21 お嬢様はご機嫌
エリックとの観劇デートの日がやって来た。
エリックと二人、劇場に向かう馬車に揺られる。カタカタと、石畳の凹凸で車体が揺れるリズムに合わせて気分が高揚していくのがわかる。
うん、大丈夫。これから見る公演のことはちゃんと頭に入ってる。すでに何度か見た舞台だし、原作小説だって読んだ。まだ完璧とは言い難いけど、辞書を引きながらなら、原語版の小説も読める様になってきた。
独学だからリスニングに自信はないけど、この調子なら原作者の本国での公演だって難なく楽しめる日も近いかもしれない。
「マリーは、すでに何度かこの公演を見ているんだったね」
「ええ、ですが何度見ても新しい発見があってとても楽しめる舞台ですわ」
原作とのセリフの言い回しはもちろん、公演毎にちょっとずつブラッシュアップされていくキャストの演技。洗練された楽団の演奏。
どこに注目して舞台をみるか、でもかなり印象が変わって来る。
「原作者の没後二百周年の記念公演ですし、各方面にも力を入れている様なのできっとエリックも楽しめると思いますわ」
「ならよかった。正直、何度か舞台には足を運んだことはあるが、楽しめるか不安だったんだ。確か、この公演は各国を回って公演しているんだったよね」
「はい。一年かけて各国を回って、原作者の命日に合わせて本国の最終公演を行う運びになっているそうですよ」
「へぇ。昔小説を読んだことがあったが、有名な作品だけあってやはり作者も愛されているんだね」
劇場前で馬車が止まり、エリックに手を借りて降りる。スタッフにチケットを見せれば、もう何度目かの劇場が目の前に広がっていた。
ホールにはシャンデリアが飾られ、赤いカーペットが敷き詰められている。開演時間よりも少し早めに来たつもりだけど、すでに人はそれなりに入っていて今日も多くの人が公演を楽しみにしているのがわかる。
エリックとこれから見る舞台の時代背景や舞台美術について話しつつ、人の間を抜けて座先へと向かう。
「あれは……」
不意にエリックが声を上げた。不思議に思い、彼の見ている方へ視線を向ければ何やら観客とスタッフが話している。一見して可笑しな光景ではないのだけど、どうやら話しかけている紳士は他国から来た方で、言葉の壁で躓いているらしい。
スタッフも観光客も困っているようだし、エリックもどうしようかと気にしている。そして何の因果か、観光客が話しているのは、今回の公演の原作者の母国語にして、今私が勉強している言語でもあって。
ゆっくりとそちらへと足を向ける。多分、今までなら気にはするけど、こんなことしようなんて思いもしなかったのにね。
『何か、お困りですか?』
『あぁ、スタッフに確認したいことがあったんだが上手く伝えられなくてね』
『私で良ければ、代わりに聞きましょうか?』
『それは有り難い! リスニングはできるんだが、どうも発音が苦手でね』
よかった、通じてる!
覚えたてだし、発音にも自信がなかったんだけど、一先ず問題は解決できそう!
『オペラグラスの使用制限はあるか聞いてもらえますか? 最近ちょっと、どこかの公演でトラブルがあったらしいから、確認しておきたくてね』
『オペラグラス、ですか?』
「マリー、彼はなんと?」
「え、ええ。オペラグラスの使用に制限があるかを聞きたいみたいです」
そう伝えると、ほっとしたような顔でスタッフが特に使用制限は無く、周囲の迷惑にならない範囲でと伝えられる。
それにしてもオペラグラスか。やっぱり舞台美術の細かいところや演者の表情を見るには、私も持っていた方がいいかしら?
しきりに頭を下げてお礼を言うスタッフと別れれば、今度は観光客の紳士からも改めてお礼を伝えられる。あんまりお礼ばっかり言われると、ちょっと恥ずかしいわね。
『ありがとう、お嬢さん。とても助かったよ。折角来た劇場で、マナー違反なんてしたくないからね』
『素敵な心掛けですわ』
紳士は仕事で我が国に来た貴族で、合間の時間で今回の公演を見るのを楽しみにしていたらしい。
なら尚のこと助けになれてよかったわ。せっかく我が国に来てくれたのだし、楽しかった思い出を作って帰ってもらいたい。そういうおもてなしも貴族の娘の役目よね!
彼とのデートを楽しんで! なんて爽やかに言いながら自身の席に向かっていく紳士を見送って、ほっと一息つく。
「その。あの方が、デート、楽しんで。ですって」
「そ、そう。彼はそんなことを……。その、すごいね、マリー。いつの間に他言語を操れるようになったんだい? 勉強しているとは言っていたけど、しっかり受け答え出来ていて驚いたよ」
「いえ、そんな! まだまだ拙いところばかりで。でも、あの方やスタッフの力になれたならよかったですわ」
本当に勉強してよかった。
多分、あの紳士にはまだ勉強したてだっていうのはばれていたと思う。途中から聞きやすいように、ものすごくゆっくり発音してくれていたし。それでも、きちんと伝わったし、聞き取れた。
「私なんて旅をしている時は、自分が話せるもの以外は仲間に任せっぱなしだったから。うん、本当にすごいよ」
そして何より、エリックが褒めてくれた。それがどうしようもなく嬉しい。
あぁ、ふふふ。帰ったらもっと話せるように、勉強しちゃおうかな。
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