33 とりあえず走ってから考える

エリック視点


 最近、何かが可笑しい。

 いや、おかしいのは自分であることぐらいはわかっている。わかっているのだが、何故そうなるのかも、どうしてそれを抑えられないのかも全くわからない。


 ひとまず、言いようのないもやもやした感情には運動が一番だと、日課のトレーニングをしてみるも、何もすっきりしない。

 ならばと、本日中の執務を早々に終わらせて街の外へと繰り出してみるも、相変わらず気持ちは落ち着きもしないまま。正直街の外周を何周したかもわからない。うん。何かが可笑しい。

 なぜあのように、しきりにマリーに接触してしまうのか。自分でも気が付かないうちに手を取っていたり、いつもよりも距離が近いことに安心したり。あの行動は本来、私自身がどれだけそうしたくても、マリーを怖がらせないために自制していたものだった。


 正直マリーに触れたい気持ちはずっとあった。だが、それはそれとして恋愛ごとに疎い気質のマリーを怖がらせたくはない。

 今の時点ですでにマリーを困らせてしまっている自覚はあるが、今のところ怖がっている様子がないのが唯一の救いだ。真っ赤になって自分を見上げるマリーが可愛い。何ならほんのり泣きそうになっているのもくるものがある。

 いや、ダメだろ。しっかりしろ私。


 体を動かすことに集中して邪念を追い払う。

 トレーニングに励んだ結果、体積も増えて圧がある体格になった。帰って来てからは特に、女性を驚かせたり怖がらせてしまっている。もしかしてマリーも、私を怖がっているのではないか。もしそうなら当分立ち直れそうもない。

 もしこの体格のせいでマリーを怖がらせてしまっているのなら、彼女に対する邪な感情を振り切るために追加の筋トレをしているのは悪循環な気もするが、筋トレをやめても自制が聞かなくなりそうなので止める選択肢も取れない。


「で。考えがまとまらなくて、教会に来たと」

「走りながら考えていたら四時間経っていた」

「気軽にフルマラソンしてる人初めて見た。とりあえず水分とって休んだら?」


 渡された水が冷たくて気持ちがいい。ついでにタオルも借りて汗を拭えば、いくらか不快感がマシになった。

 すっかり通い慣れた教会の裏庭は相変わらず細々とした洗濯ものが干されており、慣れたようすでクルミは次々と洗濯を取り込んでいる。手伝いを申し出たが、汗だくの手で触るなと怒られてしまった。すまない。


「今まで自制できていたはずのことが出来なくなったって、原因はわかっているの?」

「いや、それが全く。急に、こっちを見てほしくなって、気が付いたらという感じだな。あまりにも身勝手すぎる要望だから、もう一度精神も鍛え直した方がいいんだろうか」

「確かに筋肉はすべてを解決するけど、万病に効くわけではないんだよなぁ」


 効かないのか、万病に。


「因みに、どういう時にそうなるの?」


 どういう時。そうだな……、単純にマリーの視線がこちらに向いていない時、か?

 ここ最近、マリーがぼんやりしている。式典が二週間後に迫っているのもあって、少し緊張しているのかもしれないが、そういう時、大抵あの男が彼女の視線の先にいる。


「特定の人物が、マリーの視界に入っている時。とか?」

「……へぇ。その人って?」

「使用人だ。マリーもよく懐いていて、観劇もその使用人に薦められて始めたらしい」

「ソーナンダー」


 その使用人、スタンリーは確かフットマンだと言っていたかな。随伴するような立場ではないようだが、それでも随分近しい存在のようだ。ご両親と兄君たちを初め、大切に守られてきた子だから、きっと使用人に対しても家族のように接しているのだろう。

 ……家族、か。結婚すれば、私にもあんな風に甘えてくれるのだろうか。そういえばあの時の慌てた様子のマリーも可愛かったな。いつも穏やかでおっとりしているマリーの恥じらう姿は、ギャップがあっていい。


「マリーさんに、その使用人さんとの過度な接触を控えてほしいのね?」

「うん? どうしてそうなるんだ?」

「……えーと、使用人さんについてはどう思ってる?」

「どうって、使用人は使用人だろう? 屋敷の運営と日々の暮らしに貢献してくれているのだから過度な接触も何もないじゃないか」

「え、そこまでいって繋がらないことある?」


 クルミが何を言いたいのかはわからないが、そこまで引いた顔をされるほどなんだろうか。

 繋がらない、とは一体何のことだ? 「そこまでいって」と言う辺り、答えには近付いていると受け取っていいのだな? 肝心な答えには未だ辿り着けていないが、手前まで辿り着いているとわかったのは充分な進歩だと思いたい。


「あー、っとそうだなぁ。どういう状況でそうなるのかを理解するためにも、使用人さんのいる状況といない状況を比較してみたら?」

「状況の、比較」

「そうそう。最近よくそうなるのなら、使用人さんがいない状況を意図的に作ってみるのはどう?」


 なるほど? 意識して比較すれば、何故私自身が自制できないのかも見えてくる、と?

 そこまで言うのだからクルミは私の状況を十分理解しているのだな。なら、答えを先にくれてもいいだろうに。自分で考えろということか。


 しかし、意図的にスタンリーのいない状況を作る、か。フットマンはその家の子女の外出に随伴しない。意識的にそういう状況を作るのなら、いっそ普段とは全く違う状況の方がいいのだろうか。

 そういうことなら。誘うか、家に。



****

皆何かズレてる。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る