18 世界が広がるってこういうことね
カタカタと馬車が揺れる。
石畳の上を車輪が滑り、備え付けられたソファーに体が沈んだ。
先日、スタンリーがメイドたちに聞いたと言う舞台を見てきた。主演の役者は、まぁ、メイドたちが言うように非常に顔の整った男性だったと思う。
でもそれ以上に、音響から衣装や舞台のセット、舞台を作るその全てが圧倒的で。雰囲気にのまれるってああいうことを言うのね。その、うん、はい。とても、すごかったです。
幕が上がって、辺りに照明が灯っても、随伴のメイドが声をかけてくれるまでしばらく動けなかった。
演劇ってあんなにすごかったのね。今まで何度か観劇経験はあったけど、舞台の余韻から返って来れないなんて初めての経験だった。正直、まだ夢の中にいるみたいにふわふわする。もうとっくに劇場を出て、馬車に乗っているのによ?
妙にドキドキしている心臓を落ちつけたくて、深呼吸をしてみる。だめね、止まらない。なんだか顔も暑くて、手のひらで仰いでみるけれど、当分の間、熱は冷めそうにない。
演目は、私もよく知っている古典小説だった。
ただ、その作家の没後二百周年の記念公演だったらしく、キャストはもちろん、音響のために呼んだ楽団も国内で広く名を轟かせる一団で。とにかく何もかもが豪華ですごかったのよ。
悲劇的な末路を辿る美しい乙女と、愛と友情の狭間に揺れる主人公の姿は、確かに昔から多くの人の心を動かして来たのでしょう。もちろん私も、以前原作小説を読んだ時に、美しい物語だと思ったわ。
でも舞台になるともっとすごくなるのね!
特に乙女が儚くなってしまい、主人公が乙女を胸に抱きながら悲しみに暮れるシーン! 楽団の重く切ない演奏と、次第に細く、主人公と乙女だけを照らすようになっていく照明の演出! あそこ本当によかった!
それに序盤の主人公と乙女が楽しげに踊るシーンも! 軽快な音楽と、後アレは早着替え、っていうのかしら? 乙女がくるくる回ると、衣装の色も変わって。それまでの清楚なドレスからふわふわと空気を含む可愛らしいドレスに変わって。
とにかく、もうずっと楽しかったのよ!
馬車の窓から、見慣れた屋敷の門をくぐるのを確認しつつぼんやりと考える。
芸術文化とは、人々の暮らしが豊かでないと成り立たない。近年は市井が安定していて、市民同士での文化活動も盛んになって来たけど、かつては貴族によるパトロン活動、支援や保護を受けなければ文化的活動がままならない芸術家も多くいた。
それくらい、貴族との芸術は密接な関係にある。まぁ、つまり古典芸能への理解を深め文化保全するのも貴族の役目であり、たしなみの一つということ。……これを、花嫁修業としてもいいかしら?
「着きましたよ」
「ありがとう、ご苦労様。あなたも休んで頂戴」
かたりと揺れて止まった馬車から、御者の手を借りて降りる。
確か、書庫に原作小説があったわね。
余所行き用のワンピースを着替えることもせず、いそいそと書庫の方に足を向ける。途中すれ違ったメイドたちに不思議そうな顔をされたけど、今は気にならない。
普段は立ち寄らない書庫の扉を押し開ければ、紙の匂いが広がった。掃除は行き届いているし、埃っぽいわけではないのだけど、なんだか不思議な匂いだわ。
「えっと。小説、は、こっちの棚だったかしら」
本棚にズラリと並ぶ色とりどりの背表紙を目で追って、つい先ほど見てきたばかりの舞台の原作を探す。あった。以前教養のためにと読んだ時と変わらない厚みの本には、有名だけど、普段は聞きなれない響きの名前が箔押しされて金色に輝いている。
この作者、外国の人だったのね。何気なく、小説の後ろの方を捲ってあとがきに目を落とす。翻訳をした人の言葉が載っている。
原作者の成り立ちや境遇と共に、小説の舞台となった時代背景などにも触れられている。……、もしかして劇中ちょっと気になった言い回しって、その当時情勢を加味したものだったりする?
「あら? お嬢様? いかがなさいましたか?」
「うん、ちょっとね。丁度いいわ、ねぇ歴史書の棚ってどこかしら?」
「歴史書ですか? でしたら、確か奥のコーナーだったかと」
「ありがとう」
これ、きちんと言い回しや背景を理解するにはその国の歴史や風土を学んだ方がいいんじゃないかしら。もっと言えば原語版を読んだ方が細かいニュアンスもわかるのかも。
まぁさすがに、いきなり外国語の小説を読みなさいって言われても出来ないから一先ず時代背景を改めて確認するところから始めましょうか。
教えてくれたメイドにお礼を言って書庫の奥に引っ込んでいく。えぇと、歴史書、歴史書。これね。各国の歴史書が並んでいる本棚は、埃こそ積もっていないものの暫く出し入れされていないのか少し引き出し難かった。
小説の方を一度本棚の開いているスペースに置いて、分厚い本を開く。わぁ……。目次に並ぶ細かい文字に、一瞬気圧される。
うん。私も貴族令嬢ですし、他国の歴史や文化をある程度は知っているつもりではいたけれど、改めてこれを学び直すって結構勇気がいるわね。でもまぁ、ある意味貴族の花嫁修業らしいところに収まっているのではないかしら。
なんて、誰に聞かせるわけでもなく脳内で言い訳をして、本を二冊。小脇に抱えて書庫を出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます