第6話 物語という牢獄

 10月22日、朝。

 九度目のループ。

 詩織はベッドに座り、窓の外を見ていた。

 同じ朝日。

 同じ景色。

 同じ、三日間。

 詩織は気づいていた。

 これは──異常だ。

 人間は、時間を巻き戻せない。

 死んだ人間は、生き返らない。

 なのに、私は何度も──

 詩織は立ち上がった。

 部屋を歩き回る。

 本棚、机、鏡、窓。

 全てが、完璧に同じ。

 一ミリの狂いもない。

 詩織は机の上のペンを手に取った。

 前のループで、このペンを床に落とした。

 だが──今、ペンは元の位置にある。

 まるで、誰かが──

 リセットしたように。

 詩織は息を呑んだ。

「これは──」

 彼女は呟いた。

「現実じゃない」


 詩織は一日中、部屋に閉じこもった。

 ノートを広げ、これまでのループを書き出す。

 一度目:毒殺

 二度目:転落死

 三度目:刺殺

 四度目:絞殺

 五度目:毒殺

 六度目:転落死

 七度目:刺殺

 八度目:心臓発作(遅効性毒)

 詩織はパターンを探した。

 だが──規則性はない。

 犯人も、方法も、毎回違う。

 ただ一つだけ、共通していること。

「私は、必ず死ぬ」

 詩織はペンを置いた。

 どんなに敵を排除しても。

 どんなに警戒しても。

 私は、死ぬように──設計されている。

 詩織は窓辺に立った。

 庭を見下ろす。

 そして──気づいた。

 庭師がいる。

 彼は毎日、同じ場所で、同じように花に水をやっている。

 全く同じ動き。

 全く同じタイミング。

 まるで──

 プログラムされたように。

 詩織は震えた。

「これは──」

 彼女は呟いた。

「誰かが書いた、物語?」


 夜、詩織は書庫に向かった。

 古い本を探す。

 哲学、物理学、神秘学。

 そして──見つけた。

 一冊の古い本。

「世界の構造について」

 詩織は本を開いた。

 そこには、書かれていた。

「我々が現実と呼ぶものは、実は誰かが書いた物語かもしれない。登場人物は自由意志があると思っているが、実際には筋書きに従っているだけだ」

 詩織は本を閉じた。

 心臓が激しく打っている。

 もし──

 もし、これが本当なら。

 私は──

 誰かの書いた物語の中で、何度も殺される役を演じている。

 詩織は笑った。

 声を出さず、肩を震わせて。

 狂気じみた笑い。

「そうか」

 彼女は呟いた。

「私は──囚人なんだ」


 10月23日。

 詩織は家族に宣言した。

「パーティを中止する」

 食卓が静まり返った。

 父が尋ねた。

「何を言ってるんだ、詩織?」

「パーティを中止するの」

 詩織は冷静に言った。

「私の誕生日は祝わない。ゲストも呼ばない。何もしない」

 母が不審そうに詩織を見た。

「どうして?体調が悪いの?」

「そうじゃない」

 詩織は立ち上がった。

「ただ──したくないの」

 梨花が口を開いた。

「お姉ちゃん、おかしいよ。せっかくみんなが楽しみにしてるのに」

 詩織は梨花を見た。

 そして──冷たく微笑んだ。

「楽しみ?私が死ぬのを?」

 梨花は黙った。

 詩織は食堂を出た。


 午後、詩織は荷物をまとめた。

 服、現金、身分証明書。

 最小限の荷物をバッグに詰める。

 そして──屋敷を出た。

 誰にも告げずに。

 詩織は街に出た。

 ホテルに部屋を取る。

 小さな、質素な部屋。

 詩織は窓の外を見た。

 知らない街。

 知らない人々。

 ここなら──

 私を殺そうとする人間はいない。

 詩織はベッドに座った。

 これで、終わるだろうか?

 この三日間を、ただ過ごせば。

 パーティをしなければ。

 10月25日が過ぎれば──

 私は、ループから抜け出せる?


