。そういうことを考え出すと、いつも以上に緊張する。
もちろん、エリックのお家には何度も来たことはある。
でも頻度は少ないし、前回来たのはエリックが旅に出ていた不在の時で、新年の挨拶だった。
普段エリックと会うのは、うちの屋敷がメインで、時々市街地に行くくらい。あと最近はそこに観劇が追加された程度だし、あまりお会いする機会がないのよね。
別にエリックのご両親と仲が良くないとか、そういうわけではない。ただ、最近観劇を見るのに外に出る頻度が増えた程度で私自身、可能な限り部屋でのんびりしていたいタイプなのよ。
折々の挨拶を欠かしたつもりはないけれど、エリックと会う頻度に比べたら、殆ど会っていないに等しい。
いえ、エリックがよく会いに来てくれているのであって、ご両親への挨拶は決して少なくはないはず……。あれ? もしかしなくても私、頻繁に家に来てもらいすぎ? 私の方からももっとお伺いした方がいい?
庭園のガゼボでお茶をしようと誘われ、エスコートされつつ、屋敷の庭園を歩く。
本当に綺麗なバラ園ね。うちの庭のバラはお母様の趣味で淡い色のものばかりだけど、この庭園のバラはその一つ一つが真っ赤な大輪で見事に咲き誇っている。いつもここのバラを贈ってくれていたのかしら。
「いつも贈ってくださるバラってこちらの?」
「ああ。庭師に見繕ってもらってだけどね」
「そうでしたの。いつも素敵なバラをありがとうございます」
多分、私はエリックにすごく大切にしてもらっている。それに対して、私は何を返してこれただろう。何を返せるだろう。
不安はある。でも、何とかしていきたいとは思っている。クルミさんについても、すぐには無理だけど、少しずつ折り合いをつけていくつもり。
それに最近の、以前よりも少しだけ距離の近いエリックも嫌ではなかった。むしろ嬉しかった。だから。
「え。ま、マリー?」
少し上ずったような、驚いているエリックの声を聞こえないふりして、そのままエリックの肩に額を寄せる。
ほんのり暖かくて、ドキドキして。幸せって、こういう感じなんだと思う。
私は、エリックが好き。だからこそ、余計なことを考えて嫉妬することもある。それはきっと私の未熟さが原因で、自覚があるからこそしっかりしなくてはいけないよね。
「その、気に入ってもらえたならよかったよ。いつもはマリーの家だったし、たまにはどうかと思ってね。庭師もメイドたちも協力してくれると言っていたし、ああそう! クルミにも色々助言をもらったんだ」
妙に冷たい空気が気管に入った気がする。冷や水をかけられるのって、こんな感じなのかしらね。一瞬で目が覚めたみたいだわ。
ふーん、そうなんだ。
「仲、よろしいんですね」
「マリー?」
「私よりもずっと」
一年。それは決して短くはない期間だ。その間ずっとエリックはクルミさんと一緒に旅をしてきた。もちろん他にも仲間がいたみたいだけど、最初は二人だったらしい。そして共に苦楽を乗り越え魔王を倒したパートナーと言っても過言ではない。
異世界から呼び出されて聖女としての使命を全うしたクルミさんは立派な人だとは思う。エリックにとっても大切な人だというのもわかっている。
それでも。それでも面前で何度も褒められて、何度も会っているのをほのめかされて、デートの行き先ですら相談されているのなんて知りたくなかった。
嫌な気持ちがどんどんあふれてくる。止めたいのに、止まらない。自分でも酷い顔をしている自覚もある。あぁ、バカみたい。自分でも未熟だってわかっていて、どうにかしなきゃって思っていて、全部呑み込んでいくって決めたのに。
どんどん視界が滲んで、困惑するエリックの表情すらぼやけて。全部が全部、ぐちゃぐちゃになっていく。
「私、クルミさんのことが苦手です」
ムリヤリ吐き出した言葉は、思っていたよりもずっと低い声になって出てきた。
これできっと嫌われちゃうな。エリックにとって大切な人を否定したんだもの。そうなっても仕方がないよね。でもどうしようもなく嫌だったんだもの。折角シャルとオルタンスが式典を楽しみにしていると言ってくれたのに、何やっているんだろう、私。
こんなはずじゃなかったのに。
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