26 灰色の一日


 本日晴れ。小憎たらしいほど快晴の空には雲が一つ二つと浮かんでいるくらいで、万に一つ雨が降る気配もない。

 つまり今、陰鬱な気分でベッドに転がっているのは私だけであると。


 ずっと胸の奥に重いものがあって、息苦しい。むせ返ったりするほどではないんだけど、上手く呼吸ができず、なんとなくだるい。柔らかいシーツと枕に体を預けて溜息を吐く。

 昨日のデート自体は楽しかった。楽しかったはずなのよ。

 市民街の劇場は、普段行くものとは雰囲気も文化も違って興味深く、エリックと二人、困惑しながらも最後には二人で舞台の感想を言い合って笑い合えた。


 実際、始終浮かれていたわよ? クルミさんに会うまでは。

 別にクルミさんが悪いわけではないわ。立派に聖女として魔王を倒す役目を遂げた人だし、その後も教会で孤児たちの世話をしているすごい人だとは思う。でも、だからこそ苦しくなる。

 私よりもすごい人が、エリックの隣で笑っている。親し気に肩を寄せ、お互いを尊重し合いながら、私の知らない話をしている。

 私といるよりも、リラックスできるんじゃないかしら。トレーニングの話も、クルミさんの方が理解してくれる。私よりも、ずっと仲がいいように見える。


 あそこで泣いてすがれたら、何かが変わったかしら?

 ……無理ね。そんなことできない。だって面倒でしょう? エリックからすればただ友人と仲良く話していただけなのに、急に責められたりしたら。困らせてしまうだけだし、何より嫌われたくない。そのくせに、苦しくて、何もかも吐き出してしまいたくなる。


「取り寄せていた本が届きました。……が、どうやら今日はダメな日みたいですね」


 一応ノックはするものの、返事も待たずに部屋に入って来たスタンリーが私を見て言った。ダメで悪かったわね。

 持ってきた本をデスクに置くスタンリーの背中を見ながら、肺に溜まった重たい息を吐き出す。楽しみにしていた舞台原作だけど、今は手に取る気になれない。折角お父様にお願いして取り寄せてもらったのにな。

 せめて体だけでも起こそうかと、手のひらで柔らかいスプリングのベッドを押してみるも、そこまで至る気力が出ない。


「それで? 今回は何があったんです?」

「……窓。カーテン閉めて」

「ダメですよ。暗くしたら余計に気分が落ち込むでしょ」


 私の鬱々とした気分なんてお構いなしに、窓から差し込む日差しから逃げたくてそう言ったけど簡単に拒絶されてしまった。

 シーツの海に顔を埋めれば、頭の上にため息が落ちてきた。私の方がため息を吐きたいわよ。


「エリックが」

「はい」

「ものすごくクルミさん、聖女を褒めるのよ」

「え、嫉妬してるんですか?」


 悪かったわね。間の抜けた声を上げるスタンリーをじろりとにらみ上げれば、すぐに降参とばかりに両手があげられる。

 そうよ、嫉妬してるわよ。だってしょうがないじゃない。あぁ、私はエリックが好きだと気が付いた瞬間、自分よりもずっとエリックを理解している女性が現れて、エリックもずっとクルミさんのことを褒めているし。

 一年間一緒に旅をして信頼関係が築けているのも同じ趣味で仲良くなったのもわかるけど、それにしたって手放しで褒めるし。あれでただの友達だって言うなら、十年以上婚約者をしていて、ただの幼馴染にしかなれなかった私は何になるんだ。

 もしエリックが友人以上として見ていてくれたなら、以前からもっと、何かあってもよかったでしょう? でもそういう、恋人らしい接触があったのなんてエリックが帰って来てからだし、何をどうしたらいいのかもうわからない。


「いやぁ、なるほど」


 妙に安心したような声を上げるスタンリーに、どれほど枕を投げつけて八つ当たりしたかったことか。手の届く範囲に枕がなかったことが残念でならない。

 人が真剣に悩んで苦しんでいるのに、何なのよその顔は。


「あのお嬢様が、ねぇ」

「何よ」

「いえ? それで、エリック様のことが嫌になっちゃったんですか?」

「……わかんない」


 クルミさんを褒めているのを聞くのは嫌。

 でも、じゃあそういう話をするエリックを嫌いになったのかと言われると、そうじゃない。そうじゃないけど、もやもやするし苦しくもなる。


「じゃあ、問題は聖女様の話だけ?」

「……悪い人ではないのよ。でも全然違うタイプだし、趣味もエリックと一緒だし、なんだかよく会いに行ってるらしいし」

「あぁ、すでに会ってるんですね」


 なんだか自分が情けなくなってきた。

 じわじわ滲んできそうになる涙を、必死にシーツの海にこすり付ける。


「まぁ、エリック様の行動を制限するなんてお嬢様にはできないでしょうし、上手くやり過ごすつもりなんでしょう?」

「……」

「別に苦手な人は苦手なままでもいいんですよ。本当にダメなら距離を取っても構わないんです」


 ぽすりと、頭に何かが降ってくる。手のひら、だと思う。

 温かいそれが、数回私の頭を撫でて、ゆっくりと離れていった。


「でもあなたは、そういうことがしたいわけじゃないんでしょう?」


 わかったように言うな。

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