 10月24日。

 詩織はホテルの部屋に閉じこもった。

 外にも出ない。

 誰とも会わない。

 ただ、ベッドに横になり、天井を見つめていた。

 時間が過ぎる。

 朝が来て、昼が来て、夜が来る。

 何も起こらない。

 詩織は安堵し始めた。

 もしかしたら──

 これで、終わるかもしれない。


 10月25日。

 誕生日。

 詩織は朝、目を覚ました。

 窓の外は晴れている。

 詩織は深呼吸をした。

 今日一日、何も起こらなければ。

 明日、10月26日になれば──

 私は、ループから抜け出せる。

 詩織はホテルを出た。

 久しぶりの外の空気。

 街を歩く。

 カフェで紅茶を飲む。

 普通の一日。

 何も特別なことは起こらない。

 夕方になった。

 詩織は公園を歩いていた。

 ベンチに座り、夕日を見る。

 美しい。

 詩織は微笑んだ。

 ついに──

 ついに、この呪いから解放される。

 そのとき──

 携帯電話が鳴った。

 詩織は電話に出た。

「もしもし?」

「詩織!どこにいるんだ!」

 父の声。

「心配してるんだぞ!すぐに戻ってきなさい!」

「パパ、私は──」

「いいから戻れ!今すぐだ!」

 電話が切れた。

 詩織は携帯を見つめた。

 戻る?

 いや──

 戻らない。

 もう、あの屋敷には戻らない。

 詩織は立ち上がった。

 公園を出て、街を歩く。

 どこへ行こう。

 とにかく、遠くへ。

 詩織は駅に向かった。

 電車に乗る。

 行き先は──どこでもいい。

 ただ、遠くへ。


 夜。

 詩織は海辺の町に着いた。

 崖の上に立つ、小さな展望台。

 詩織はそこに立ち、海を見下ろした。

 波の音が聞こえる。

 冷たい風が吹いている。

 詩織は微笑んだ。

 ここなら──

 誰も私を見つけられない。

 誰も私を殺せない。

 詩織は深呼吸をした。

 自由だ。

 ついに、自由になった。

 そのとき──

 背後で、足音。

 詩織は振り返った。

 誰もいない。

 幻聴?

 詩織は再び海を見た。

 そのとき──

 背中に、衝撃。

 詩織の体が前に押し出された。

 崖の、柵の外へ。

 詩織は空中に投げ出された。

 落ちる。

 風が体を打つ。

 下には、岩場。

 詩織は叫んだ。

「なぜ!」

 なぜ、ここでも──

 誰が──

 詩織は岩に激突した。

 体中の骨が砕ける音。

 激痛。

 そして──暗転。


 目が覚めた。

 10月22日。

 詩織は動かなかった。

 ただ、ベッドに横たわり、天井を見つめていた。

 涙が流れた。

 声を出さず、ただ涙が流れた。

「逃げても、無駄なんだ」

 詩織は呟いた。

「どこへ行っても、私は死ぬ」

 彼女は起き上がった。

 窓の外を見る。

 同じ朝日。

 同じ景色。

 詩織は笑った。

 狂気じみた笑い。

「これは──物語なんだ」

 彼女は呟いた。

「誰かが書いた、物語」

 詩織は鏡を見た。

 映っているのは──壊れた女。

 目は虚ろで、髪は乱れている。

「私は──」

 詩織は鏡に向かって言った。

「私は、物語の囚人なんだ」


 詩織は部屋を出た。

 廊下を歩く。

 使用人たちが挨拶をする。

 詩織は無視した。

 食堂に行く。

 家族が揃っている。

 詩織は席に着いた。

 誰も話しかけない。

 詩織は紅茶を飲んだ。

 毒が入っているかもしれない。

 だが、どうでもいい。

 どうせ、私は死ぬ。

 三日後に。

 必ず。

 詩織は立ち上がった。

 食堂を出る。

 庭に出た。

 噴水の前に立つ。

 水が静かに流れている。

 詩織は空を見上げた。

 青い空。

 白い雲。

 美しい。

 だが──

 全てが、偽物に見える。

 誰かが描いた、絵。

 誰かが書いた、物語。

 詩織は叫んだ。

「私は!」

 声が庭に響く。

「私は、誰かの物語じゃない!」

 誰も答えない。

 詩織は続けた。

「私には、意志がある!自由がある!」

 だが、それは──

 本当だろうか?

 詩織は崩れ落ちた。

 噴水の前に座り込む。

 両手で顔を覆った。

「嘘だ」

 彼女は呟いた。

「私には、何もない」

 涙が止まらなかった。


 夜。

 詩織は書庫に戻った。

 あの本を探す。

「世界の構造について」

 本を開き、読み続けた。

 そして──ある一節に目が止まった。

「物語の登場人物が、自分が物語の中にいると気づいたとき、彼は何ができるだろうか?答えは一つ。物語そのものを、壊すことだ」

 詩織は本を閉じた。

 心臓が激しく打っている。

 物語を、壊す。

 どうやって?

