28 世の中浮いたり沈んだり


 連日続いた快晴も、さすがに息切れしたのか青空にはいくつもの雲が浮いており、ほんのり涼しげな空気になっている。

 日差しが強くない分、庭園を歩いていてもそこまで疲れないのは良いことね。特に何をするわけでもなく、見慣れた庭園をエリックと連れ添って歩く。


 帰って来て以来、引き継ぎなどで忙しくしていたものの、あらかたやるべきことを国に任せて時間に余裕ができてきたらしい。

 ロジェ兄様も騎士の仕事が少しずつ落ち着き出したと言っていたし、魔王を倒した結果、魔物も減ってきているのね。さすがに被害の大きかったところの復興は時間がかかるでしょうけど、ひとまずエリックの生活が落ち着いたようで何より。

 今後は頻繁に会いに来るとエリックは言うけど、私としては忙しくしていたのだから、今後はしっかり休んでほしいのだけどね。


 実際、趣味として昇華しているからいいものの。その、一年間で体形が変わるぐらい鍛えないといけなかったようだし。

 エリックは私に楽しかった思い出や綺麗だった景色の話しかしてくれないけど、色々気苦労もあったのでしょう? 国を離れて各地を周って、言葉や文化の壁などもあっただろうし、命のやり取りだって。

 私には聞きかじった程度の知識しかないし、その責任や課せられた重圧は計り知れない。そういうものを背負って帰って来たエリックやクルミさんに尊敬の念は持ちつつも、それはそれとして彼女が苦手でどうしたらいいかわからない。

 スタンリーは本当に苦手なら距離を取っても構わないと言った。でもそうじゃないのよ私がしたいのは。だってクルミさんは悪い人ではないし、何よりエリックの大切な友人だし。ただ、私が。勝手にクルミさんの存在にやきもきしているだけで。


「マリー、疲れたかい?」

「え、いえ。大丈夫ですわ。少し考え事をしていて」

「そう、何かあったら相談してほしい。必ず力になるから」

「ありがとう、エリック」


 さすがに今あなたの友人のことで、なんて言う勇気はないわ。二人とも悪気があるわけではないもの。この間の市民街にある劇場のチケットだって、きっとクルミさんはエリックに私が観劇を趣味にしていると聞いて贈ってくれたのだろうし。

 それはそれとして、頻繁に会って趣味のトレーニングも一緒にしているらしいのが少し気になるというか。かといって私は運動もできないし、一度断ってしまっている手前今更一緒にトレーニングしてみたいなんて言い出しづらい。


 クルミさんとエリックを引き離したいわけではないのよ。ただ、私の知らないエリックをクルミさんが知っていることとか、本当に楽しそうにクルミさんについて話すエリックにもやもやしているだけで。

 一人で嫌な気分になったり、かと思ったらちょっとしたことでドキドキしたりで。最近ちょっと疲れていたし、今日みたいにのんびり話をしながら庭園の花を眺めて散歩する時間っていうのは正直ありがたい。心を穏やかに保つことだけに集中できるからね。

 二人で、庭園のバラの香りを楽しみつつ、時折肩を寄せて笑い合う。うん、素敵な午後の過ごし方よね。

 なんとなく向けた視線の先でスタンリーが荷運びをしている。メイドに頼まれたのでしょうね。あとで労ってあげようかしら。


「マリー」


 急に視界が揺れた。一瞬よろめいた後、何かが軽く肩に当たる。躓くのとはまた違う感覚に、何が起きたのかわからず数回瞬きをしてようやく理解が追いついた。

 いつもより強く、エリックの付けているコロンの匂いを感じる。腰にはしっかりと、ダンスの時のように腕が回されていて。あの、もしかしなくても私、引き寄せられています?


「あの、えっと。エリック?」


 何が起こったのかと声を上げれば、エリックの方も目を丸くして私を見ていて。なんであなたが驚いているの!?

 え? 仮にもここは伯爵家のお庭で、あまり目にはつかないけれどしっかりと家に仕えている警備の私兵なんかもいて、危険なことなんてそう起こり得ない場所よ? そんなところで急に抱き寄せられる意味とは。

 今何かそういう雰囲気な場面だったの!?


 慌てたように、小さく謝ってエリックが手を離してくれる。正直反応していいのかもわからずエリックを見上げたまま固まっていると、どうやら彼自身も戸惑っているようで。

 ひとまず急に騒がしくなった心臓を落ち着けようと一歩後ずされば、目ざとくエリックが踏み込んでくる。ねぇなんで!


「離れないでほしい」

「待って、本当に。一体どうしたの?」

「上手く言えないし自分でもよくわからないんだが、今はこのままで」


 切々とそれもなんだか苦しそうに言われてしまっては、どうすることも出来なくなってしまう。視界一杯に広がったエリックの胸板が広がって、慌てて視線を落とした。

 ついこの間の、ドレスの試着をした時と同じ距離。何がどうなっているのかも、どうしてそうなったのかもわからないけど、妙に顔に集まる熱と、うるさいくらいに跳ね回っている心臓の音だけが激しく主張してくる。


「嫌、だったかな?」

「嫌ではないです。ないのですが……」


 そうじゃないから困っているの! 少し距離をとって時間を置けばこのドキドキを抑えることはできるけど、それ以外にどうしたらいいのかを私は知らないしわからない。

 特に何をするでもなく、ただ寄り添っているだけの私たちを、素知らぬ顔で咲いたバラだけが見ていた。

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