 詩織は考えた。

 敵を排除しても、無駄だった。

 逃げても、無駄だった。

 なら──

 詩織は気づいた。

 筋書きを、拒否する。

 物語が求める結末を、拒否する。

 私が死ぬことを、拒否する。

 詩織は立ち上がった。

 目に、光が戻った。

 鋭い、決意の光。

「なら──」

 彼女は呟いた。

「物語そのものを、殺す」


 10月23日。

 詩織は行動を開始した。

 まず、パーティを中止した。

 次に、家族全員に告げた。

「私は、この屋敷を出る。二度と戻らない」

 父が驚いた。

「何を言ってるんだ、詩織!」

「私は、もうこの家にいたくない」

 詩織は冷静に言った。

「ここにいる限り、私は──」

 彼女は言葉を飲み込んだ。

 死ぬ、とは言えなかった。

「私は、自由になりたいの」

 母が口を開いた。

「詩織、あなたは氷室家の一員よ。勝手なことは──」

「黙って」

 詩織は冷たく言った。

「私は、もうあなたたちの人形じゃない」

 詩織は部屋に戻り、荷物をまとめた。

 そして──何も持たずに、屋敷を出た。

 お金も、服も、何も。

 ただ、身一つで。


 詩織は街を歩いた。

 行き先はない。

 ただ、歩き続けた。

 夜になった。

 詩織は公園のベンチに座った。

 冷たい風が吹いている。

 詩織は空を見上げた。

 星が見える。

「これで──」

 彼女は呟いた。

「物語は、壊れるだろうか?」

 誰も答えない。

 詩織は目を閉じた。

 疲れていた。

 眠りに落ちた。


 10月24日。

 詩織は公園で目を覚ました。

 体が冷えている。

 空腹だ。

 だが、詩織は動かなかった。

 ただ、ベンチに座り続けた。

 人々が通り過ぎる。

 誰も詩織を気にしない。

 詩織は透明な存在になった気がした。

 誰にも見えない。

 誰にも届かない。

 まるで──

 物語から、消えかけているように。


 10月25日。

 誕生日。

 詩織はまだ、公園にいた。

 三日間、何も食べていない。

 何も飲んでいない。

 体が限界に近づいている。

 だが──

 まだ、死んでいない。

 詩織は微笑んだ。

 これが、答えなのだろうか?

 何もしない。

 ただ、存在する。

 それだけで──

 夕方になった。

 詩織は立ち上がった。

 ふらつく体を支え、歩き出す。

 どこへ?

 分からない。

 ただ、歩く。

 気づくと──

 詩織は崖の上にいた。

 海が見える。

 波の音が聞こえる。

 詩織は崖の縁に立った。

 下を見る。

 岩場。

 落ちたら、死ぬ。

 詩織は笑った。

「結局、ここに来るのね」

 彼女は呟いた。

 そして──

 一歩、前に踏み出した。

 空中に浮く感覚。

 落ちる。

 風が体を打つ。

 詩織は目を閉じた。

 もう、いい。

 もう、疲れた。

 そして──

 岩に激突する瞬間──

 詩織は気づいた。

 私は──

 自分で、崖から飛び降りた。

 誰かに押されたわけじゃない。

 自分で──

 詩織は笑った。

 最後の瞬間に。

「そうか」

 彼女は呟いた。

「私が、私を殺してたんだ」

 そして──暗転。


 目が覚めた。

 10月22日。

 詩織はベッドに座り、自分の手を見た。

 震えていた。

 だが──

 今度は、恐怖ではない。

 理解したからだ。

 この物語の構造を。

 詩織は立ち上がった。

 鏡を見る。

 映っているのは──

 壊れた女ではなく。

 覚醒した女。

 詩織は微笑んだ。

「なら──」

 彼女は呟いた。

「物語を、殺す」


第6話 終

次回、第7話「反撃の設計」

詩織は物語の構造を理解した。敵は外にいるのではない。この物語そのものだ。ならば──全てを壊す。家族を、屋敷を、そして自分自身を。詩織の本当の戦いが、今、始まる。

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